第54話 社を……
真神神社に足を踏み入れて、境内を駆け進み、後はこのまま階段を下れば町にいけるとなって……そこでどういう訳だか善右衛門が、はたとその足を止めてしまう。
そうして「むう」との唸り声を上げてから振り返り、階段に背を向けて社をじっと睨んだまま全く動かなくなってしまう善右衛門。
いくら遊教を転ばせたとはいえ、あの様子であればすぐに立ち上がり、追いかけて来ていることだろう。
だというのに、もう間もなく鬼と化した遊教がここにやってきてしまうというのに、一体善右衛門は何をしているのかと焦れた権太が善右衛門の懐の中から声を上げる。
「ぜ、善右衛門様!
ぼーっとしてねぇでさっさとけぇ子の姐さん方と合流しねぇと、追いつかれちまいますよ!!」
「ああ……そうだな。
ぐずぐずしていては遊教がここにやってきてしまう……な」
権太の声に対し、そんな声を返した善右衛門は、そうしてからまたも「むう」と唸り、そのまま動かなくなってしまう。
この時、善右衛門の頭の中にあったのは、ここにあの遊教がやって来たとして、果たして遊教はどういった行動を取るだろうか? ということだった。
そのまま自分達のことを追いかけて来てくれるなら良いのだが、もし仮にあの錫杖でもってこの社に殴りかかってしまったら、この社を……真神神社を壊そうなどと瘴気に取り憑かれた遊教が思い立ってしまったなら……こんな小さな社、あっという間に壊されてしまうに違いない。
八房の大事な拠り所であり、町の皆の憩いの場であり……あの夏祭りを開いた皆の思い出の場所でもあるこの神社を壊されてしまったのなら、多くの者達が悲しんでしまうに違いない。
狸達の力があれば再建も容易なのかもしれないが、だかと言ってむざむざこの場所が、皆にとって大事なこの場所が壊されるのを見逃すというのは善右衛門にとって……町奉行暖才善右衛門にとって、決して許容出来ないことだった。
町に戻る為、けぇ子達と合流するためには、ここを通る以外に道は無く、やむを得ないことではあったのだが……結果としては全くの愚策だったな、と胸中で舌打ちをした善右衛門は、社の方へと二歩三歩と歩を進めながら、懐の中の八房と権太達へと声をかける。
「俺はここに残り、あいつの足止めをする。
お前達だけで町へと向かい、けぇ子達に事の次第を知らせてくるんだ。
なぁに、時間を稼ぐだけであればそう難しいことではないだろう」
そう言って刃が砕けた刀へと手をやり、覚悟を決めたような表情となる善右衛門を見て、権太達がなんとも言えない不安そうな表情を浮かべる中、一匹だけなんとも場違いな明るい表情をした八房が元気な声を上げる。
「ひゃわん! ひゃわわわん!」
『自分に任せろ!』とでも言いたげなその声は、確かな自信に満ちており、その声を聞いた善右衛門と権太達は、一体何を言っているのだ? と八房に視線を集める。
そうした視線を浴びながら八房は、またも
「ひゃわーーーん!」
と、自信に満ちた声を上げて『心配する必要はないよ』と善右衛門達に伝えてくる。
―――と、その時。
善右衛門を追いかけてやってきた瘴気の塊……鬼のように成り果てた遊教がその姿を見せて、善右衛門のことを強く睨みつけながらざすざすと森の中を踏み荒らし来て……そうして境内の中へとその足を踏み入れてくる。
「ひゃわーーーん!」
その姿を見てか、八房が善右衛門の懐の中から何処までも通り、響き渡るような吠え声を上げる。
すると、静かで柔らかで爽やかまでに冷えた風が何処からか境内の中へと吹いてきて……その風が遊教の体へと向かっていって、その身にまとわりつき始める。
『ぐおおおおおおおおお!?』
そんな爽やかな風を浴びて、風に撫でられてどういう訳だかそんな悲鳴を上げる遊教。
悲鳴を上げて地団駄を踏み、己の頭を抱えて悶える遊教を見て、ぽんと手を打った権太が声を上げる。
「考えてみりゃぁここは神域! 瘴気とは相反する神性なる気に満ちた場所!
瘴気なんざぁ弱って当然! 薄れて当然! お呼びでないって訳だぁ!!」
その声に対し「ふむ」と声を返し、遊教の様子をじっと見つめた善右衛門は……その様子に疑問を抱いて声を上げる。
「……ここが神域で、故に瘴気が薄れているといのは納得の行く話だが、ならばなぜ遊教はあそこまで苦しんでいるんだ?
瘴気が……毒気が薄れたならむしろ苦痛から解放されるはずではないのか? それとも瘴気から解放される際にはああなるのが自然なことなのか?」
「……ん~~、あっしらも専門家じゃねぇんではっきりしたことは言えやせんが、恐らく遊教の旦那は瘴気を受け入れて、その身を任せていたんじゃねぇですかね?
せっかく瘴気がその身に馴染んだってぇのに、それを奪われてるっつーか、無理矢理に吸い出されてるんで、それでああやって苦しんでるのかもしれやせんね」
「遊教と同行していたはずの権太達が逃げおおせて、どうして遊教だけが殺生石の瘴気に取り込まれたのかと疑問だったが……そういうことだったのか。
遊教、お前という男はまったく……呆れ果てるにも程があるぞ」
そんな会話を権太と交わした善右衛門は、大きな、彼の人生の中で一番大きなため息を吐き……そうして刀の柄へとやっていたその手を、その刀を納めた鉄鞘の方へと移してしっかりと握り込み、その鉄鞘を腰紐から引き抜くのだった。
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