第67話 追跡


 翌日の早朝。


 神社を通りすぎて山の奥へと足を進めて……そうして見えて来た件の足跡を追って進み、その足跡が途切れた一帯で。

 大太刀を腰紐に差した善右衛門と、ふんふんと鼻を鳴らす八房と、返却された錫杖を手にしながら大きな風呂敷包みを背負った遊教は、足跡周辺の調査を始めていた。


 善右衛門は周囲に視線を巡らせて他に何か痕跡が無いかと探り、八房はきつい臭いの残る中、他の臭いを懸命に探り、足跡の前にしゃがみこんだ遊教は残っている足跡を一つ一つを丁寧に調べていって……そうしていくらかの時が過ぎて、最初に声を上げたのは遊教だった。


「この足跡の主は相当に賢い奴のようだな」


 足跡中央の土を手で掬い取り、その臭いを嗅ぎながらそう言う遊教に、善右衛門は首を小さく傾げながら言葉を返す。


「どうしてそう思う?」


「……何日か経ってるってのに未だに残っているこのひでぇ臭い、腐らせた魚に酢や酒、煙草なんかを混ぜ込んで作り出したもんに違いねぇ。

 いかにも犬が嫌うような……おいぬ様が嫌いような臭いを混ぜ合わせて足に塗り込んで、おいぬ様に追跡されることを露骨に嫌っていやがる。

 人間……野盗や野伏にしちゃぁ手が込みすぎていて、動物変化の妖怪がやることでもねぇな。

 おいぬ様の神社が近くにあると知っていて、追跡される可能性を考慮した上で、こんなものを用意したって訳か?

 ……一体何者なんだ、こいつは」


「鬼ではないのか……?」


「なんとも言えねぇな。

 鬼ってのは犬以上に鼻が良くてな、きつい臭いを何よりも嫌っているんだ。

 こんなひでぇ臭いを自分の足に塗りつけるなんざぁ、鬼にとっては苦痛で仕方ないだろう。

 ……だが、くせぇからといってそれで鼻が潰れたり、何かしらの害があったりする訳でもねぇからな。

 臭さに耐えながら使っているという可能性もあるにはあるな」


「……ふむ。

 ならばどうする、他にこれといった痕跡は無いようだが」


「……そりゃぁまぁ、更に奥へと進んでみるしかねぇだろうなぁ。

 ここまで手の混んだことをしている相手だ、罠だの何だのを警戒すべきだが……だからといっていつまでもここに留まっていても仕方ねぇ。

 善右衛門、お前はおいぬ様を抱えて後ろに立て、拙僧が前を行く……拙僧なら咄嗟の事態にも対応できるし、いくつかの策もあるからな。

 ……お前は鼻が効かねぇおいぬ様をお守りすることに注力しておけ」


 そう言って遊教は背負った風呂敷包みの中から大きな数珠を取り出し、それを首から下げてからすっと立ち上がり……堂々とした足取りで、途絶えた足跡の先へと進もうとする。


 ―――と、その時。

 そんな遊教を見てなのか、善右衛門に抱えられていた八房が、


「ひゃわわん!」


 と、吠えてから善右衛門の手を振りほどいて地面へと降り立つ。


 そうして足跡の横に立った八房は、わざと足跡が残るように、力いっぱいに地面を踏みしめながら歩いて……数歩進んだ所で立ち止まり、出来上がったばかりの自らの足跡を踏み返しながら後退し始める。


 そうやって二歩、三歩と後退した八房は、そこからぴょんと飛び跳ねて善右衛門の着物へと飛びつき、着物にがっしがっしと爪を立てながら善右衛門の体を駆け上がる。


 駆け上がり善右衛門の腕の中へとすとんと戻った八房は「ひゃわん!」と一吠えして、遊教と善右衛門に「分かったか?」と言わんばかりの得意げな顔を見せつけてくる。


『……なるほど』 


 と、その様子を見て異口同音に呟いた善右衛門と遊教は、途切れた足跡の先ではなく、数歩後退した辺りの足跡の周囲へと視線をやり、今しがた八房がやってみせたような跳躍の痕跡が無いかと目を皿にし始める。


 そうして足跡から大股にして五歩程進んだ先の地面に、何か相当に重いものがどすんと降り立ったかの如く、大きな凹みが出来ていた一帯を見つけた善右衛門が、


「ここか?」


 と、一言呟く。


 足跡消す為にそこに毛皮か何かを敷いたのだろう。

 その大きな凹みには何本かの猪か何かの毛が残されていて……それを見た遊教は深く頷いて、そこから続く痕跡が何か無いかと探っていく。


 そうして痕跡を見つけては先に進み、先に進んでは痕跡を探しと繰り返して……山の奥へ奥へと進んだ善右衛門一行は、それらの痕跡の先……山肌が崖のようになっている一帯へと辿り着く。


 その崖は反り返っているために登るには適しておらず、崖に沿って右か左かに進んだに違いないと当たりをつけた善右衛門と遊教は、善右衛門が右に、遊教が左に進む形で別れて、更なる痕跡が無いかと探り進む。


 そうやって壁沿いに進みながら。その視線を左右上下に巡らせていった善右衛門は……数十歩程進んだ先で、あの足跡の主でも悠々と入れるに違いない大きな洞窟を発見し……遊教と一旦合流するため、音を立てぬようにと気配を出来る限り消しながら、来た道をゆっくりと戻り始めるのだった。

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