第95話 奉行と僧侶の問答
翌日。
早速熊とみみずくの不和をなんとかしてやろうと善右衛門は、遊教と八房を連れて町の中を歩いていた。
散歩気分で足取り軽い八房と違って、いきなり呼び出されて突然仕事を手伝えと命じられた遊教は、なんとも不機嫌そうな表情をしていてその足取りも重く……そんな不満を込めた声を善右衛門に向けて吐き出す。
「……奉行ってのは事が起きてもいないのに、わざわざ出向いて余計な口出しをするものなのか?」
そんな言葉を受けて足を止めた善右衛門は、当然だろうとばかりに頷き、言葉を返す。
「勿論だ、悪事をしようと企てているものがいたなら取り押さえるし、不和が生まれつつあればそれを鎮めもする。
治安維持や災害への備えも奉行の立派な仕事のうちだ」
「なるほどねぇ。
……で、拙僧に一体どうしろって?
一つ言っておくが善右衛門……昨日の仕打ちをまだ忘れちゃいねぇからな」
「俺はとうに忘れたし、お前達の夫婦仲を思ってのことだ、諦めて受け入れろ。
そしてお前に何をして欲しいかだが……みみずく達の下へ言って話を聞いてきて欲しい。
今回の不和のことと、それとは別に何か不満に思っていることはないか、奉行に何かして欲しいことはないか……この辺りをじっくりとな」
「……その程度のことならお前が直接行けば良いじゃぁねか。
わざわざ拙僧を巻き込むんじゃぁねぇよ」
「俺は俺で熊達の話を聞かねばならないし……遊教、お前はみみずくの妻を娶ったみみずくの一門とも言える男だ。
一門の仲間が相手であれば口も軽くなることだろうし、話も盛り上がるに違いない。
みみずくと熊の間で揉め事が起きたなら、お前としても居心地が悪くなるものだろう。そうなる前に話を聞くくらいはしてくれても良いのではないか?」
「……筋としちゃぁ通っているがな……。
で、話を聞いてその後はどうするんだ? 拙僧が説法でもしたら良いのか?」
「お前がしたいのであればそれでも構わないし……したくないのであればそれでも構わん。
……こういった不和や不満というものは往々にして話を聞いて貰えればそれで解消するものだ。
とりあえず話を聞いてみて、そこに大きな問題があるようなら解消のために動くが……今回の件程度のことであれば、そうする必要も無いだろう」
「そういうものか?
種族の違いってぇのはそんな簡単なもんでもないと思うがねぇ」
「それはその通りだが……そもそもその違いを受け入れられないのであれば、どうしてこの無何有宿に住もうと思ったのだという話になるだろう?
人と妖怪という、種族の違いよりもずっと大きな垣根を越えようというのがこの無何有宿の抱える大目標だ。
そのことを思えば、熊とみみずくの違いなど些細なこと。そのくらいのことはさっと受け入れて、自分達の心のうちで飲み下してもらわねば困る。
……もし仮にその程度の度量も持てないと言うのであれば……どうあれこの先に起きるだろう変化の中を生き抜くことは出来ないだろう」
「……おお、怖い怖い。
お奉行様はお釈迦様がそうしたように、優しく導くことはしてくださらねぇんだな」
「お門違いも良い所だ。
そんなものは奉行の仕事ではないし……自ら歩んでいけないというのであれば、それこそ仏にでも頼ってしまえば良い。
俺はこの無何有宿と町民達には成功して欲しいと思っているし、明るい未来があるようにと、福があるようにと願っているが……それを成すのは町民達自信でなければならないとも思っている。
そうでなければ新しい時代の変化になどついていけないだろう。
……お上が全てを決めてくれる、お上に従っていればそれで良い、お上が道を間違うはずがないなんてのは幻想だ。
今の幕府でさえいつまで続いているのやら、分からんのだからな」
善右衛門のその言葉に遊教は目を丸くして大口をあける。
大口をあけて呆然とし……そうしてから善右衛門へと笑い混じりの言葉を返す。
「おいおい……お前は仮にもその幕府の一端だろうに」
「そうは言うが録がまともに支払われてないのだからな、幕府も忠義もあったものか。
……それに今の俺の立場は神に下賜されたもの……あえて俺の今の立場を言葉にするなら『神職』とすべきだろうな」
その善右衛門の言葉を受けて、足元の八房が「ひゃわん!」と鳴く。
尻尾を激しく振りながらのその一鳴きは、善右衛門の言葉を歓迎しているようであり、肯定しているようであり……それを見て遊教は、そう言えばここにも神がいたかと、なんとも言えない表情をする。
そうしてからしばしの間悩みこみ……うんうんと唸った遊教は、手にした錫杖をしゃんと鳴らしてから、
「ならまぁ、拙僧としてもはりきるしかねぇなぁ。
神職にでかい顔をされて、拙僧の居場所が無くなるようじゃぁ困っちまう。
家庭を持つことになった以上は、無駄飯ぐらいにならない程度には働かねぇとな」
と、そんな言葉を口にする。
そうして善右衛門と八房は熊達の下へと、遊教はみみずく達の下へと足を向けるのだった。
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