第62話 足跡
山から帰ってきた善右衛門達の下へと駆けていって、塩袋を懐から取り出し、善右衛門達の体を清めようとしたけぇ子とこまは、すぐ側まで行ってようやく、善右衛門と八房の顔が、渋く苦く歪んでしまっていることに気付く。
魚の骨を喉奥に引っ掛けたようなその顔に、何事かあったのだろうかと訝しがったけぇ子達は、ゆっくりと口を開く。
「あの……善右衛門様? 山で何かあったのですか?」
「八房様までそんな顔をされるとは……」
そんな二人の言葉を受けて善右衛門は、更に渋く苦く表情を歪めてから言葉を返す。
「……足跡があったのだ」
善右衛門のその言葉に、けぇ子とこまは異口同音に『足跡?』とそう言って、同時に首を傾げる。
「ああ……裸足の、人の足のような足跡で、余程の巨躯なのか、俺の二倍か三倍の大きさはあろうかという、そんな足跡だ。
殺生石のあった辺りから更に奥へと進んだ山肌にあったその足跡は、山の更に奥深くへと続いていてな……何処に向かっているのか追跡をしてみたのだが、僅かに進んだ先で綺麗さっぱりと途切れてしまっていた。
ならばと八房の鼻に頼ろうとしたのだが、足跡から漂う臭いがあまりにも臭過ぎて八房の鼻であっても追跡は出来んそうだ」
善右衛門がそう言うと、余程に酷い臭いだったのだろう、その時のことを思い出した八房が、地面に伏して前足でもって己の鼻を抑え込み、渋面を極めたという表情となって「くふぅん」と情けない声を漏らす。
「ただの足跡であれば放っておいても良かったのだが、あの大きさはどうにも捨て置けん。
……それと、もしかしたらの話になるが、あの足跡の主、殺生石に接触したかも知れんぞ」
「え? え? 殺生石に、ですか?」
「……それはまたどうして、そういったお考えに至ったのでしょうか?」
続く善右衛門のそんな言葉を耳にしたけぇ子とこまは、心底驚いたという表情となって、そんな言葉を返す。
「……遊教との事を終えて殺生石を改めて見た時、どうにも縮んでいるような、何かが足りないようなそんな違和感を覚えたのだ。
遊教が殺生石に触れた際と、俺が殺生石と相対した際の力の差というか、在り方の差も気にかかっていた。
遊教には紛うことなき美女に見えて、俺にはただのもやにしか見えなかった。
……それは俺と遊教の心のあり方が原因なのか、それとも俺が遊教とやりあっている間に、殺生石が力を失うような何かがあったのか。
……俺が遊教とやりあっている間に、あの足跡の主が殺生石へと近付いて、殺生石を砕いてその一部を持ち去り、結果殺生石の力が弱まったのであれば、色々と納得が行くのではないかと思ってな」
確かにそう考えれば納得の行く話ではあるが……だがしかし、八房と縁近い善右衛門であっても砕くのに苦戦した殺生石を、果たして何者が砕けるというのだろうか。
そんなことが出来るのは力を取り戻した八房のような『神』以外には考えられないが、仮に殺生石を砕いたのが神であるならば、そのままそこに殺生石と瘴気をそのまま残していく訳がない。
……と、そんなことを考えたけぇ子とこまは、今回ばかりは善右衛門の勘違いではないか、考え違いではないかと、そんな言葉を口にしようとする……が、それよりも早く善右衛門が言葉を続ける。
「けぇ子、こま。
人よりも大きく、人のような足で、裸足であるき、殺生石をも砕けるような力を持った何者かに心当たりはないか?」
そんな言葉を受けたけぇ子とこまは、己の喉元まで上がって来ていた言葉を呑み込んで、善右衛門の言葉に応えるべく、頭を悩ませる。
そうしていくらかの時間が過ぎて、どうにか一つの答えを考えだしたけぇ子が、首を右へ左へと傾げながら声を返す。
「えぇっと……裸足で巨躯で、足跡を残すと言われて最初に思いつくのは『だいだらぼっち』様ですかね。
国作りの神々の眷属で、巨躯で裸足で、野原を作り、川を作り、山を作り出すという神にも等しい力を持つ巨人です。
……ただ、だいだらぼっち様程の神性を持つお方なら、瘴気と殺生石をそのままそこに残していく訳が無いですし……うーん?」
そんなけぇ子の言葉に続いて、こまが声を上げる。
「……だいだらぼっち様は、山をも超えるという巨人ですし、善右衛門様の二倍三倍の足跡ということは無いでしょう。
わたくしが一番に思いついたのは、やはり『鬼』でしょうか。
鬼であれば殺生石くらい砕けることでしょうし……足跡の大きさの辻褄が合います。
ですがまぁ、そもそも鬼は大昔に滅んでしまっているのですが……」
そんなけぇ子とこまの言葉を受けて「ふーむ」と考え込んだ善右衛門は「仮の話だが……」との前置きをしてから、けぇ子達に問いを投げかける。
「……もし仮に鬼が生き残っていたとして、いくらかの殺生石を手に入れたとしたら、どうなる?
殺生石の力を得て、鬼がかつての権勢を取り戻す……なんてことはあり得る話か?」
その問いを受けたけぇ子とこまは、そんな馬鹿なと思いながらも想像を巡らし……そうしてその顔面を、血の気の失われた蒼白色へと変えてしまうのだった。
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