第88話 覚悟を決めて その1


 熊の若き男女と。

 善右衛門と、けぇ子とこまと。

 遊教とみみずくの娘と。


 まさかの合同祝言となって、急遽会場となった真神神社は、以前の祭りを思い出すような華やかさと賑やかさに包まれていた。


 神社には御神体を務めることになった八房が鎮座し、その隣には厠神の為の席も用意されて、それらを囲うように新たな夫婦達の席が設けられて、無何有町の町民全員の席も用意されて。


 まさに町を挙げての大祝宴といったその様は、以前の祭りの規模をゆうに超えていて……声のかかった山の目達の姿もそこにはあった。


 ……そして神社の境内の少し離れた場所には、鬼であるうらの席も用意されていて、そこに置かれた華やかな料理の数々を口にしながら、うらもまたその祝言を心から祝っていた。


 鬼であるうらの存在は未だに恐怖の象徴であり、妖怪達も山の目達も、木々の間から現れたその姿を見た時には半狂乱といった有様だったのだが……『此度の祝言はただの祝言にあらず、この真神と厠神と団三郎狸の加護を得た、妖怪達の新たな門出を祝うものでもある』との八房の言葉と、八房、厠神の二柱から施された一段強い封印が、どうにかその禍々しさと恐ろしさを押し留めて……そうして妖怪達はうらの存在を受け入れられるようになっていた。


 鬼だ妖怪だ人だのという生まれの違いは、最早古い時代の古い慣習となりつつある。

 これからは新しい時代を生きる、新しい存在となれねばならないのだ。


 そうした考え方も鬼という存在を受け入れる一助になっていたのかもしれない。


 うらはうらで、初めてみる摩訶不思議な、驚くほどの数の連中に囲まれて、見たこともない華やかで賑やかな雰囲気に包まれて、混乱の境地を極め、内心では泣き出す程であったのだが……美味しい食事を前にして、それらの気持ちの全てが吹き飛び、ただただ黙々と自らの席に盛られた食事に手を伸ばし続けていた。


 そして……そんな祝福の空気の中で、ただ一人浮かない顔をしていたのは、この地に赴任することになり、逃げようにも逃げられなくなり、奉行である善右衛門にとどめをさされた遊教であった。


 黄色を基調とした華やかな花嫁衣装を身にまとったみみずくの若き娘が隣でもたれかかる中、浮かない顔をし、暗い顔をし、急遽用意した祝言用の袈裟を身にまとい、


「我が世の春もこれまでか……」


 と、そんなことを呟きながら杯に注がれた酒をぐいと飲む。


 熱い流れが喉を通り過ぎ、腹を焼いて気分を高めようとするが、酒であっても勝てないその暗い気分が、遊教の顔色を何処までも悪くしていく。


 誰もが笑顔で喜んでいて、熊の若き夫婦達も心の底から今日と言う日を楽しんでいて、遊教以外にそんな顔をしているものなど一人も存在していないのだが、それでも遊教はお構いなしに暗い顔をし続ける。


 そんな中、遊教の背後に一人の男が仁王立ちになる。


 代々の家紋の入った紋付袴に、各妖怪たちが作ってくれた花を模した飾りを付けて、これまた飾りをつけた鞘を腰に差して……。


 その男は「ふんっ」と荒く鼻息を吐き出してから遊教の背後にしゃがみ込むと、右手を大きく振り上げて、


「往生際が悪い! 覚悟を決めて良き夫婦になることをまず考えろ!」


 とそう言って、その右手でべしんと遊教の背中を叩く。


 その痛みを受けて振り返った遊教は、あれこれと文句を言おうとする……が、その文句を抱いた小さな怒りとともに腹の奥底へと呑み込む。


 背後の男こそは本日の主役……二人の妻を娶ることとなった暖才善右衛門だ。


 誰よりも覚悟を決めて、誰よりも率先して、ある意味で誰よりも大変な立場で邁進しているその男に一体どんな文句が言えるのか。


 『お前に俺の気持ちが分かるものか』とも『他人事だと思いやがって』とも言えない。


 誰あろう暖才善右衛門こそが、今日の祝言の当事者であり主役だったのだ。


 本来の主役であるはずだった、熊の夫婦さえもがそのことは認めていて……むしろ同じ日にそれ程の吉事を祝えることを素直に心から喜んでいて……そんな中で遊教が文句を言うことなど出来ようはずがなかった。


 そうして遊教は諦めのため息を大きく吐き出して……杯を置いて隣に座る妻の手を取り、その手をそっと握り妻へと微笑む。


 それで妻の方も想いを感じ取ったのだろう、新たな夫婦が静かに微笑む中、善右衛門は自らの席へと……けぇ子とこまの間にある席へと足を進める。


 けぇ子は白無垢、こまは紅の色打掛。


 紅白に挟まれることになる善右衛門は、何も言わず静かにその席に腰を下ろすのだった。

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