夏はまだまだ続く

第46話 遊教と沙汰 その1

 善右衛門の昔馴染みの僧侶、遊教が宿場町にやってきた日の夕刻。


 善右衛門がいつものように夕餉へと箸を伸ばしていると、向かい合って座るけぇ子から疑問の声が飛んでくる。


「あのー……善右衛門様。

 先程のお坊さん……遊教さんでしたっけ? 

 遊教さんとはどういう経緯でお知り合いになったのですか? 随分とこう、仲が良いというか、気心が知れているようですが……」


 そう言ってけぇ子は、屋敷の外の庭の向こう……隣家へと視線をやる。


 その隣家は先程……屋敷へと戻る道すがらの善右衛門の指示によって、人が住むのに支障が無い程度に片付けられていて、それだけでは無く遊教の体格に合わせた布団までもが用意されていた。


 あんな風に遊教への嫌悪感を露骨なまでにあらわにしつつも、そうやって気を使ってやる関係とは、善右衛門と遊教の仲とは一体何なのか、どんな関係なのか……そんな疑問を抱くのは当然のことだった。


「……あれと知り合った経緯か。

 あの男は、女好きで酒好きで賭け事好きのくせに仏門に属しているというどうしようも無い男なのだが……それでいて一本筋の通った男でな、本気でこの世の全てを救済しようとしているらしいのだ」


「救済、ですか?」


「……ああ。

 乱世が治まり、太平の江戸の世となったが、それでもこの世には悲痛が溢れている。

 その全てを救ってこその仏門だ……と、そんな風に仏の教えを解釈して、自分なりの方法でそれを実践しているんだそうだ。

 それでまぁ……今から何年か前、あれがまだまだ若かった頃に、その救済を……少しばかりやり過ぎてしまってな、それで町奉行である俺があの男に沙汰を下すことになったのだ」


 善右衛門その言葉に、けぇ子は「えっ!?」との声を上げて、驚愕の表情を浮かべる。

 そんなけぇ子の表情を見て、これは仔細を話してやらねば納得しなさそうだと感じ取った善右衛門は、そのまま言葉を続ける。


「ある男がいた、この男がまさに碌でなしという言葉に相応しい男でな。

 罪なき妻子を日常的に殴るような男だったのだ。

 そしてそれを聞きつけた遊教は、その妻子を悲痛から救ってやると一声上げて、その男の下へ駆けていって、男を妻子と同じ目に遭わせた。

 そうして俺の下に事件が届けられて、沙汰が開かれることになったのだが……その男は沙汰の場で好き勝手なことを言ってくれてな。

 自分は悪くない、自分は正しい、妻子を躾けてやっただけ、自分が正しいからこそ遊教だけがこうして沙汰を下される身となったのだと、そう言ってのけたのだ。

 そんな男の言い分を聞くうちに遊教は、どうにかしてその男を……その男の面子を叩き潰してやろうと考えるようになったようだな」


 淡々と言葉を続ける善右衛門。

 善右衛門が語るその物語に、けぇ子は夢中になって言葉も忘れてただ聞き入る。


「そうして吟味が進み……俺は遊教に重敲(鞭叩き百回)の刑に処すとの沙汰を下した。

 これは何か考えがあるらしい遊教本人が強く望んだものだったのだが……けぇ子、敲き刑がどんなものなのか、知っているか?」


 突然質問を投げかけられて、けぇ子が驚き慌てながらも、冷静に自らの記憶の中を探り……言葉を返す


「えーっと……確か鞭で叩くんですよね、皆さんが見ている前で……」


「そうだな。

 そもそも敲き刑は軽度の罪を犯した者に一日で赦しを与える為の、更生の為の刑だ。

 軽い罪を犯した者を捕まえ、直ぐ様に沙汰を下して直ぐ様に刑を下す。

 これら全てを一日で終わらせることで、その生活、生業に影響が出ないようにして更生を促そうとしている、という訳だな。

 鞭の振るい方についても、気絶させるな、痛めつけすぎるな、自らの足で歩いて帰れる程度にせよと、そんなお達しがある程だ。

 更には刑が下されるその様を公開することによって、罪を犯せばこういう罰を受けるぞと町民達に知らしめる意図もあった。

 遊教はここら辺のことを良く知っていて……その上でこの刑罰を利用しようと考えたようだ」


「……刑罰を利用、ですか?」


 一体どんな風に利用したのかと、首を傾げて悩み唸るけぇ子。

 そんなけぇ子の表情を見て小さく笑った善右衛門は、話を続ける。


「いざ刑が執行されるとなった時、あいつはこんな声を上げたのだ。

 『拙僧は体格が良い! ちょっとやそっとじゃへこたれん、全力で、思いっきりに叩け!』とな。

 刑務官は遊教に同情的で、軽く叩いてやろうと考えていたようだが……遊教はそれでも強く叩けと、見学をしていた町民達を煽ってまで強く叩けと声を上げ続けた。

 それで刑務官が思いっきりに鞭を振り下ろすと、あいつは声を上げるでも無く、怯むでも無く、笑顔を浮かべて笑い始めたのだ」


 そう言って……その時のことを思い出したのか薄っすらと笑みを浮かべる善右衛門。

 善右衛門に珍しいその表情を見たけぇ子が驚く中、善右衛門は言葉を続ける。


『今回拙僧は正しいことをした、故に拙僧には御仏の加護が備わっている。

 鞭を何度振るわれようとも一切の苦痛は無い、それどころか御仏の加護による喜びが拙僧を包み込んでいる!』


「そう言って遊教は刑が終わるまでの間、笑い続けたのだ。

 最初の刑務官が疲れ果て、体格の良い刑務官に代わり、全力で鞭を振り落としても尚笑い続けた。

 見学していた町民達は、最初は頭のおかしい罪人の戯言だと、強がりだと思っていたようだが……明らかにいつもよりも強い力で振り下ろされる鞭にも全く怯まず、悲鳴の一つも上げず、笑顔で居続ける遊教の言葉を次第に信じるようになっていった。

 ……そうして刑を終えた遊教は堂々と立ち上がり、笑顔のままこう言ってのけたのだ―――」


『拙僧の正しさは御仏の加護の下、ここにこうして証明された。

 つまりはあの妻子を殴った男こそが間違っており、邪悪であると御仏が証明したという事でもある!

 沙汰を下した奉行、鞭を振るった刑務官は、ただ己の役目を全うしただけゆえ赦されるだろうが……あの男はまず赦されんだろう! あの男と付き合うな、あの男と関わり合うな、それはもう言葉に出来ぬほど恐ろしい仏罰が下ることは明白だ!』


「―――結果、妻子はその男の下から逃げ出し、男の友人知人も距離を取るようになり、仕事も上手くいかなくなり……何もかもを失った男は、それが仏罰なのだと信じ込むようになって、救いと赦しを求めて寺社へと駆け込んだ、という訳だ」


 そう言ってまたも小さく笑う善右衛門。


 けぇ子は善右衛門のその表情を見て、善右衛門としても痛快だったのだろうなと、そんなことを思うのだった。

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