第57話 刀から錫杖へ


「ま、待て待て待て待て!

 お、落ち着いてくれぇ、善右衛門!?」


 固く厳しい表情で刀を構え直す善右衛門を見て、慌ててそんな声を上げる遊教。


 だが善右衛門はその声に構うことなく、刀を構え続けてじりじりと遊教の下へと近づき、間合いを詰める。


「わ、わ、悪かった!

 妖怪に取り込まれちまって妖怪になりかけた挙げ句、お前にも迷惑かけちまって本当に悪かったと思っているから、勘弁してくれぇ!!」


 片足を八房に噛みつかれて、その激痛から立つことが出来ず、結果逃げることも出来ず、ただただそんな声を、悲鳴のような声を上げるしかない遊教に対し、善右衛門は何処までも固い表情をし続けて……そうして何一つ言葉を返すこと無く、ただただ冷たい視線を浴びせかける。


 怒っているのか、それとも悲しんでいるのか、あるいは何も感じていないのか。


 その感情が全く読み取ることの出来ないその表情に、遊教が本気で……心からの反省をした上での、これでお終いなのかと覚悟を決めていると、そんな遊教の足元に善右衛門の刀が降って来て、地面にざくりと突き刺さる。


「遊教、お前は俺を一体何だと思っているのだ、いくらなんでも流石にこの程度のことで斬って捨てはせん。

 ……俺の刀以外にこれといった被害も無いのだからな。

 伝説になるような妖怪を相手にして、やられてしまったというのも……まぁ、いくらかの酌量の余地はあるし、今回は不問としてやろう。

 とは言え無罪放免とはいかんぞ、この通り刀が使いものにならなくなってしまったのだからな」


 刀を手放し、いつもの柔らかい表情となってそんな声を上げた善右衛門は、悪戯が成功したとばかりににやりと笑って、言葉を続ける。


「という訳でお前には新しい刀の入手を命じる。

 物品による弁済をしさえすれば、それで良しという訳だ。

 ……それまではこの錫杖を代わりとして預からせてもらおう」


 そう言って善右衛門は、遊教の側に転がっていた錫杖をがしりと掴み、両手でもって持ち上げてぐわりぐわりと振り回す。


「むう、やはり重い……が、あの石というか、あの岩を砕くにはこれくらいが丁度良いのかもしれんな」


 そんなことを言いながらどっしりと腰を下ろし、慣れた手付きで錫杖を振り回す善右衛門を見て……唖然とし、何も言えなくなっていた遊教がようやく口を開き、言葉を吐き出す。


「こ……こんの野郎がぁぁ。

 よくも……! よくもまぁこの善良な拙僧をここまで驚かしてくれやがったな……!!

 あーあー、分かったよ、分かったよ! 新しい刀でもなんでも手に入れてやるよ!!

 確かお前の刀は安物だったよな! ならお前が驚くような……腰を抜かすような名刀を手に入れてやるよ、こんちくしょう!!」


 八房にかじりつかれている為に動くことが出来ずに、そんな大声を上げることしか出来ない遊教は、わーわーがーがーと声を上げ続けて……そうしていくらか気が済んだのか、大きなため息を吐いて、落ち着きを取り戻す。


「というか、お前……まさかこのままあの岩を割りに行くつもりなのか?

 あの妖気というか、瘴気はちょっとやそっとのもんじゃねぇ、お前みたいな素人がどうこう出来る代物じゃあないぞ?」


 落ち着きを取り戻し、そんな言葉を吐き出した遊教に対し、錫杖を振り回していた善右衛門は、錫杖の石突をどんと地面に突いてから、言葉を返す。


「とはいえ放置もしておけん。

 幸いにして八房という瘴気に対する切り札もあることだしな、お前の浄化が住み次第あの岩の下に向かうつもりだ」


「……いくら八房様がいなさるたってなぁ。

 あの色気にあの流し目……普通の男がどうこう出来るもんじゃぁねぇだろうよ。

 善右衛門、所詮はお前も男の端くれだ、あの色香には敵うまいよ」


「その時はその時で八房の牙に目を覚まさせて貰おうとするさ。

 ……以前に寸鉄をぶつけた時は全く効果が無かったが……あるいはこの錫杖であれば何かしらの効果があるかもしれん。

 件の殺生石はどこぞの和尚に砕かれたという話だったし……その和尚もおそらくは錫杖か何かで砕いたのだろう?」


「……さてな、法力で砕いたという話もあれば喝で砕いたという話もある。

 錫杖とも、独鈷杵とも言われているし……定かではないな」


「錫杖で砕いたのかもしれないのであれば、試す価値はある。

 砕けなかったら砕けなかったで逃げるなり何なりの手を打つさ」


 そう言って再び錫杖を振るい始める善右衛門。


 かつてその身を鍛えた道場で、一通りの武器の扱いを学んでいた善右衛門のその構えは堂に入っていて……あるいは殺生石を砕けるかもと、そう思わせる説得力があった。


 その姿と、決意の固さを見て取った遊教は、以降は何も言わずに、八房の浄化を受け入れながら静かに善右衛門の姿を見つめ続けるのだった。

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