第63話 決意
青白い顔をし、落ち着かない様子で右を向き、左を向き、両手をわなわなと空中に漂わせてその混乱っぷりを表現したけぇ子こまは、次の瞬間にはぼふんと音を立てて狸と狐の姿に戻ってしまう。
そうして狸姿、狐姿で両手を振り回しながら右往左往し始めたけぇ子達を見て、善右衛門は至って落ち着いた様子で、
「二人共、落ち着け」
と、短い言葉をかける。
それでどうにか、右往左往しない程度には落ち着けたけぇ子達が、善右衛門に向けてなんとも切なそうな、救いを求めるような目を向けると、善右衛門は膝を折ってしゃがみながら二人に向けてゆっくりと、静かに声をかける。
「あくまで仮の話だ、そうまでして慌てる必要は無いだろう。
もし本当に鬼が居たとしても、遊教のやつが施してくれた鬼祓いが町を守ってくれることだろう。
それと、けぇ子が以前歌っていた、鬼祓い歌……だったか? あれもあるではないか。
鰯と……それと大豆だったか? それらを商人から仕入れて、対策としたら良い。
後は確か南天の実がどうとか、そんなことを言っていたな?
……南天の実であれば、俺が山から取ってきてやるから、兎にも角にも落ち着くと良い」
善右衛門のそんな言葉を受けて、失っていた己を取り戻したらしいけぇ子とこまは、力を取り戻したその瞳で善右衛門のことをしっかりと見つめて、そうして善右衛門の足元へと近づき、着流しの裾へとがっしりと抱きつく。
獣の爪を器用に使ってがっしりと、絶対に逃さない、何処にも行かせないといった様子を見せる二人に、善右衛門は驚きながら困惑交じりの声を上げる。
「な、なんだ、一体どうしたというのだ?」
「駄目です~、今の山に行っちゃ駄目です~」
「刀も持たずにそんな危ない真似、お止めください……」
いやいやと首を振りながらのけぇ子と、ぐいぐいと顔を押し付けながらのこまはそう言って、まるで子供になってしまったかのような態度を見せてくる。
大昔に滅んでしまったという『鬼』。
それはかつてこの地に住まい、人と獣を相手に暴虐の限りを尽くしたそうだが、それはあくまで過去のこと。
実際にその目で見た訳でもなく、ただ話に聞いただけであろう存在をどうしてそこまで恐れるのか、二人の中の何がそうまでさせるのかと、善右衛門が訝しがっていると、事の成り行きを見守っていた八房が、
「ひゃわん! ひゃーわん!」
と、そんな声を上げる。
その声に一体どんな意味が込められていたのか、善右衛門には分からなかったが、けぇ子とこまには通じたようで、渋々といった様子で二人は善右衛門を開放する。
「うううう、そうですよね、あくまで仮の話ですよね。
お、鬼なんて居ないのかもしれないし、仮に鬼が本当に居たとしても対策はちゃんとありますものね」
「はい、はい、はいいい。
だ、大丈夫です、大丈夫でございます。
ご先祖様が残してくれた知識が、血の中で騒いでおりますが、なんとか大丈夫でございます」
善右衛門を開放したものの、尚も少しの動揺と混乱を残しながらそんなことを言う二人を見て、善右衛門がどうしたものかと困り果てていると、八房が「ひゃわん!!」と一鳴きする。
その一鳴きに一体どんな意味が込められているのかと、善右衛門が口を開き、尋ねようとすると、それよりも早く、けぇ子とこまが声を上げる。
「ぜ、善右衛門様、八房ちゃんはこう言っています。
人は教えを言葉で伝え、獣は教えを血で伝える、と。
わ、私達獣の中を流れる血には先祖からの教えが込められておりまして……その教えが私達にこうさせてしまうのです。
『危ないものを恐れよ、危ないものには近付くな、危ないものからはすぐさま逃げよ。
特に鬼には近付くな、鬼を恐れよ、鬼を滅せよ』
……私達は歌とか言葉でも教えを伝えますが、血での教えはそれらとは全くの別格で、意思や気持ちではどうにもならない、獣としての宿命のようなものなのです」
「お、鬼はわたくし達の天敵であり仇敵であり怨敵です。
このわたくし達というのは、この地にすまう、全ての鳥獣変化のことでして……今頃山の目達も、仮の話ではあると分かっていながらも大騒ぎとなってしまっていることでしょう」
そんな二人の言葉を受けて善右衛門は、ただの推測で余計なことを言ってしまったかと、己の頭をぱちんと叩いて、襟首の辺りをがしがしと掻く。
そうして厳しく引き締めた表情となって、すっくと立ち上がった善右衛門は、鬼が本当に居るにしろ居ないにしろ、自分がなんとかしなければいけないなと、そんな思いを心に強く抱くのだった。
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