第4話 新学期

春。清々しいほどに春である。

満開の桜がまるでその皮切りを告げるかのように、繁く俺たちに覆い被さる。

三月の別れにより生じたひとつまみの感傷は、桜吹雪によって彼方へ攫われてゆく。

新しい生活への期待で心は踊り、人々の足取りも自ずと軽くなる。

そんな季節に俺は、まるで死地へ赴く兵士のような心持ちで学校へと足を進めていた。


「はぁ、行きたくねぇなぁ、、。」

これまで度重なる新学期を経験してきたが、これほどまでに心が重い新学期突入は俺史上例を見ない。それほどに俺は憂鬱であった。

どれほど憂鬱かというと、ここまでの道が灼熱地獄に見えたほどである。

何なの?この先に霊長類最強の男でもいるの?強くなりたくば食らうの?

心も体も俯いて歩いていると、後方からここ最近で一番聞いたであろう声が飛んできた。

「義也!今日も朝から陰毛数えてんのか?!」

「俺にそんな奇天烈な日課はねぇよ。つーか俺が陰部丸出しで歩いてるか透視能力を超絶無駄使いしてる前提で話進めんな。」

こんな朝から地獄のようなジョークをかましてくるのは久礼田しかいない。

こいつはいつも通り元気そうで羨ましい限りである。オラに元気を分けてくれ、、、。

「なんだよ全然元気ねーなぁ。そうかお前クラス分けが憂鬱なんだろ!?そりゃお前、この前やらかしたもんなぁ!ざまぁ!ギャハハハハハ!!!」

こ、殺してぇ、、、。察しの良さとデリカシーの無さは相性最悪でした。

しかし、春休みは本当にこいつと遊んでいた記憶しかない。

最初は母さんもこいつの形を見て困惑していたが、すぐに打ち解けていた。

というか母さんはこいつをめっぽう気に入ったらしく、この前なんか二人で遊びに行ったらしい。なんか複雑な気分だよ。

実際こいつはとても人当たりが良い。学校で友人を作らないのには理由があるっぽいな。

ちなみにバスケ部には結局一度も顔を出さなかった。

気がつけば俺は春休み中現実逃避していたようだ。

だから正直今日のクラス発表は不安でならない。久礼田の予想は見事に的中していた。

しかし、こいつのおかげで少し気が紛れたのは確かだった。断固として感謝はしないが。

他愛もない談笑を交わしているうちに、遂に俺たちは学校に到着してしまった。はぁ、、、。

校門をくぐるとすぐに、とても大きな人だかりを発見した。

その中心にはもちろん、クラス割の掲示が貼り付けられている。

運命の瞬間。

俺は唾を大きく飲み込み、意を決してそこに目を向けた。

俺は、、、三組か。

ここからが肝心である。他の名前も同時に確認してゆく。

、、、最悪だ。そこには黒田の名前があった。

一気に気が沈んだが、しかし見た所黒田以外の知り合いは特にいないようであった。

九死に一生を得たとはこのようなことである。九回死んでるんだけどね。

しかし同時に嬉しい発見もあった。

「お!俺たちまた同じクラスじゃん。よっしゃぁ!」

どうやら久礼田ともまた同じクラスのようだ。

毎度のことだが、こいつの感情表現はいちいちストレートすぎる。照れちゃうじゃん、、、。

しかし実際、俺だって結構嬉しかった。いつものグループとの交流が断たれて気づいたが、俺はこれまで友達が全然いなかった。それこそあいつら以外との交流は本当に無である。

それが断たれた今、俺は天涯孤独と言って良い。これまで大きな顔をしていた分きまりが悪いというものだ。

だから久礼田との繋がりまで断たれると俺は見事に爆死していた。正直安堵した。

「おっし、じゃあ行くかぁ。」「おう。」

お互いに喜びと悲しみを分かち合うような人間がお互いしかいないので、確認を済ませた俺たちは早々に踵を返して教室へと向かった。

「そうだ、お前どうだったん?クラスにやな奴いたんか?」

「あー、別に思ったほどはいなかったんだけど、黒田がいたんだよなぁ。よりによってあいつかぁ。、、、はぁ、、、。」

なんでピンポイントであいつだけいるのか。学校側も少しは配慮して欲しいものである。

神が俺に与えた試練かのように思えた。

しかし久礼田は意外なことを言ってのけた。

「いや、でもあいつはもう大丈夫だと思うぞ。」

俺はその意味を理解できなかった。

「はぁ?なんでだよ。」「うーん、見たらわかるんじゃね?」「なんだそれ、、、。」

心にわだかまりを残しながら、俺は教室へと足を踏み入れた。


俺が教室へ入ると、教室中の空気が固まった。俺は独裁者かよ。

しかし暫くすると、教室のあちこちから囁き声が聞こえて来た。

「ねぇ、あの人。」「知ってる!授業中に暴れたって噂の、、、。」

どうやらあの事件はがっつり噂になっているようであった。

もちろん予想してはいたが、これ結構くるな、、、。

入室早々出鼻をくじかれた俺は、たじろぎながら自分の席に着席した。久礼田は隣であった。

「てかお前あのことあんま噂になってないって言ってたじゃん。」

「俺友達いねぇから噂が流れてこないだけだったわ!」「末期だなお前、、、。」

こいつのポジティブな自虐には感覚を狂わされそうになる。なんなの?情緒不安定なの?

気を取り直して改めて一面を見渡す。探している対象はもちろん彼女である。

しかし何かがおかしい。彼女の周りには基本的にいつも二、三人の取り巻きがいるはずだ。

あまりにいつ見てもそうなので、あれはダグトリオのようなものと認識している。

だから、彼女の居場所は一目見ただけでわかるはずだった。それほどまでに目立つのだ。

しかし、俺はそのような対象を認識できなかった。見る限りは大方のクラスメイトが到着しているようなのだが、、、。

不安になった俺は、久礼田にも確認を要請した。

「黒田いねぇな。まだ来てないんか?」

「何言ってんだよ。ずっとあそこにいんじゃん。ほれ。あそこ。」

「、、、は?」

眼前の光景に驚愕した。

久礼田が指し示す先には確かに黒田は存在した。しかしそれは、俺の知っている彼女とはまったくもって別物であった。というか実際色々と変わっていた。

まず髪型が変わっていた。というか髪色も変わっていた。

以前のいかにも頭の弱そうな金髪のウェーブから、真っ黒なセミロングへと変貌していた。

そして制服の過度な着崩しや重厚に施されたメイクなど、以前は艦娘のような重装備が施されていた彼女だが、それは全て無くなり所謂普通の女子高生になっていた。

そして何より、雰囲気が大きく変わった。

取り巻きは一人としておらず、どこか哀愁を漂わせた表情で退屈そうに携帯を触っていた。

俺は彼女と結構交流があったが、あんな表情を見たことがなかった。

以前のまるで虚栄の塊のような彼女の姿は見る影もなかった。

「なんだあれ。久礼田なんか知ってるか?」

「いや特には知らんけど、お前があいつ殴ってから二日後くらいからだったかな、ずっとあんな調子っぽいぞ。そういえば、誰かが話してるのを聞いたんだが、なんだか取り巻きの奴らと喧嘩したらしい。」

久礼田がここにくる時に発した言葉の意味をようやく理解できた。

何はともあれ今の彼女に危険性はなさそうである。彼女もあれから色々あったのだろうか。

などと考えていると、教室に中居が入ってきた。

新学期に気構えることなど一切なく、いつもの気だるそうな面構えは健在であった。

そういえば三年はこいつが担任なのか。まぁこれまでこいつとは特に思い出もなかったが。

中居は俺たちの存在に気付いて接近してきた。

辺りを見渡して、最後に俺たちを確認して一言。

「問題児ばっかりじゃねえか。」

手が出そうになった。喧嘩売ってんのかこいつ。

教師の口から発された言葉とは思えないほどに思いやりがなかった。

「本当に、今から先行きが不安でならないよ。はぁ。帰りてぇなぁ、、、。酒、、、。」

誰か、こいつを早く教育者の座から引きずり下ろせ。

こんな奴が教鞭をとる我が国の将来が不安でならない。

「まぁ、お前らを近くで見守ることができるのはよかったよ。一年よろしく。」

「は、はぁ、、、。」

言動を鑑みてこいつが俺たちを見守る気があるとは全く思えないが、一応会釈をしておいた。

前からずっと思っていたが、本当にこいつの考えていることはよくわからない。

しかし、あの騒動が大ごとにならずに済んだのはこいつの尽力のおかげと言えるだろう。

あの姿は正直意外だったし、本当は思ったより頼もしい奴なのかもしれない。

何にも興味なさそうな奴だが、俺たちのことをちゃんと見てくれているのであろうか。

その後始業式が滞りなく終わり、次の時間はホームルームであった。

「中居です。一年間よろしく。一人ずつ自己紹介。俺は寝ています。」

前言撤回、こいつは頼りにならない。


自己紹介。

これは他者に自身の情報を発信するという本来の役割に加え、自身が門戸を開いている対象を限定したり時には逆であったりなど、実質的な互いによる品定めの様相を帯びた儀式である。

これは端的に、最終的に自身が今後所属し続けるであろうグループを形成する皮切りになる様なものと言えるので、各々がそれぞれ多様な戦略をもってこれに臨むのは当然のことであろう。

しかし、この様な自己紹介の恩恵を全く受けることができない人種も存在するのだ。

例えば、既に確固とした社会的評価が共通観念として存在する人間。

自己紹介とはいわば人間のタグ付けであるため、既にタグが貼り付けられた人間には特に意味のない行為であることは言うまでもない。

喋る内容よりも、圧倒的にその本人が喋っているという情報が先行してしまうからだ。

情報は偏見というフィルターを介した時点で、容易に恣意的に変容されうるものなのだ。

そして、より大きなタグを貼り付けられた人間ほどこれを払拭することは難しくなる。

例えばこの場合は俺の様な人間がそうである。というか俺である。完膚無きまで俺である。

俺は死刑執行を待つ死刑囚の気持ちをたった今まじまじと実感していた。

なんだこれ。緊張とか不安とかその他諸々が体内でミックスされて、なんだか意識高い感じのスムージーとかが出来上がりそうな勢いである。

そんなことを考えて気を紛らわしているうちに、ゆっくりとしかし確実に、執行は刻一刻と眼前に迫っていた。

そういえば他の人の自己紹介を全く聞いていなかった。去年まではこんな気苦労はなかったんだがな。平民は蓋し難儀なものである。

気を取り直してそれに耳を傾けると、今まさに俺の知っている人物が喋っていた。

「黒田です。、、よろしく。」

マジで何があったんだあいつ?落ち込むを通り越してやさぐれてる感じすらあるんだけど。

以前までならいつもの笑顔で「本日付でうちがこの国の頭なんでよろしく。」と言わんばかりの無言の威圧で新学期早々精神的にマウントを取ってきそうなものであったが。

何というか、、、今のあいつはハリネズミみたいな感じだな。

実際、どこか厭世的でしかし外界に微かな敵意を放つ彼女は、以前の気配を微塵も残していなかった。

いや、なんか自分は周りとは別、いろんな意味で異質のものであると思ってそうな感じは以前と一緒か。それが今はどこか不安定な気もするが。

今のうちに弱みでも握っとくか、、、?などという下衆なことを考えていると、またも聞いたことのある、今度はいかにも気の弱そうな声が聞こえてきた。

「能登由紀です。部活は水泳部に所属しています。よろしくお願いします。」

俺は彼女のことを知っている。忘れるはずもない。

また同じクラスだったのか。全然気づかなかった、、、。

改めて見ると、能登さんは中々の上玉である。今まで気づかなかったのは持ち前の存在感のなさの成せる技であろう。

というかなんといっても注目すべきは、というかしたくなくてもしてしまうのだか、思春期真っ只中花盛りの青少年一同の視線を引きつけて止まない程の威光を先刻からほとばしる程にスプラッシュしまくっている二つの巨大な溶岩円頂丘である。

マジで噴火寸前と言わんばかりの突起であった。なんだか見ているだけでこちらの火山岩尖も爆発してしまいそうな勢いである。パンツが気持ち悪くなるので我慢である。

やり場のない性欲を体内に抱えている高校生日本男児の園でこれは余りにも悪魔的であるのはいうまでもなく、クラス内の全員が股間の部分を抑えている気がした。

というか、その尊大なお乳ボーロは水泳選手にとって致命的と言えるほどに水の抵抗を発生させてしまいそうな感じがするが、、、。生まれ変わるとすれば、私はスク水になりたい。

謎の罪悪感を感じて横目でそれを凝視していると、卑猥な視線を感じたのか彼女と目が合ってしまった。

すると彼女は小さく微笑んだかの様に感じた。一瞬心臓止まったぞ、、、。

彼女と俺の間には何か接点があったであろうか。必死に考えたがやはり何も思いつかない。

何はともあれこの一年目の保養に困ることはなさそうである。なんだか本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。これがやましいという感じなのであろうか。

その様なことを考えているうちに、俺の出番は次へと迫っていた。

てか、おい前のやつ露骨に笑いとってんじゃねぇよ。ハードル上げんなハードル。ちんちんぶつけちゃうだろうが。

さて、そいつの出番も無事終わり、いよいよ俺である。

昨日一時間ほどの長考を重ねて練った台本。朗読の練習だって何度もした。

不安材料があるとすれば、この想像以上の緊張感。しかし事態にアクシデントはつきものである。それも事前に考慮している。

たかが自己紹介と言われるかもしれない。しかしそれでも俺は、もうほんとうにどうしようもないくらいに不安だったのだ。

大きく深呼吸をして、虚空を見上げる。

大丈夫、大丈夫。自己暗示は俺の最も得意とするものであったはずだ。

意を決して立ち上がろうとした瞬間。

教室内がざわついた。

それを皮切りに空間が一気に喧騒に包まれた。

それは集団によって形作られた、一つの芸術作品であるようだった。

そこに俺の声が介入する余地は微塵もない。誰一人として俺の話を聞こうとするものはいないようだった。

心を鈍器で殴られた感じがした。わかってはいた。当然のように真っ先に想像できうることだった。受け身の準備も万全だった、しかし、直に食らうとこれほどまでに効くものか。

好奇の目とは言い得て妙である。俺はこの場において、絶対的に誰よりも奇妙な存在だった。

晒し上げとなんら遜色はない、俺を敵としてその場の全員が一致団結しているかのように感じられた。

俺は堪えかねて中居に助けを求めて視線を向けた。いや本当に寝てるのかよ、、、。

しかし、この中に俺の人格を具体的に把握している人間は、俺と関わったことのある人間すらどれほどいるのであろうか。別に俺が褒められたような人間ではないことは確かである。

でも、それでもこれはあまりにも不条理ではないか。

俺にはスタートラインに立つ権利すら与えられないというのか。

なんでこいつらは俺を見ないのだ。俺の後ろにあるものばかりに目くじらをたてるのだ。

もしそれが全てなのであれば、世の中は原因論に支配された無機質で無慈悲なものとなってしまうではないか。

しかし俺はそれを真っ向から咎めることができない。

なぜなら、それはこれまで俺が嫌という程に重ねてきた悪行であったからだ。

確証もない情報を掻き集めて他者のことを勝手に分かった気になって、勝手に支配した気になって、その方が自分にとって都合がよく、安心できるものであったからそうしていただけのに。

なんのことはない、俺がやっていたことはあいつらとなんら遜色はなかったのだ。

気色の悪い自尊心。支配しているようで実はもっと大きなものに支配されている。

知らぬ間に勝手に他者を自分のオナニーに巻き込んで、画面の向こう側のCGの裸体を本物であると自分に言い聞かせた。

つくづく俺は自己暗示が好きなのだと実感する。それはもう反吐がでるほどに。

俺は反撃の術を持ち合わせていない。

今になってやっと気がついたが、俺はそういう人間だった。

やったらその分やり返される。そんなことは必定である。

単にその自覚が、覚悟が圧倒的に足りていなかったというだけのことだ。

それならば、甘んじて受け入れようじゃないか。

この地獄の連鎖をここで止めてやろう。因果の鎖を引きちぎってやろう。

俺がそれを一身に受け止めて、それでも尚毅然としている姿を刮目するがいい。

お前らを変えてやる。まずは手始めに俺からだ。

それが使命と無理矢理自分を納得させ、喧騒を推して立ち上がろうとした瞬間。

ガンッ!

何かが吹っ飛ぶような、大きな音が教室中に響いた。

「チッ、うるせぇなぁ!」

怒号が飛んだ。声の主は久礼田であった。

こいつガラ悪すぎだろ、、、。生まれる時代を間違えている。70年代に帰れ。

しかし、なんだか涙が出そうになった。

久礼田と付き合うようになって分かったことがある。

こいつは人と関わらないのではない。他人に迎合しないのだ。

こいつには譲れないものがある。そのためであれば他のものを二の次とする覚悟がある。

俺はこういうタイプの人間と接することがあまりなかったが、それだけは確かに分かった。

お陰で俺は精神的な余裕を少し取り戻し、出番は滞りなく終わった。

正直今回は久礼田に救われた。少し照れくさいが、後であいつには感謝の意を伝えなければならないだろう。

ひとしきり出番は一周し、最後は久礼田の番であった。

「俺はお前達が大嫌いです。仲良くする気は全くありません。今すぐ死んでください。」

空気が今日一凍りついた。こいつはただのキチガイかもしれない。

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