第16話 久礼田と能登

パチンコ屋のトイレで用を足した後、ちゃんと手を洗っている人を見たことがありません。

久礼田です。

遠足当日、俺は京都行きの電車で揺られていた。

いつもは一匹狼で愛と勇気だけ友達の俺だが、今日は珍しく一人ではないのだ。

隣で一緒に揺られているのはクラスメイトの能登である。

俺は先日彼女にある作戦の協力をする約束を交わした。

そして今日はその決行日なので、今は事前打ち合わせのようなものをしているというわけだ。

しかし、彼女も相当気が張り詰めてしまっているようで、先程から落ち着かない様子である。

彼女なりに覚悟はしているのだろうが、やはりそれとこれとは別なのであろう。

「能登、緊張してるか?」

「…うん、正直かなりね…」

「そうか。まぁなんというか…頑張れよな」

「うん…ありがとう」

こんな時に気休めになるような一言でも言えたならよかったのだろうが、生憎俺は色恋などとは無縁の人生を送ってきたのでアドバイスなどできるはずもなかった。

彼女は今、俺が味わったこともないような感情を抱いているのだろう。

正直それは全くもって想像し難い。

しかし、俺はそんな彼女に敬意すら感じるのである。

俺はここまで正直に自分と向き合ったことがあったであろうか。

いや、そんなことはなかったに違いない。

だからこそ、俺には彼女がとても輝いて見えたのだ。

応援したくなるのは、その眩しさにあやかりたかったのかもしれない。

「そういえば…気になってたことがあるんだけど…聞いていいか?」

「え…? 何?」

「あのさ、お前ってなんでそんなに優しいんだ?」

「そ、それってどういうこと?」

ずっと気になっていたのだ。

今しか機会はないかもしれない。

「だってお前、正直おかしいぜ。黒田には一年の最後に散々言われてただろ? それなのになんであいつにあんな普通に接してやれるんだ? ちょっとは敬遠してもいいと思うんだけどな」

「あぁ…それね…。少し長くなるんだけど、いいかな?」

「お、おう」

「実は私、二条君や黒田さんと同じ中学だったんだ」

「は、はぁ?!いやだってあいつら、お前とは初対面な感じじゃんかよ」

「多分二人とも覚えてないんだと思う。黒田さんは接点なかったし、二条君とは少しあったんだけど、私見た目も苗字もその時と変わったしね」

「いや、それでも気づくだろ普通…。やっぱあいつ頭おかしいな…」

「いやいやっ、そうじゃないんだよ。私、あの時二条君がいろいろあったの知ってるから…」

「ふーん、そうなのか。じゃあ能登は中学の時にあいつのこと好きになったってことか」

「うん、そういうこと」

「正直俺、能登がなんであいつのこと好きなのかもわからなかったんだよな。そういうことなら納得いったわ」

「うん。それでね、二条君一年の時はあんな感じだったじゃん?なんというか…」

「あぁ、あのクソキモ仮面陽キャラモードだろ?」

「いやそこまでは言うつもりはなかったけど…でも、中学の時はあんな感じじゃなかったんだ。どっちかというと、今に近かったんだよ」

「まぁ、だろうな」

「だから、前までの彼はすごく無理してるように見えたんだ。勘違いかもしれないけど、私はそう思った」

「俺もそう見えたな」

「あの事件の時にさ、黒田さんちょっとおかしかったでしょ? 多分私、そんな彼女と二条君を重ねちゃってたんだと思う。なんだか彼女も、すごく無理をしているように見えたから」

「………」

「確かにひどいこと言われたけどさ…。うまくいえないけど、多分彼女にもいろいろあるんだろうなって思ったんだ。ほんとはそう思いたかっただけかもしれないけどね…」

「…お前すげぇな」

「えぇ?!そ、そうかな…。考え過ぎなだけだよ」

「いや、ほんと頑張れよ。無責任なことは言えないけど、俺は本当に応援してるからな」

「…そっか。ありがとね」

驚いた。

正直彼女がここまで考えているとは思いもしなかったのだ。

なんだか少し自分が不甲斐なく感じてくる。

こんな彼女が不幸を見るようなことがあってはならない、とすら今なら思える。

どこか悔しいような気持ちを感じたが、今はそんなことを感じるべきではないだろう。

「次は〜河原町〜」

車内にアナウンスがこだました。

何はともあれ、いざ決戦である。

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