第53話 逃亡戦

 

 殺生石の瘴気に負けて我を失った遊教を引き連れながら、森の中を駆け逃げる善右衛門。


 そうやって宿場町へと、けぇ子達の下へと向かおうとしていると、一本の大木の根本で息を切らせている八房と権太達の姿が善右衛門の視界に入り込む。


 すばしっこさには長けている八房達だったが、体が小さい分だけ体力も無いのだろう。


 その様はもうこれ以上駆けるどころか歩けもしないといった有様で、そんな八房達を見た善右衛門は駆けながら、軽く腰を曲げて、がばりと両手を広げて、大きな声を張り上げる。


「八房! 権太! 権郎! 権三!」


 善右衛門はただ彼らの名前を呼んだだけであったが、それでもその仕草と表情からその考えを察することが出来た八房達は、最後の体力を振り絞り、善右衛門の胸元めがけてぴょんと跳ね飛ぶ。


 飛び込んで来た八房達を両腕でもってがっしりと抱きとめた善右衛門は、その体勢を立て直しながら、着流しの懐の中へと八房達をしまい込む。


 そうしてから我を失いながら迫り来る遊教から逃れる為に、再び全力でもって駆け始める善右衛門。

 

 駆けながら善右衛門は、懐の中の者達を守ろうとしているのか、それとも少しでも揺れないようにとの配慮なのか、その両腕でもって自らの懐を抱え込んでいて……そんな善右衛門の腕のおかげで安堵したのか、八房達はそれぞれに小さなため息を吐き出す。


 それからややあって……激しく揺れる善右衛門の懐の中でどうにか息を落ち着かせた権太、権郎、権三は、懐の中からひょこりと顔を出して、尚も駆け続けている善右衛門へと声をかける。


「善右衛門様! あっしらの力で足元に穴をあけまさぁ!」

「落とし穴でさぁ! 足止めでさぁ!」

「視界の関係で前方にしか作れねぇんで、落ちてしまわねぇように気をつけてくだせぇ!!」


 その声を受けて、そう言えば以前化け鼠は穴を開ける力があるとか、そんな話を聞いたな……と思い出した善右衛門は、


「分かった! やってくれ!」


 と、大きな声を返す。


 すかさず権太、権郎、権三の三匹は、善右衛門の懐の中で両手を揉み合わせながら何やら経のようなものを唱え始める。


 そうやって体内に溜め込んだ妖力を高めて、駆け続ける善右衛門の前方……森の中では珍しい開けた一帯の地面目掛けて両手を突き出し、


「はー!」

「そりゃぁー!」

「せいやー!」


 と、それぞれに声を上げる権太達。


 するとその一帯に三つの丸い穴がぼかりと開いて、その様子を見た善右衛門は穴に足が取られることのないようにと、上手に躱しながら、飛び越えながら駆け進む。


 そんな善右衛門のすぐ後を追いかけていた遊教は、我を忘れてしまっているせいなのか、それともそもそも足元など見てもいないのか……見事なまでにその穴に足を取られてしまって、なんとも盛大にすっ転んでしまう。


 凄まじい勢いで顔から地面へと突っ伏して……そしてそのまま動かなくなる遊教。


 倒れたままで、追いかけてこない遊教の様子に気付いた善右衛門は、ある程度の距離を取った上で、足を止めて振り返り……さて、どうなったかと遊教の様子を注意深く観察し始める。


 そんな中、善右衛門の懐からは


「ひゃわーん!!」

「ようし!」

「決まったー!」

「どうですかい、善右衛門様! あっしらもやるもんでしょう!」


 と、それぞれが好き勝手な声を上げ始める……が、善右衛門はそうした声に一切構うことなく、ただただ遊教の様子だけにその注意を向ける。


(事の原因である殺生石からは十分な距離を取ったと言っていいだろう。

 その上でのあの衝撃……正気に戻っていてもおかしくないはずだが……)


 と、そんなことを考えて、さて遊教に近付いたものか、それともこのまま宿場町まで戻るべきかと頭を悩ませる善右衛門。


(あの様子であれば間違いなく足を挫いたはずだ。

 正気に戻ったかも知れない者を、そんな状態でここに捨て置くというのは流石に哀れだ。

 ……しかしまぁ、あの遊教ならばその程度で死にはしない、か?)


 と、そんな思考に至り、自分達だけで宿場町へ帰るという結論を出そうとした―――その時。


 地面に両手をばんっと突いた遊教が、ぐぐぐとその顔を上げて善右衛門達を睨みつけてくる。


 その顔は狂気に染まったままで、その目は真っ赤に染まったままで……それを見た善右衛門は一切の躊躇することなく宿場町の方へと駆け出す。


(……いっそのこと、倒れている間に斬り捨ててやればよかったか)


 なんてことを考えながら善右衛門は、懐をしっかりと抱え込みながら駆けて駆けて森の中を駆け続けて……そうしてどうにかこうにか、真神神社へとたどり着くのだった。

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