第55話 遊教との対決
神社という神域に足を踏み入れ、自らの身に馴染んだ瘴気を浄化されて苦しみ悶える遊教。
そんな遊教の目を覚ます為に、その頭を一つか二つ叩いてやろうと考えた善右衛門は、腰紐から引き抜いた鉄鞘の根本を片手でしっかり握りと、刀の柄を片手でしっかりと握り、棒術で短棒をそうするかのように構えて、じりじりと足を滑らせて遊教との距離を詰めていく。
手痛い反撃を食らってしまわぬように、頭を両手で抱えて悶える遊教のその動き一つ一つをつぶさに観察し、神経を極限まで研ぎ澄まし、じりじりと、少しずつ丁寧に足を進めていって……そうして遊教の間合いの内に入るか入らないかという所まで善右衛門が足を進めた折、遊教の口がゆっくりと動き、うめき声ではない明確な言葉がそこから放たれる。
「無駄ダ! オ前ノ一撃ナド拙僧ニハ届カン!
仮ニ届イタトシテモ! キツイ一撃ヲ食ラッタトシテモ! 拙僧ハコノ力ヲ手放サンゾ!」
重く深く濁った声でそう言ってくる遊教に善右衛門は、問答など不要だと言わんばかりのきつい睨みを返す。
その睨みを受けた遊教は軽く笑って……更なる言葉を続ける。
「拙僧ハ見タンダ! 殺生石ニ触レタ際ニ! アノ九尾ノ狐ヲ!
九尾ガ化ケタ人ノ姿ヲ!!
アレコソマサシク傾国ノ美女! 目ヲ奪ワレルトハマサニコノコト!!
拙僧ハ! 拙僧ハ!! 九尾ノ狐ト添イ遂ゲルト心ニ決メタンダ!!」
その言葉を受けて、善右衛門の後方で様子を見守っていた権太達から呆れの声を非難の声が上がる。
「旦那!? 正気かよアンタ!?」
「まさかアンタ九尾が美人だから瘴気を受け入れたんか!? 美人だから瘴気を失わないように抵抗してるんか!?」
「その凄まじい妖力でもって、自由自在に姿を変えられるという伝説の化生相手に一体何を言ってんだ!?」
そうした激しい声を権太達が上げる中、善右衛門は何処までも冷たく、まるで真冬になったかと錯覚してしまう程に、その身に纏う殺気を冷たくしていって……するりと鞘を抜き放ち、鞘を後方へと投げ捨てる。
友人への手心だとか、殺生を忌避する心だとか、そういった心のすべてを鞘と共に投げ捨てた善右衛門は、剣呑な目つきでぼろぼろに刃の欠けた刀を構える。
その刀で人の身をすっぱりと斬ることは恐らく不可能で……ただただ肉をえぐり、手酷い傷が出来上がるだけと思われるが、それで構わない、むしろそれが良い灸になってくれるだろうと、そんなことを考えながら善右衛門は、何の言葉も無く、躊躇も無く、一気に遊教との間合いを詰めて刀を振り下ろす。
「アッ、アブネェ!?
テメェ! 友人相手ニソノ刀を振ルウンジャネェヨ!? 常識ッテモンガネェノカ!?」
紙一重といったところでその一撃を避けた遊教が、そんな声を上げてくるか、善右衛門は全く構わずに二撃目、三撃目を振るい、遊教を追い詰めていく。
普段の善右衛門の剣術は、習った型を丁寧になぞっているかのように綺麗に整った、見ていて気持ち良いものだったのだが……今の型はそれとは全く違うものとなっていた。
人斬りや幽鬼、悪鬼が振るうかのような酷い有様の型となっていて、その崩れた様がなんともおどろおどろしく、善右衛門が如何に激昂しているかを、その殺意の高さを如実に表していた。
言葉を何一つ発さず、ただただ剣呑な目つきをし、殺気任せ力任せに刀を振るう善右衛門。
そのあまりの姿に、権太も権郎も権三も、遊教さえもが戦慄し、怯えて震えて何も言えなくなっていると、そんな善右衛門の前に八房が駆けて来て、
「ひゃわん!!」
と、善右衛門を嗜めるかのように一吠えする。
八房のその声というよりも、その姿に……善右衛門を心配し、そうなってしまった善右衛門を懸命に叱ろうとする姿を見て……善右衛門はすっとその殺気を納めて、静かに刀を下げて構えを解く。
善右衛門としてはどうしても目の前の遊教のことが許せず、構えを解くのは全くの不本意であったが……この神域の主であり、小さな子供であり、大切な友人でもある八房に、そうまで叱られてしまっては仕方なしと、己の心を砕いての判断だった。
そうして構えを解いて殺気を納めた善右衛門を見て、隙を見せた善右衛門を見て、誰よりも先に行動を起こしたのは遊教だった。
善右衛門が見せた隙を突いて駆け出して、そのまま善右衛門に一撃を入れてやる、一撃をいれてここから逃げて、あの美人の下へと戻るぞと意気込んだ遊教だった……が、そんな遊教の動きを読んでいたかのように、八房が動きを見せて、遊教の足に、その脛に飛びつき、がぶりと噛み付く。
「いっでぇぇぇぇぇぇぇ!?」
全く手加減の無い、容赦のない八房のその攻撃を受けてようやく……瘴気にその身を預けていた遊教が正気の目を取り戻すのだった。
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