第42話 新たな……


 朝餉を終えて、薄手の夏用の着流しに袖を通した善右衛門は、さて、見回りの時間だと町へと足を向ける。

 

 奉行屋敷を出て町を貫く街道へと足を進めて視界に入ってくるのは、日がな一日さらさらと水の音を奏でている割竹の道だ。

 

 何本もの支えの上に作られた、善右衛門の腰ほどの高さを行くその道には、水車によって汲み上げられた川の水が流されていて、時折その水が道のあちこちへと弾け飛んで水染みを作り出している。


 町の中に水を流し、地面に水を撒き、そうやって町全体を涼やかにしてくれる割竹の道は、よく考えたものだと感心させられてしまう程の効果を発揮していた。


 その見た目もその音も何もかもが涼やかで、笹舟を流すなど子供達の遊び場としても機能している事も素晴らしいと、そんなことを思う善右衛門。


 そんな割竹の道の脇を、汗をかかぬようにと緩やかに歩いていると、いつものように乳母の下から抜け出して来たらしい八房がなんとも元気な様子で善右衛門の下へと駆けてくる。


 夏の日をたっぷりと浴びてその白い毛を膨らませてふわふわとさせた八房は、善右衛門の足元へと駆けてくるなり、その尻尾を激しく振りながら善右衛門の顔をじっと見つめて、


「ひゃわん!」


 と、一声。

 撫でてくれと、その声と表情でもって訴えてくる。


 色々と世話になった手前、無下にも出来ないとしゃがみこみ、八房の全身をたっぷりと撫でてやる善右衛門。


 すると八房は「ひゃわん! ひゃわん!」と声を上げながら喜んで……そうして八房が満足するまで撫でてやった善右衛門は、撫でられ過ぎたせいかその毛をしんなりとさせた八房と共に町の中を見回っていく。


 とは言え何がある訳でもなし、宿場町には平穏そのものといった光景が広がっていて……そんな光景に善右衛門は今日も何事も無く、仕事の方も無さそうだとそんなことを思う。


 そうやって町の中を歩き回ること四半刻。

 そろそろ屋敷に帰るかと、そんなことを善右衛門が考え始めた折、道の向こうからこまが善右衛門の下へと駆けてくる。


 そんなこまの姿を見て驚愕の表情を浮かべる善右衛門。


 薄手の白い炎柄の着物と驚く程に……肩に掛からぬ程に短くなった黒髪を揺らすこまの姿は、一瞬誰なのかと思ってしまう程に別人に見えて、それで善右衛門は驚いてしまったのだ。


「うふふ、驚かれましたか? 善右衛門様。

 短い髪も良いものでしょう?」


 善右衛門の下へと駆けてくるなりそんなことを言うこま。

 そんなこまに善右衛門は、驚愕の表情のまま言葉を返す。


「……一体全体どうしたんだ、それは?

 何か理由があっての事なのか?」


 善右衛門のそんな言葉に、着物の裾で口元を隠し悪戯が成功したとばかりに微笑んだこまは、善右衛門の表情をよく見てから言葉を返してくる。


「夏の暑さをしのごうと、体毛を短く刈ったのでございますよ。

 髪の毛ではなく体毛……元の狐姿の方でございます。

 妖怪の変化には元の姿の有り様が大きく影響します。この短い髪もその影響という訳でございますね。

 秋にもなれば冬毛へと生え変わって、元の長い髪の姿へと戻りますのでご安心くださいな」


 こまにそう言われて善右衛門は、確かに以前……けぇ子にそんなことを言われたなと思い返す。

 元の姿が変化には大きく影響し、それを無視したなら必要以上の力を使ってしまうだとか、なんとか……。


 なるほど、そういう事かと頷く善右衛門を見て、こまはまたも微笑み、そうしてから言葉を返してくる。


「昨夜毛を刈った時から、善右衛門様のことを驚かせるのではないかとわくわくしておりましたが……どうやらその甲斐あったようです。

 けぇ子さんを始めとして、他の皆様もまだ毛を刈ってはいないようですし……うふふ、見事に成功ですね」


 そんなこまの言葉に、一体何をやっているのだと善右衛門が呆れていると、足元の八房までが、


「ひゃっふわわん!」


 と笑いを含んだ鳴き声を上げる。


 そうしてなんとも言えない朗らかな空気に場が包まれていく中、どたどたと騒がしい足音が何処からとも無く響いてくる。


 その音からするに、どうやら足音の主は三人の……男のようだと察した善右衛門は、権太達だろうかとその音がしてくる方へと視線を向ける。


 すると街道の向こう。山の麓のほうから駆けてくる権太達の姿があり……その先頭を駆ける権太は、善右衛門の姿を見るなり大声を上げる。


「た、大変でございやす!

 坊主らしからぬおかしな格好をしたおかしな歌を歌う坊主が、街道を真っ直ぐに進んできていて……どうやらこの町にやってくるようで!

 時折善右衛門様の名前も歌っているようでして……どうしやしょう!?」


 その声を受けて、ふと思い当たることがあった善右衛門は、それを確かめるべく権太に声を返す。


「その歌はどんな歌だった!

 獣肉がどうとか、そんなことを言ってなかったか!」


「へ、へぇ、その通りで!

 美味い獣肉が食いたいとか、美味い獣肉は薬だから仏様も許してくれるとかなんとか、そんなことを歌ってやした!」


「ああ、それであれば大丈夫だ。

 その坊主は俺の知り合いで、色々と融通の効く……ど阿呆だ。

 お前達の姿を見てもどうのこうのと五月蝿い事は言う事は無いだろう、そのまま通してやれ」


 善右衛門のそんな言葉を受けて、権太達はきょとんとした表情でその足を止めて、こまはきょとんとした表情で首を傾げて……そして八房はきょとんとした表情でなんとものんきに尻尾を振り続けるのだった。


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