第99話 年末


 一つ、人相撲。

 人の姿で取る相撲。妖力は変化以外に使ってはならず、変化の際に意図して力や体格を増させることは厳禁、耳も尻尾も出さずに人の姿を徹底すること。


 二つ、獣相撲。

 獣の姿で取る相撲。妖力は一切禁止、人は参加不可能とする。


 三つ、無何有宿相撲。

 好きな姿でなんでも有りな、誰でも参加できるこの宿場町だけの相撲。妖力は好きなように使っていいが、相手への直接攻撃などは禁止、基本的に自らを強化する意図で使うこと。

 鬼も参加するため腕自慢に限る。


 と、これらが八房が決めた神前相撲の形式と規則だ。


 どの規則の最後にも共通の『勝ち負けを競うものではなく、皆で新年を祝い、楽しく盛り上がるためのもの』との文言があり……あくまで競技ではなく神事であることが強調されている。


 勝ち負けにこだわるのではなく、新年を祝う場を盛り上げて、誰あろう神様である八房に楽しんで貰えればそれで良し。

 そのために本気でぶつかり合い、ぶつかり終えたなら笑顔で笑い合う……八房が求めている神前相撲とはそういうものであるらしい。


 それでも一部の者は勝ち負けにこだわろうとするのだろうが、その場を取り仕切る行事を務めるのが八房であるために、その意向に逆らうのは難しいだろう。


 八房が考え出し、けぇ子とこまが書き留めて、善右衛門の確認と許可を経たそれは、ただちに複数枚の写しが作成され、立て札が立てられ、各種族の長の家に配られ……内容の周知が行われる。


 そうやって無何有宿を包み込んでいた賑やかな空気は、一段と賑やかなものになっていって……一段上の賑やかさと雪に包み込まれた無何有宿は年末を迎えることになる。




 日々の暮らしと、神前相撲の準備と、年越しの準備と。

 しんしんと雪が積もる中、大掃除までが始まって……冬とは思えない程の騒がしさと忙しさがそこら中に満ちていた。


 それは善右衛門の屋敷も同様で……、


「……大掃除とは言ったものの、誰もがまだまだ無何有宿に住み始めたばかり。

 妖術の力もある……そんなに苦労はしなさそうだな」


 と、着物をたすき掛けにし、手にした濡れ雑巾でもって、屋敷の柱を拭き磨く善右衛門がそう言うと、側で障子の張替えの支度をしていたけぇ子が言葉を返す。


「確かに妖術を使ってしまえば楽なのでしょうが、こういうのは気持ちの問題ですからね、妖術に頼らず自らの手で行う者がほとんどだと思いますよ。

 張り替え用の障子を用意したり、掃除道具とかを用意したりに妖術を使うことはあるかもしれませんが……実際にそれを行うのは自らの手で。

 ……そうやって人の生活に慣れておかないと、人の世に馴染むなんてのは夢のまた夢ですからね」


 その言葉を受けて、これまたすぐ側で茶碗を一つ一つ丁寧に、布巾でもって磨いていたこまが声を上げる。


「わたくし達狐も、暖を取る為、煮炊きの為の火起こしの際には、なるべく妖術に頼らないようにしております。

 だんだんとそれが当たり前になるように……誰もが自然とそれを受け入れられるように、今から努力していきませんとね」


 二人のその言葉に対し善右衛門は「なるほど」とだけ返し……大掃除を再開させる。


 妖怪達が人の世に馴染もうと、そういった努力をしているのだ。その模範となるべき自分は更に数段上の努力をする必要があるだろう。


 無何有宿の住まう妖怪達に恥じることの無いようにと真面目に、丁寧に屋敷中を磨き、綺麗にしていく。


 ……と、そうやって善右衛門達が大掃除に勤しんでいると、神社にでかけていた八房が足早に帰宅してきて、居間の火鉢の方へと駆けていく。


 そうして火鉢の熱に当たり、ほふぅっとため息を吐き出し、ゆったりと畳の上に寝そべり、尻尾をゆらりと揺らす。


 その姿を掃除しながら眺めた善右衛門は、その手を止めずに声をかける。


「……どうだ? 神前相撲の準備は順調か?」


 神前相撲の規則を決めて、行司まで務めることになった八房は、ここ数日その打ち合わせのために真神神社へと通い詰めていた。


「ひゃわわん!」


 首をもたげてそう返した八房は……またぱたりと首を寝かせて、畳と火鉢の温かさに没頭する。


『しっかり進めている、何もかもが順調』


 そんな意味が込められていたらしい八房の一言に、不承不承なが頷いた善右衛門は、大掃除を再開させるが……すぐに八房のことが気になってしまい、またも声をかけてしまう。


「……何か手伝うことはあるか?」


「ひゃわん!」

『無い!』


 と、そう言ってくる八房に、善右衛門は「むう」と唸り返す。


 肝心要の、神社の御神体である八房がそう言っているのだ、素直に納得したら良い話なのだが……善右衛門にとって八房は、神であると言うよりも飼い犬……我が子のような存在だ。


 しっかりとその仕事を全うできているのかが気になり、奉行としてやることが無いことがどうにも引っかかり、落ち着かぬ心持ちに包まれる。


 だがこれ以上何かを言えば八房は怒ってしまうに違いない。

 そうして善右衛門は喉からでかかっている言葉を飲み込んで……なんとも落ち着かぬ心持ちで年越しの時を迎えるのだった。

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