第14話 能登由紀の過去 6

春である。

何度目の春だったたろうか、もう目新しさもないものである。

桜並木に囲まれた通学路は、以前ほど新鮮には感じられなかった。

彼は今何をしているのだろうか。

春休みはそんなことばかり考えていた。

そして今も、である。

気づいたら私は高校生になっていた。本当にそんな感じだ。

私は自分のことを考えることを長らく忘れていたのだ。

中学三年の終業式。あれから先はあっという間だった。

私は逃げるように勉強に没頭した。

散らかってしまった心を整理する方法がわからなかったのだ。

何かに集中しているときは、逆にそれ以外を考える必要はなかった。

そこで勉強はとてもうってつけな口実だったのだ、と思う。

そうしているうちに、すぐに受験は終わってしまった。

案外あっさりとした幕切れだったので拍子抜けしたが、結果は無事に合格であった。

そうして今、私は豊田高校への通学路を歩いているのであった。

私も私なりに悩んだのだ。

しかし正直、今だって心の整理はついていない。

色々な感情がないまぜになってしまっている。

期待、不安、自戒、諦念、言葉に形容できないものだって多くあるだろう。

彼の心の中もいつもこのような感じだったのだろうか。

今なら少し彼の気持ちがわかるかもしれない、そんなことすら考えついてしまった。

しかし、いつまでも彼に囚われているわけにもいかない。

そのために髪型も変えた。メガネを外してコンタクトにした。

しょうもない事かもしれないが、私は決別の意を持ってこれに臨んだのだ。

正直、そうやって形から入る事で表面的なものに縋らなければ、いつまでもどうしようもないと思ってしまっただけなのだが。

豊田高校に到着した。今日からここが私の新しい学び舎である。

今になって不安が強く主張を始めた。

普通、こういう心構えは春休みをまるまる使ってしておくものなのだが。

掲示板には人だかりができていた。

全く知らない人たちが自分と同じ制服を着ているというのは少し違和感がある。

人だかりを上手くかわし、自分のクラスを確認する。

「三組か…」

名簿を確認して、改めて自分の名字か変わったことを実感した。

能登由紀、という文字列に未だに違和感を持ってしまう。

まぁ、いずれ慣れてしまうのだろう。多分そういうものだ。

これと同じように、この感情も風化してゆくのだろうか。

今のところ、そんな気配は微塵もないのだが、無くなったらそれはそれでもの悲しいのかも知れない。

そんなことを考えながら、なんとなく他の生徒の名前も確認してみた。

すると直後、私は目を疑った。

「え…? 二条…義也…?」

私の名前の二つ上に記載されていたその名前は、私がよく知るものであった。

でも、彼の志望校は別だったはずだ。

しかし、私はあれ以降の彼の動向を知らない。

都合によってその選択が変わったことだって十分にあるはずだ。

しきりに感情が暴れ出した。それの正体はよく分からないのだが。

とにかく居ても立っても居られなくなり、私は教室へと足を運ぶことにした。

迷うことなく到着し、すぐに中へ入ると、私は自分の席を確認することも忘れて辺りを見渡した。

「…え?」

彼は確かにそこにいた。

彼らしき人物は直ぐに確認できたのだ。

しかし、私は動転してしまった。

なぜなら、そこには彼らしさが感じられなかったのだ。

彼は隣の席の子と談笑していた。

顔には満面の笑みを浮かべている。

あのような笑顔をする彼を私はみたことがない。

しかし、それが問題なのではない。

あの笑顔が、私には彼が最も忌み嫌ったものの象徴かのように見えて仕方がないのだ。

私は彼の笑顔を見たことがある。それは微笑ではあるのだが。

しかし、それとは何かが根本的に違う。

そこには、彼が最も強く握りしめていたものが明らかに欠落していた。

表面的には繕われている。

いや、そうせんとばかりに意識を集中しているようにすら感じる。

そうやって膜を張ることで、何かをひた隠すように。

傲慢かもしれないが、私はそれにひどく違和感を感じてしまった。

どこか無理をしているかのようにすら感じられるのだ。

所謂高校デビューというやつであろうか。

しかし、彼が今更そんな一筋縄な理由でそれに迎合するだろうか。

そうは見えないし、そう思いたくなかった。

そうだ、話しかけてみればいいではないか。

そうすれば手っ取り早くわかるはずだ。

正直彼の名前を見つけた瞬間、少し、いやかなり嬉しかったのだ。

もう一度彼とやり直せる。

不謹慎だがそんなことを考えてしまっていた。

決別だのなんだの嘯いていた手前とても恥ずかしいのだが、本当はそんなことする必要がないほうが良いに決まっている。

私は意を決して、彼に声をかけた。

「…あの…」

「…え?俺?なんか用?」

「………いえ、よろしくお願いします」

「あぁ、よろしくね!」

彼はあたかも初めて会ったかのような言葉を投げかけた。

………あぁ、しきりにわだかまりが解けた気がした。

思えば、私は彼のことなど全然知らないのだ。

勝手に分かった気になっていた。これは彼の言葉だったか。

そして、それは彼も同様なのだ。

私たちの関係を特別視していたのは、私だけだったという話だ。

彼にも色々あったのだ。 彼だって変わっていくのだろう。

過去の思考の跡などは黒歴史と化しているのかもしれない。

そう思わせるほどの出来事だったのかもしれない。

ともすれば、それは都合よく消えて然るべきではないか。

それに強く関わった人間とともに。

そんなことはわかっていたはずだ。

人間なんていうのは、都合のいい生き物なのだ。

彼だってそうであっただけのことだ。

そうではないと思っていたのか。

或いは、あの時に告白していたら結果は異なったのであろうか。

そんなことを考えても、今となっては後の祭りであるが。

しかし、私が彼に救われたのは事実だ。

彼の言葉に、彼の生き方に焦がれたのは紛れも無い私だ。

それは一生揺らぐことはない。

だから、私は彼と決別しなければならない。

彼がそれと決別したように、私はそれと決別した彼と決別するのだ。

彼には感謝しなければならない。そうでなければお門違いだ。

泣きそうになるのを抑えながら、私はそう決意した。

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