第87話 年貢の納め時



 翌日。

 善右衛門達の祝言が決まって、無何有宿はにわかに活気付き、いつにない歓喜に満ちあふれていた。


 狸達や狐達は勿論のこと、他の妖怪変化達も祝言が決まったことを喜んでいて……聞き及んだ団三郎狸の言葉を不安に思う気持ちがありながらも前向きに、新たな妖怪達の未来を真摯に見つめて祝言の準備に励んでいた。


 そんな中、善右衛門は自らの祝言で活気づいている町中を歩くのはどうにも憚られてしまい、朝からずっと屋敷の中の自室に籠もって時を過ごしていた。


 自室に籠もったところで何かすることがある訳でもないのだが、それでも外を出歩くよりは良いだろうと、八房を撫でたり書類仕事をしたりしていると、そこに何者かがどすどすと廊下の床板を踏みしめながらやってくる。


 その気配から遊教であろうことを察した善右衛門が、遊教に笑われるのを覚悟して待ち構えていると……戸を開けて姿を見せた遊教が、


「……笑えねぇよ」


 との一言を口にして一枚の紙をばさりと、自室の机に向かっていた善右衛門の方へと放り投げてくる。


 その紙をはっしとつかみ取り、一体何の紙なのやらと確認をしてみると、それは遊教に宛てられた命令書の類であるようで……何処ぞの高僧から遊教に対しいくつかの命令が下ったようだ。


「……随分と持って回った文章を書くのだな、この御仁は。

 ……それで結局この手紙はお前に何をしろと伝えているんだ?」


 その内容の全てを理解出来なかった善右衛門がそう問いかけると、畳にずばんと腰を下ろした遊教が、自棄混じりの態度で言葉を返してくる。


「お前と同じだ! 善右衛門!


 この地に赴任し、この地を僧として管理し……そしてゆくゆくは妖怪を娶ってみるのも良いのではないかと、そんなことを言ってきやがった!

 お偉方は九尾の顛末もうらのことも、そして件の団三郎殿のことも何もかもお見通しであったようだな!!」


 鼻息荒くそう言ってくる遊教に、こくりと首を傾げた善右衛門は、思ったことをそのまま言葉にする。


「……一体何が不満なんだ?

 元々この地に赴任しているようなものであったし……妖怪を娶ることについても、以前けぇ子やこまに対し良い女だのと言っていたことを思えば、問題無いことだろう」


「馬鹿なことを言うな! 善右衛門!!

 この拙僧は良い女と遊ぶことは大の好物としているが、所帯を持つことは大の苦手……いや、嫌っていると言っても過言ではないのだ!

 以前と言うのであれば、それよりも更に前にその辺りのことを理由に刀傷沙汰にまでなったことを忘れたか!

 この手紙は、文章としてはあくまで勧めているような体だが……実質的には強制力を持った命令に等しいものだ!

 よりにもよってこの拙僧に所帯持ちになれと命じるとは……一体上は何を考えているのだ!?」

 

 そう言って拳を握り、畳の上に叩きつける遊教。


 それを見てなんとも迷惑そうに顔を歪めた善右衛門は……少しの間、ほんの刹那の間考えこんで、なんとも面倒くさそうに言葉を漏らす。


「……確かみみずくの一族に、見目麗しい娘がいたはずだぞ」


 そう言えば遊教がその娘の下へと飛んで行くと考えていた善右衛門だったが……意外にも遊教はそうせずに、立ち上がりもせずに善右衛門のことを睨み続ける。


 睨んだまま沈黙し、沈黙したまま時が流れて……最後面倒くさそうな表情をした善右衛門が口を開こうとすると、そこでようやく遊教が返事をする。


「その娘であればもう口説いた」


「……おい」


「安心しろ、まだ手は出してない」


「おい」


「……文句を言いたいのはこちらの方だぞ、善右衛門。

 ちょっとした遊びのつもりで口説いたのに、お前の祝言のことがあったせいで向こうが本気になってしまっているのだからな。

 仕方なしに僧侶であることを理由に拒否しようとしていたら、この手紙が来てしまってな……」


「……おい」


「いや、言いたいことは分かるぞ、善右衛門。

 確かに八方塞がりではあるが、まだ手が無い訳でもないからな。

 相手が本気になってしまっているのなら、その本気を失わせてしまえば良いだけのこと……何度か浮気でもしてやれば、きっと愛想を尽かしてくれることだろう」


「……遊教、奉行としてそんな真似は許さんぞ。

 一度似たようなことをやらかしているのにも関わらず、またぞろ、しかも意図的にそんな事件を起こそうものなら、それは重罰に値する行いだ。

 それこそ島流しとなっても文句を言えないもので……もし仮にそうなった場合、流され先の島にいるらしい、団三郎狸は何を思うのだろうなぁ?」


 遊教のあまりにもな言葉の数々に苛立った善右衛門が、嫌がらせまぎれにそんなことを言うと、遊教はぴしりと硬直し、物凄い目でもって善右衛門を見やり……震える瞳でもって救いを求める。


 その目をじっと見返した善右衛門は……お前も道連れだ、潔く諦めろと言わんばかりの態度でその首を、なんとも力強く左右に振るのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る