第6章 GW
5月1日。ゴールデンウイーク初日。午後一時
本来なら優雅に惰眠を貪りちらしていたはずのこの時間に、俺はなぜか大阪は北の都、梅田の人波に飲み込まれていた。
無論、原因はあの日に久礼田が言い放ったあの提案である。
時は班決めの日に遡る。
「なんで行かないんだよ。義也に関しては前を向いて進むとか一丁前に行ってたじゃねーかよ。」
おい勝手に俺の独白聞いてんじゃねぇよ。こいつなんでナチュラルに心読んでんだ。
「いやそれとこれとは別だろ。これに関しては本当は行きたいがそれを我慢してるとかじゃなくて、本当に心から行きたくない。全くの嘘はない。純度100%の嫌なんだけど。」
「こいつ、良心がバグってんな、、、。」
なんとでも言え。俺はもう揺れない。
「てかどうせゴールデンウイーク中に予定なんか一個もないんだろお前ら。1日くらい潰れたところで何が変わるんだよ。」
「は、はぁ?!」「チッ。」
残酷なことを言うなお前。てか舌打ちなんか久しぶりに聞いたぞ。こいつほんとに堅気かよ、、、。
しかし、本当に嫌なものは嫌なのである。休日にまで気苦労なんて絶対御免だ。
しかし、俺たちと違って能登は乗り気のようだった。
「あのっ、、、。折角だし、、、どうかな?」
「うーん、、、まあいいか。」「はぁ、、、どこ集合?」
「扱い違いすぎだろ、、、。」
久礼田の目が潤んでいるように見えた。
そういうわけで休日出勤なのである。
一日だけでこんなに面倒なのだから、社会人になったら俺はどうなってしまうのだろうか。
道行くサラリーマン達、こいつらどんな訓練受けてんだ。修験道なの?山に籠るの?
などと今から億劫な気持ちになっていると、やっと集合場所にたどり着いた。
あいつらはもう来てるだろうか、、、。見つけた。あの乳だろ絶対。
近づいてみるとやはりそうであった。これもう歩くランドマークだ。
「おい、お前遅刻だぞ。」「ご、ごめん。」
どうやら全員もう集まっているようだ。
てか俺だって時間に余裕持って家出たのに人混みに惑わされて時間過ぎちゃったよ。
逆にこいつらなんで間に合ってんの?空飛んできたの?
「いや別に梅田はこんなもんだろ。お前引きこもり気質だからロクにこんなとこきたことねぇんだろ。」
もうこいつ普通に俺の心覗いてんじゃん。こっちも違和感無くなってきちゃって怖いよ。
「そんなわけねぇだろ。で?どこ行くんだっけ。イオンモール?」
「都会知識乏しすぎだろ、、、。すぐにバレる嘘をつくなよ。」
哀れみの目を向けられた。いいだろイオンモール。逆にあれ以上何を望むんだよ。
一つ文句があるとすれば、最近ウォーターサーバーの実演販売をやり過ぎていて少し鬱陶しいことくらいである。てか毎回声かけてんじゃねぇよ。そろそろ俺の顔覚えろ。こっちはもうお前の顔覚えちゃったよ。
「で、マジでどこ行くの?」「この近くにボーリング場あるけどそこなんかどうだ?」
う、、、。ボーリングか、、、。まぁ得意なんだけどよ、、、。
「まぁいいんじゃない?」「どこでもいい。」「うちもそれでいいです。」
とりあえずボーリング場で決定したようだ。
というか目的地を決めずにとりあえず都心に集まるとか俺たち遊び慣れてなさすぎだろ。実際、この中で頻繁に出かけそうなやつなんか黒田くらいである。
というかこいつは少しは興味ありげにしとけよ。モンストしてんなモンスト。てかお前モンストしてるのかよ。おい真顔でマッチショットすんな。
そういうわけで、一同はそのままボーリング場へ赴いた。
地下を通って行くらしい。そっちの方が近いとのことだ。
そういえば、男性は空間把握能力、女性はコミュニケーション能力と言語能力が遺伝子的に優れているという話を聞いたことがある。
原始時代、男性は狩で未開の地へ赴く機会が多かったこと、女性は集落における人間関係の形成および情報収集を担当していたことによる局部的な進化の結果らしい。
それにしては俺空間把握能力がなさすぎる気がするんだけど。どこ歩いてんだよこれ。
てかこれ俺のせいじゃねぇだろ。何これ?ダンジョンなの?ガーゴイルの店とか見つかりそうな勢いである。
そんなことを考えていたら、地上へ上がる階段へたどり着いた。
それを登って行くとすぐ眼前には大規模アミューズメントパークがそびえ立っていた。
てかこいつら人波乗りこなしすぎて付いて行くだけで一瞬で着いちゃったよサーファーかよ。
店内に入るとそこには機械音と人間の発する音による喧騒が広がっていた。一階はゲームセンターのようだ。
最近近所にあった小さなゲームセンターが店を閉めた。
本来百円入れて遊ぶゲームとかにも税金はかかるらしいが、それは経営者が負担している場合が主らしい。
維持費や家庭用ゲームの普及も相まって、現在はゲームセンターにとって風当たりが強い世の中なのであろう。
俺も結構頻繁に行っていたので残念であったことを思い出した。
ちなみにその土地に新たにできたのは学習塾である。
塾多すぎだろ。そんなにいらねぇよ。俺塾嫌いなんだよ。
忌々しい記憶が蘇る。あれは高校受験の勉強に勤しんでいる時であった。
おい下級生のカップル机の下で足つつき合ってイチャついてんじゃねぇよ俺の隣で。
俺受験生だから。上級生だから。
てかそれ一番気が散るやつだから。嫉妬で泡吹きそうだったぞほんと。
一応塾の授業は夜9時まであるが、そこから1時間自習のために時間が設けられていた。
そのカップルは9時に早々と塾を出て、前の公園でいつも喋っているようだった。
おい俺が塾から出てくるのを10時の合図にしてんじゃねえよ。
俺を見て時刻を確認し、最後にチューしてバイバイしてんじゃねえよ。間に俺のチンコ駆け込み乗車しちゃうよ?それは俺が嫌だ。
それにしても人が多い。世間はGWなんだから当然か。
逆にここまで予定がないのは俺くらいではないか。全然悔しくないが。ほんとにほんとだよ?
うまく人混みを躱し、エレベーターに乗り込む。人が乗りすぎておしくらまんじゅうである。
億劫になっていたら、刹那、背中に確かな、たわやかでやわらかな感触が走る。
「ご、ごめんなさい、、、。」
能登さんのやわらか戦車であった。
なんだかわけがわからんが、これが精神衛生上よろしくないことは確かであった。
緊張してるけど弛緩している、申し訳なさもあるんだけど鼓動が逸る。
端的に言って、頭がどうにかなりそうだった。
3.1415926545458181072…
必死に理性がショートするのを抑えていると、やっと目的地に到着した。
俺は頑張った。いまだに生々しく感触が残っている。
忍耐強い我が息子を讃えなければならない。帰りにドンキでおべべを買ってやろう。
バキューム性の優れたとびきりの一張羅を。
ボーリングフロアは一層の混み具合であった。これ何時間待つんだよ、、、。
嫌な予感がしたので、先手を打って俺は提案した。
「めちゃくちゃ混んでるじゃん。どうする?やめとく?帰る?」
「お前は帰りたいだけだろ、、、。予約してるから大丈夫だ。」
なんだこいつ。めっちゃ手慣れてるじゃん。ありがたいがなんかもやっとするな。
なんなの?お前は俺と同じだと思ってたんだけど。
なんだか久礼田が遠くへ行ってしまう感じかして悲しかったです。
各々が準備をして、やっとボーリング開始である。
最初は俺か、、、。
「義也早くしろよな。」「お、おう、、、。」
躊躇うな。もう逃げないと決めた。ボールよ進め。俺の思いも乗せて。
「ヒッ、、、。」「うわぁ。」
ギュルンッ、カーン!ストライクー!おめでとう!パフパフパフー
、、、。静寂が場を支配した。しかしその終焉はすぐに訪れた。
「いや投げ方キモ。」
黒田、こいつ言いやがった。
俺のウィークポイントを、寸分違わず、一切の躊躇いもなく打ち抜きやがった。
「べ、別になんでもいいだろ投げ方くらい!実際ストライクだろうが!」
「いやそういう次元じゃないくらいキモい。ここまでキモい投げ方みたことないし。てかテクニカルに上手いのもキモい。玉曲がりすぎ。キモい。」
こいつ一生分のキモいを全部俺に使うつもりか?新手のツンデレはこうなの?違うか。
そんなに言わなくてもいいじゃん。心折れちゃうじゃん。
俺だって人間だよ?悲しかったら泣くんだよ?思い知らせてやろうか。今ここで泣いて。
実は俺はボウリングが大好きである。頻繁に行くし、マイボウルだってある。
しかし俺は大体一人でしかボーリングをやらない。一人で投げ続けるのが好きなのだ。
人と会わないために少し遠くの過疎地のボーリング場にしか行かない。
特に中学生の時によく通っていたが、その時俺は全然力がなかった。
だから回転をかけてピンを倒す癖がついている。
投げまくっているうちに異常に上手くなった。
たまたま来店していたプロボウラーに褒められたことだってあるくらいだ。
しかしフォームも死ぬほど独特になった。
勿論一人でしか行かないので、それを咎める者もいなかった。
今ではこの投げ方しかできない体に調教されてしまったというわけだ。
しかしそこまで言うほどキモいのか。
能登さんとかリアルな悲鳴あげてた気がするんだけど。俺の後ろにお化けとかいたのかと思っちゃったよ。
でも仕方がないものは仕方がない。
「まぁいずれ慣れんだろ。何回も見てるうちに。」
「自分の投球フォームをゲテモノ料理みたいに言うなよ、、、。」
久礼田が呆れていた。なんだお前ぶん殴るぞ。マイボウルで。
しかし最初こそこんな感じだったものの、結局何だかんだ盛り上がり、最後は団欒で終わった。
一人の女を除いて。
ひとしきり遊び尽くし、俺たちは夕方その店を出た。
各自各々の帰路につく。まぁ乗る電車が同じなので駅まで一緒である。
しかし、思ったよりも楽しめた。またこのような催しに参加したいかと言われるとそれは別だが。
特に印象深かったのは、久礼田が意外にも俺とスコアで競ってきたことだ。
やはり競争相手がいると自ずと燃えてくるものである。
特にあいつは一ピン残しの処理がうまかった。他方、俺は未だに苦手なので今後の課題点も発見できた。
足ピンは得意なんだけどね、、、。
そのようなことを考えていると、能登さんがあることに気づいたようだ。
「すいません!向こうに携帯忘れたかも、、、。」
あぁ、これはボウリングあるあるである。実際よく俺も忘れ物をする。
あそこはなぜかとても居心地がよいので、ついくつろいでうち物を広げてしまうのだ。
「どうする?戻るか?」
「いや俺だけついて行くよ。連絡取れないと困るし、全員で行く意味もねーし。」
どうやらここは久礼田に任せておいたほうがよさそうだ。
お言葉に甘えて俺たちは近くの休憩場所で待機しておくことにした。
二人と別れてから気づいたが、俺黒田と二人で残されてんじゃん。
気まずすぎだろ。俺二ヶ月前にこの子の顔面殴ってるんだけど。
普段はあまり気にならないような沈黙が、何だかとてもいたたまれなく感じた。
「あのさ、黒田。この前のことなんだけど、、、ほんとごめんな。」
痺れを切らして発言してしまったが、どうしてよりにもよってこの話題なんだ。
己の脳みその残念さにひどく失望する。もうほんとに死んだほうがいいかもね、、、。
ほら見ろ。黒田もめちゃくちゃに複雑な顔をしている。
そりゃそうだ。スキナーも納得のレスポンス。
「、、、いやもう別にいいけど。あんたの過去のことは聞いたし。うちも悪いし。」
そういえばこいつの親を説得するときにこの説明はしたのだった。
それにしてもこいつから、自分も悪いという言葉が出てくるとは思わなんだ。
そのあまりの変容には戸惑いもあるが、正直同時に興味もあった。
「そういえばいいのか?お前奥本と付き合ってんだろ。俺たちと遊んでよ。」
正直この質問には二つの意味が含有されていた。
一つは純粋に俺たちが曲がりなりにも男性であること。
そしてもう一つは、奥本がそんなことをよしとするのか、である。
以前あいつは排他的であるということは言ったが、それはもう病的なほどのものだ。
実際あいつが他者を判断する基準は、常に自分と釣り合うかの一点張りである。
しかもその尺度は専ら権威に基づいたものであり、友人も趣味も、全てステータスの一部としか思っていないような男だ。
そして、自分のお眼鏡に叶わないと判断した人間に対しては、徹底的に排除しようとする。
村八分のようなことだって平気でやってのける。俺だってあいつには気後れしていた。
実際はそれに賛同する取り巻きも問題である。
しかし、仕方がないと言われると納得してしまう。あいつはそれほどにあの場においては絶大だ。
良心が無いとかそういうものではない。実際俺たちにはそういう部分を見せる時もある。
つまり、あいつにとって下の人間は良心を働かせる対象ですら無いということだ。
あいつはそれをフルオートでやっている。学校という閉鎖的な世界が生んだモンスターだ。
そして俺である。
俺は自慢ではないが現在学校で圧倒的に浮いている。
部活にだって結局顔を出さずじまいであるし、今後行く気も全然ない。
校内であいつらとすれ違うことは度々ある。
口では「戻ってこいよ〜。」などとのたまってはいるが、そこには嘲笑に似た哀れみが内在している。そんなことはすぐにわかる。いや、分かってやっているのかもしれない。
あいつにとっての俺は、フリーフォールのように一瞬でそのような人間へと成り下がったということなのだろう。
そんな人間と自分の彼女との交流を、ましてや休日に遊びに行くことなど、あいつが許すとは到底思えない。
それを分かってか分からずか、彼女は俺の質問に対して軽蔑にも似た表情を浮かべた。
「そんなのとっくに別れたわよ。見たらわかるでしょ。あんたなら。」
彼女の言った言葉を直ぐに飲み込めなかった。
しかし彼女が言った通り、少し考えるとすぐに分かったことであった。
黒田や奥本と付き合いが長く、こいつらのことをよく知っている俺ならば。
奥本は他者をステータスでしか評価しない。それは無論、自分の彼女であろうが、である。
つまりはそういうことなのであろう。
そう考えると、奥本と以前の黒田は利害の上で一致していたのかもしれない。
もちろんそれだけが要因ではないとは思うが。そうであると願いたい。
胸糞が悪い話だ。本当に心の底から軽蔑する。
あいつらも、かつてはそれに縋った自分も。
俺は質問を続けた。そうせずにはいられなかった。
俺は懺悔をしているつもりなのかもしれない。かつて自分が振りまいた厄災の懺悔を。
たとえ、それが身勝手で、傲慢なものであろうとも。
「それってさ、、、お前が最近あんな感じなのと、関係あるのか?」
黒田の顔は一層曇ったが、依然として弱々しく言葉を綴った。
「、、、あんたとの一件があってから、前にうちらがちょっかいかけた奴らがそれを一斉に教師に告げ口したのよ。それでうちらの親が学校に呼ばれたんだけど、それ聞いたうちの親がヒスって他の二人に責任なすりつけ出してさ。親同士が揉めまくってうちらの仲もぶっ壊れたってわけ。」
こいつこれまで何人に悪事働いてきたんだよ。
政治関連の有権者が失墜した時と一緒のやつじゃん。森友とか加計とか。
俺は軽く引いていたが、そんなことはどこ吹く風で彼女は続けた。
「うちがいい子であることを強要してくる親でさ。家ではそんな感じで振舞ってた。でもそうじゃないことが信じられなかった、、、信じたくなかったんだと思う。結構頭ごなしな親なんだよね。」
点が線で繋がった気がした。そんなことがあったのか。
しかし、それだけでは少し不自然なものがある。彼女自身の大きな変化だ。
それを察したかのように、彼女はその答えを提示した。
「いい子でいるのって疲れるのよ。
自分の人生を他人に支配されてる気がしてた。
うちの存在に意味なんてなくて、自分は母親が操作するゲームのキャラクターでしかないんじゃないかって思えた。
だからうちは、、、人を虐めたり優位をとることで自分の存在を感じたかったんだと思う。
人を支配してるのって、なんかめっちゃ生きてるって感じるし。
今まで気づかなかったんだけど、そう考えたら腑に落ちた。
そしたらなんか、色んなことが面倒になった。
関係を修復できなかったことはなかったんだろうけど、もういいやって感じ。
どうせ前と一緒ではいられないし。そんなの、意味ないじゃんって思った。
結局家でも腫れ物扱い。もうどうでもいいけど。」
正直驚いた。彼女はそんなことを考えていたのか。
みんなが騙し騙しやっている中で、きっと彼女はそれに意味を見出せなくなってしまったのだろう。
そういうものは不意に、前触れなんかなくいきなりに訪れることを俺は知っている。
俺たちはよく似ているのかもしれない。
俺たちは何かになりたかったのだ。そうでないことを看過できなかった。
そうであったはずなのに、知らぬ間に何者でもなくなってしまっていた。
みんな心に穴はある。それを何かで埋めているだけだ。
その埋めものは時に変容して、使い物にならなくなってしまう。俺たちがそうであるように。
俺たちは傲慢だった。二兎を追う者は一兎をも得ず、まさにこの通りとなった。
一人でいるのは不安だ。
自分の価値を他者やその関係に見いだすことができない。
誰でもやっていることなのに。俺たちは、それができない。
そのような人間がどうするのか。そんなものは簡単である。
自己の中で完結させるしかない。他者に頼る術などないのだ。
或る人はそれを諦めてしまう。或る人は自己の中で他者との優位性を言い聞かせる。
彼女は今、きっと不安なのだろう。瞳に映る何もかもが灰色なのだろう。
今の彼女には芯がない。
彼女にとって母は、枷であると同時に型であったのだろう。
その型にはまっていれば、大きく道を逸れることはなかった。
だけど今は違う。これはいずれ瓦解する。
今の彼女からは、そう感じさせるには十分な危うさを感じた。
「ごめん。なんでだろ。こんなこと言っちゃって。うざいよね。うちクズだし、、、ハハハ、、、。」
先刻から黙りこくっている俺を気にしてか、彼女はそう呟いた。
しかし、こんな時でも俺は焦ってしまう。言葉を弄し、はぐらかしてしまう。
「そ、そうだ!お前能登とはどうなの?」
自分がみるみる嫌いになる。最近こんなことばっかりだ。
「、、、わからない。」「は?」
ナチュラルには?とか言っちゃった。でも実際意味がわからなかったのだ。
「、、、彼女、意味わかんないのよ。うちまだ謝ってもないのに、全然優しいし。学校でも、たまに話しかけてくるし。ほんと、、、意味わかんない。」
彼女は息つく暇もなく続ける。
「なんか、彼女を見てるのイライラすんのよ。自分の愚かさを見せつけられてる気がする。だから学校でも素っ気なくしちゃうし、その時もそんな自分が嫌いになる。」
なんだか様子がおかしい。今にも壊れてしまいそうだ。
「彼女を見てると時々、いやいつも思う。こんな自分が存在していていいのか、、、本当にわからない。うちなんて、いない方がいいんじゃないかって、、、こんなこと考えたこともなかったのに、、、もうなんなの、、、」
顔を上げると、彼女の目からは涙が溢れて止まらなくなっていた。
これはまずい。本能が危険を告げた。このままでは絶対に、彼女は壊れてしまう。
俺は今、彼女に伝えなければならないのではないか。
こんな俺だからこそ、今の彼女を理解し、寄り添ってやれるのではないか。
そのような使命感を感じた。理屈では説明できないが、心が熱を帯びるのを感じた。
思考を追い越して、俺は言葉を放り投げていた。
「そ、そんなことはない!」
彼女はポカンとして俺の方を見つめた。
というか周りの人間全員が俺たちを見ていた。
声のボリュームを気にする余裕など俺にはなかった。
俺は必死に言葉を紡いだ。
「みんな騙し騙しやってる!誰もそれを敢えて口にしないだけだ!本来そっちの方がおかしいんだよ!そんな奴らよりは幾分マシだ!だからお前はおかしくなんかない!それは証拠だ!その涙が、その痛みが、証拠なんじゃないのか?!お前が前に進んでいる証拠なんだろうが!違うか?!あぁ?!」
もめちゃくちゃ言っているし、クサイことを言っているし、なんかキレてるし、本当にわけがわからなかった。
けれど、これは俺の本心だ。取り繕うことは全くせず、心の底からそう思っている。
これは俺が正しいと思ったことだ。
思えば、正義とはそんなに大層なものではなく、実はこういった些細なことなのかも知れない。
それは、自分と向き合うこと。そしてその上で、世界と向き合うことだ。
俺は伝えたいことを伝えた。
その後にどうするかは彼女次第だ。俺が足を突っ込むことではない。
なんか冷静になったら恥ずかしくなってきたぞ。別の意味でおかしくなりそうだ。
「も、もういい!もういいから!大丈夫だから!そこのトイレで顔洗ってこい顔!俺ここにいるから!はいハンカチどうぞ!」
「うん、、、。ありがと、、、。」
そう言って彼女は消えていった。
周りを見渡すと、道行く全員がこっちを見ていた。穴があったら入りたかった。
10分ほど経過すると、彼女はいつもの様子で戻ってきた。
「お前、もう大丈夫なんか?」「うん。悪かったわね。」
彼女は表情を変えることなく答えた。
しかし、本当に大丈夫なんだろうか。心療内科とかいった方がいいんじゃねえのかこいつ。
俺はこれ以上、彼女への詮索をやめた。
さっきは半ば強制的に喋らせてしまい、なんだか申し訳ない気分になった。
また先ほどと同様に沈黙が続いた。しかし、先ほどと比べると不思議と悪くなかった。
それどころか、どこか心地よくすら感じられる。こんな感じは初めてであった。
しかしその沈黙は突如として破られた。
「ねぇ。」「な、なんだよ。」「あんた私と付き合いなさいよ。」「へぁ?」
一瞬意味がわからなかった。3秒かけてやっと俺はその意味を理解できた。
「は、はぁぁ?!何いってんだお前?!」
動揺が隠しきれなかった。最近の子はほんとに、、、。
狼狽える俺に、彼女は畳み掛けるかのように問いただした。
「キモ。そういうのいいから。どうなの?」「あ、あぁ、、、考えとくわ。」「そ。」
そういってこちらを見る彼女の顔は、少し微笑んでいるように見えた。
俺はその顔を久しぶりに見た気がする。てかなんか照れるな、、、。
以前ほど自信に溢れてはいないが、確かにその奥では何かが宿っているような気がした。
なんだか心の荷が下りた感じだ。新たな荷物を背負わされた気がするが。
てか、考えとくわ、とか言っちゃったよ。これって俺最悪じゃね?
一難去ってまた一難、である。しかし、それでも俺たちは進むしかないのだ。
ほどなくすると久礼田と能登さんが戻ってきた。
こいつのことは話さないでおいてやろう。そこまで俺は悪趣味じゃない。
そのまま各自最寄駅で降り、最後には久礼田と二人になった。
途端、こいつらこんなことを言い出した。
「でさ、結局何だったんだ?あの黒田が泣いてたやつ。」
「お前、見てたのかよ、、、。」
流石に戻りが遅いとは思ったんだけどよ。黒田には言わないでおいてやろう。
「いやだってなんかやってる感じだったから声掛けづらくてな。で、なんだったんだよ。」
まぁ、わからないでもないか、、、。しかし俺は断固として守秘義務を行使し、容姿端麗な嘘を吐いた。
「別に、なんでもいいだろ。ちょっと虐めて泣かせちゃっただけだ。」
「それはそれでどうなんだ、、、。まぁ話したくないならいいんだけどな。」
こいつは結構察しがいいので助かる。
こんなものを見られてたと知ったら恥ずかしくて死んでしまうだろう。俺ならそうなる。
しかし、俺にはもう一つ気になることがあった。
「そ、それでさ、、、。」「え?何よ。」
「その後に俺たちが喋ってたこととか、なんか聞こえたか?例えば、黒田が言ってたこととか、、、。」
「いや、流石にあの距離じゃそれは聞こえなかったな。なんか話してたんか?」
「いや全然?!それならいいんだけどよ、、、。」
謎の後ろめたさで確認してしまった。てからこっちの方が聞かれるとまずいだろ正直。
しかし、今日は驚きの連続であった。
黒田の誰も知らない一面を見た気がして、少し得した気分になった。
しかし、あいつもあいつなりに考えているんだな。
俺の中の認識を改めなければならないようだ。それほどまでに鮮烈だった。
いまだにあの時の光景が脳裏に焼き付いている、
怒られるかもしれないが、あいつの泣き顔は、本気で悩んでいる様は、どこか美しさすら感じられた。これが人間が、本来あるべき姿なのではないか、などと考えてしまった。
しかし疲れた。GWはもう二度と外に出ない。そう固く決心した。
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