最終話 獅子

 次女がそのまま走り去って、四女はそのままどこかに行ってしまって。

 たぶん、外だと思うけど。

 私はそのまま死体の中に紛れて時間が経過するのを待つしかなかった。

 涙は出ない。

 これで終わりなのだと思いながら、限りなく骨に近い死体のことを、ただ眺めていた。

 体は動く、ただ動き自体は鈍くなっていると思う。あの殺し屋くんの遅効性の毒は本当に、静かにそしてゆっくりと私の体をむしばんでいく。それが分かるからこそ、今の自分にある、残りの寿命でできることを考えたのだ。

 あの牢獄の扉を開けて、分かるところにカードキーを置いて。

 そして。

 この死体の中に紛れて間もなく死ぬ。

 あの殺し屋くんには象なんて呼ばれ方をしたけれど、それも含めていいあだ名だと思っている。今は静かにこの群れの中にいて、周辺を穏やかに観察するほかない。

 まさに。

 まさに象だと思う。

 あの子は、何だろう。

 たぶんだけれど。

 白熊あたりが妥当だろう。

 心は割と冷たいし、狙った男を落とすハンタータイプだし。

 白熊というのがぴったりだ。

 どこかで、誰かの叫び声が聞こえる。それは、感染し、ほぼ体が死体になってしまったことによる嘆きなのか、それとも今になって感染が進むことで訪れた絶望についての叫び声なのか。

 それさえも、私には分からない。

 分かるはずもない。

 ただ、おそらくだけれど。

 その。

 所詮は象の頭で考えたことなのだけれど。

 たぶん。

 たぶんだ。

 外の世界はこの閉鎖された感染者しかいない空間に何かをしたわけではないんだろう。むしろ、何もしなくなったという事なのだと思う。

 多分。

 外の世界の方が先に滅亡したのだ。

 閉鎖された空間の中の空気の清浄や、感染の進行をにぶらせるワクチンを空気に混ぜて散布している、という噂を聞いたことがある。

 それらの供給が止まったのだ。

 そして。

 この感染者というものは、元々外の世界で発見されて、それが広まる前にと隔離されたのだ。

 あくまで、推測でしかない。

 この狭い世界こそ、本当の意味で、世界の全てだったのだ。

 外に出ても、たぶん何も変わらない。

 むしろ、この中の方が、まだ外の世界のように滅亡していない分、まともと言えるだろう。

 証拠は幾つかある。

 この閉鎖された空間は、そもそも感染者という最高のサンプルがある状態なので、そもそも中の人間を殺すという判断をするべきではない。

 この閉鎖された空間には、外の世界で有名な権力者たちの息子も何人かいるという。それらを政府が蔑ろにできる訳がない。

 たかを括ったような発言と言えるかもしれない。

 ただ。

 本当はもう一つ、有力な説がある。これは前々から分かっていたことだが、これが事実だと言い切れるわけではない。

 ただし。

 これがとても分かりやすい。

 この感染については、実は外の世界だけではなく、この閉鎖された空間内でも研究を独自に進めていた。これは極秘であったので、非常に狭い範囲にしか伝わっていなかった。

 それらを教えてもらえたのは、とても幸運だった。

 私の好きな相手がそもそも、研究員として働いていたことなどは、嬉しい誤算と言える。

 答えは、とてもシンプルだった。

 この閉鎖された空間内で蔓延しているウィルス、そして、この感染という現象。

 そもそも、だ。

 ウィルスによるものではなかった。

 これは。

 人間の体に起きた進化だった。

 地球の自然環境の変化に、人間の体内で何かしらの適応機能が働いたらしい。詳しいことは分からないけれど、これは、人間が今までの人間を捨てなければならないという、新しい生き方への示唆だったようである。

 ウィルスという表現がなされたのは、そのように体が変わった人間たちから本来人間の体内からは放出されない成分の混じった体液があったためだが、それに何か効果があるという事ではなかった。強いて言うなら、この体の変化を多くの人間の体にも起こすための切っ掛けのようなものを散布していた、ということに他ならない。

 それをウィルスというなら、それまでだけれど。

 私にはその違いについて論じるだけの頭はない。

 所詮、象だから。

 対比のように、白熊はきっと外に出てそれを知るのだと思う。

 この中が絶望塗れで、外の世界も絶望塗れ、という事ではない。

 そもそも、これが全てにおいて正常なのだと。

 常識の内部構造の変化であって、劣化ではないと。

 気が付くだろう。

 ただ、それでも、この閉鎖された空間の中で死体が多く出来上がっている事態を考えるに、やはり外の世界の人間は気が付いていたという事なのだと思う。

 そして。

 今、このように死んでいるのは。

 その急激な体の進化についていけなかった者たち。

 今この瞬間も、まともに生きている感染者、また、進化した人類は多くいるのだろう。

 ついていけない人間だけが淘汰されていく。

 人類にでもない、文化にでもない、生物としてでもない。

 ただ、遅いから、ただ鈍いから、遅れていく。

 また、どこかで叫び声が聞こえる。

 もしかしたら、そのことに気が付き、自分がまた進化したという喜びの雄たけびを上げているのかもしれない。

 顔を上げて、その声の主を見つめる。

 七女だった。

 もう。

 女ですらなかった。

 何か。

 違う何かだった。

 あれの姉妹だとは思えなかった。

「全員、生き残ったりして。」

 そんな独り言が漏れる。

 死のうと思っても死ねない。

 ここにある死体も所詮仮死状態で、体の進化と共に生き返るのかもしれない。

 もしも、これから。

 私以外の姉と妹たちが。

 誰に媚を売らなくとも生きていけるというのなら。

「お姉ちゃん。お姉ちゃん。」

 七女の声が響く。

 私は微笑む。

 全員を迎えに行ってあげなきゃいけない。

 むき出しの骨を地面に突き刺す様にして立ち上がり、手を振る。

 私の大好きなものと、これから大好きになるもので溢れている。

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