第68話 洞窟を前にして
無事に遊教と合流し、再びあの大洞窟の前へと立った善右衛門が、洞窟の奥へと視線をやりながら(さて、どうしたものか)と、頭を悩ませていると、身を固くして緊張を顕にしている遊教がその身を寄せて来ながら、小さな声をかけてくる。
(で、どうするよ?
流石にこの中に入っていくってのは間抜けが過ぎるぞ、どんな罠があるやら分かったもんじゃねぇからな。
そうなると後は毒草を混ぜた狼煙で燻し出すとかになるか?
そうしてやった上で待ち構えて二人がかりでもって一気に討ち取る……うぅん、悪くねぇかもしれねぇな)
そんな言葉に対し首を左右に振った善右衛門が、小さいながらもしっかりと力の籠もった声を返す。
(俺は堂々と奉行が来たと声をかけてみようかと考えている。
そもそもここに居るのが何者であるかも分からないのに、いきなり燻し出すだの、討ち取るだのは少しばかり乱暴に過ぎるだろう。
悪人相手であればそれも良いのだろうが、ここに居るのはまだ何者かも分からぬ、悪か善かも分からぬ謎の存在だ。
……まずはそこを明らかにしなければどうにもこうにも話が進められん。
ゆえにこちらが何者であるかを明らかにした上で、お前は一体何者なのだと問いかけるべきだろう)
そんな善右衛門の言葉に対し、遊教は驚愕の色をいっぱいに浮かべての慌てふためいた様子で、善右衛門に食ってかかる。
(お、おいおいおい!?
まずは相手の正体を探ることから始めるってのには拙僧も賛成だが、いきなり名乗りを上げるってのはどうなんだ?
奇襲の機を失うだけでなく、相手に逃げ隠れする猶予を与えることになりかねん。
奉行としちゃぁそりゃぁ堂々と名乗りてぇんだろうが……いくらなんでもそれは愚策にも程があるだろう)
(……とは言え俺は奉行だ。その正道から外れてしまう訳にはいかん。
奉行による改めであると宣言し、相手に神妙にお縄につく余地を与え……その上で抵抗するのであれば刀でもって応える。
……そこが本当に悪人の家であるかも分からぬのに、いきなり毒狼煙を投げ込んでくる奉行など、存在してはならんのだ)
そう言ってしっかりとした眼でもって、遊教の目を見つめる善右衛門。
その眼には確かな力が込められていて……遊教は思わずその眼に負けかけるが、いやいや、相手が鬼だぞ、あの悪鬼だぞと踏みとどまって、こちらも譲らないとの眼を返す。
そうして善右衛門とにらみ合うことになった遊教は……そのにらみ合いが中々終わらないことに焦れて声を上げる。
(……相手は恐らく人ならざる妖怪変化……獣とそう変わらないような相手じゃねぇか。
人の世の法など守る必要はねぇ、好き勝手にやりゃぁ良いんだよ)
そんな遊教の言葉を受けて、きつく眉を上げて顔を厳しく顰めた善右衛門は、
(……その妖怪こそが、俺が守るべき町民なのだ)
と、腹の底から振り絞った声を返す。
もしこの洞窟に隠れている者に対し、妖怪であるからと無法を働ければ、それはつまり妖怪を町民と……隣人とは認めぬと、そう宣言することに他ならない。
あの町に住むけぇ子やこま達を町民として認める以上は、ここに潜む者に対しても、同じような態度でもって挑まなければ、筋が通らず道理が許さず……何より奉行としての己が許さないことだろう。
法を守り、民を……妖怪達を守る奉行として、ここを譲る訳にはいかないのだ。
(……遊教、お前も坊主として譲れないことがあるだろう。
これもそれと似たようなものだと思って受け入れてくれ。
……もし受け入れられないと言うのであれば、この場から立ち去ってくれても構わん)
その言葉には今まで以上の、強く確かで頑固な力が込められていて……その言葉を受け止めた遊教は、ため息を吐きながらその坊主頭をがしがしとかきむしる。
そうして何も言わず、立ち去りもせず、ただ錫杖を構えていざという時に備える遊教を見て……善右衛門は目礼をして感謝を示し、大きく息を吸って大きな声を洞窟の中に向けて吐き出す。
「俺はこの辺りを任された町奉行、暖才 善右衛門だ!
この洞窟の中に住まう者よ! ここから少し行ったところに置かれていた殺生石の件について話がある!
神妙に顔を見せ、名乗りを上げ、改めに応えるが良い!
……もし改めに応えないのであれば、事が事だ、こちらとしても少々手荒い手段に出ざるを得ない!
そのことをとくと考えた上で、十を数える間に答えを出すが良い!!」
「ひゃわーーーん!!」
そんな善右衛門と、善右衛門を真似たらしい八房の声に、遊教が「たった十しか猶予を与えねぇのかよ」と小さく笑っていると、善右衛門達の声が響き渡る洞窟の奥から、重く響くなにかの足音が聞こえてくる。
「……おいおい、善右衛門も馬鹿なら、相手も馬鹿かよ。
まさか素直に応じやがるとはなぁ……」
遊教がそんな呆れ交じりの言葉を吐き出す中、洞窟の奥から……その長身巨躯に毛皮を巻きつけた、赤い肌の頭に角を生やした大化物……『鬼』が姿を現すのだった。
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