第52話 それはまるで鬼のような


 権太、権郎、権三の三匹の案内で神社の奥の森へと、山の奥深くへと歩を進めて……そうして善右衛門と八房の視界に飛び込んで来たのは、森の中で殺生石と思われる大きな岩を前に、自分が何をしているのかも分かっていないような有様で、


『ぬぉぉぉぉぉぉぉぉ!?』


 と、そんな奇声を上げながら暴れる遊教の姿だった。


 善右衛門の目でも見えてしまう程に濃い、黒く淀んだ瘴気を身にまとい、両手でしっかりと握った錫杖を振り回し、我を忘れているのか暴れ続ける遊教を見て、善右衛門はなんとも苦い表情を浮かべて歯噛みする。


 遊教は善右衛門と比べてかなり大柄で、相応に力も強く、まともに打ち合って勝てるような相手ではない。

 その上、遊教の錫杖は常人には振り回すことすら出来ないであろう程の太く大きい鉄製のものであり……善右衛門の安刀であの錫杖とやり合うというのは全くの愚行と言えた。


「よりにもよって坊主が瘴気に呑まれるとはな、精進が足りないにも程があるだろう。

 ……全くあの姿、まるで鬼のようではないか。町奉行が鬼退治とは畑違いにも程があるぞ」


 そんな遊教の姿を見やりながら苦笑し、そう呟く善右衛門。


 大柄で豪腕で金棒を持ち、あらん限りの力で暴れる怪物。

 それはまさしく鬼と呼ぶに相応しい姿であり……後はあの頭に角さえ生えていれば誰もがあの遊教を鬼であるとみなすことだろう。


 殺生石の瘴気にやられぬようにと神である八房に寄り添い、その神気を頼りにしていた権太は、そんな善右衛門の苦い顔を見て……恐る恐るといった様子で声をかけてくる。


「お、鬼だなんてそんな……。

 ……も、もしかして、善右衛門様でも遊教さんを相手するのは厳しいので?」


 そんな権太の言葉に、善右衛門は静かに頷いて言葉をかえす。


「……正直に言えば難しい所だな。

 命を奪って良いならいくつかの手があるが……殺さずに取り押さえるとなると、どうしても力が足りん。

 ……俺達だけでここに来たのは完全な失策だったな、ここは一度町に帰ってけぇ子とこまの力を借りた方が―――」


 ―――と、その時。

 その鬼が如くの形相を、ぐわりと善右衛門達の方へと向けた遊教が……真っ赤に染まった目でもって善右衛門のことをぎろりと睨みつけてくる。


 その表情はまるで猛獣が獲物を見つけた際にするような鬼気迫るものであり……それを見た善右衛門は、すかさず刀を抜き放ち、八房と権太達に向けて声を上げる。


「逃げろ! ひとまず殺生石から距離を取るんだ!!」


 短く鋭い善右衛門のその言葉に、素直に従った八房と権太達は町の方へとすたたっと駆けていく。


 年上の意地なのか何なのか、権太、権郎、権三の三匹は駆ける八房の背などにその手をやって、八房を守るように、かばうようにしながら駆けていて……そんな三匹の姿を見た善右衛門は胸の奥底から熱い勇気と力が湧き上がってくるのを感じ取る。


 そうしてにやりと笑った善右衛門は、鬼と化した遊教へと向き直り、


「かかってこい! 遊教!

 今まで散々負け越した、喧嘩の借りをここで返して見せるが良い!」


 と、大声を上げる。


 すると、轟音と呼ぶに相応しい重い風切り音が善右衛門の脳天へと迫って来て、それを感じ取った善右衛門は、すぐさま地面を蹴って後ろへと大きく飛び退る。


 直後、それまで善右衛門が居た場所へと錫杖が……鬼の金棒が振り下ろされて、木の葉と草で覆われた山の地面をどぱんとえぐり取る。


 それを見て善右衛門は手にした刀を構え直し、金棒を地面に突き立てて隙だらけになった遊教の下へと飛び込み、その腕に狙いをつけて刀を横薙に振るう。


 腕を傷つけて金棒を持てぬようにしてやろうとの狙いで振るった刀だったが、刀が腕に当たるよりも早く、地面から金棒を引き抜いた遊教は、引き抜きざまに金棒を振り上げて、善右衛門の刀を見事に迎撃してみせる。


 そうして刀と金棒が激しい音を立てながらぶつかりあった瞬間、刀の刃が砕けて火花となって周囲に飛び散ってしまう。


 それは鉄の錫杖を相手にする以上は仕方のないことであり、覚悟していたことでもあったのだが……長年愛用した刀がそうなってしまったことに善右衛門はなんとも悔しげに歯噛みする。


『ぬぉぉぉぉぉぉぉぉ!!』


 と、そんな善右衛門に対して大声を上げた遊教は、容赦のない二撃目、三撃目を放ってくる。


 歯噛みしながらそれらの攻撃を華麗に、軽快に避けて見せた善右衛門は、刃こぼれし、使い物にならなくなった刀を鞘へ収めて……そうして、


「お前の全力はその程度か!

 その有様では何年経とうとも、この俺に一撃を入れるなど夢の夢だぞ!」


 と、言葉でもって遊教を挑発し……そうしてから殺生石から距離を取る為、けぇ子達と合流する為に、脱兎の如く駆け出すのだった。


 

 

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