第43話 遊教という男


 毛皮で仕立てた僧服を纏い、一般的な物よりも一回りも二回りも太い錫杖を手にした大柄な坊主頭の僧侶が、歌を歌いながらのっしのっしと音が聞こえてきそうな大股で街道を歩いている。


「足が悪けりゃ鹿肉お食べ、病を治したけりゃ兎肉お食べ、肌艶悪けりゃ熊肉お食べ。

 何はともあれ美味ゆえ猪肉お食べ。

 獣肉や薬じゃ、一口食べれば万事良好。

 美味い獣肉食いたか、美味い獣肉は薬じゃ。

 薬なら仏様も何も言うまい、許してくれよう」


 全く僧侶らしからぬそんな歌を、太い声で楽しげに歌うその僧侶は、太い眉を上下に動かしながらのなんとも良い笑顔を浮かべていた。


「江戸の町奉行だった、暖才善右衛門。

 哀れ真面目過ぎたが故に江戸を放逐され、人っ子一人居ない僻地の宿場町へと追いやられる。

 その町で腹を斬ったか、それとも飢え死んだか。

 なんとも愚かで哀れな友人を、この拙僧が弔ってしんぜよう」


 笑顔でそんなとんでもないことまで歌にしてしまった僧侶は、のっしのっしと街道を歩き続けて……そうして宿場町へと足を踏み入れる。


 寂れていたはずの、無人のはずのその宿場町は、かつての賑やかさを取り戻したかのような、手入れの行き届いた生気に溢れる姿となっていて、その姿を見た僧侶はその太い眉を大きく持ち上げて、ぽかんと口を開けて呆然とした表情になる。


 そんな僧侶を物珍しげに眺める宿場町の町民達の頭には、狸耳や狐耳、鼠耳などの獣耳があり、それを見た僧侶はまた一段と大きく口を開ける。


 そしてとどめとばかりに死者とはとても思えない血色の良い顔をした暖才善右衛門が姿を見せてきて……僧侶は己の限界を超えんばかりに大きく口を開き、


「どわっはっはっはっはっは!

 生きていたのか! 善右衛門!!」


 と、周囲の家々を震わさんばかりの大きな笑い声を上げる。


 そんな僧侶の笑い声を受けて善右衛門は、自らの小指で耳の穴を塞いて、なんとも面倒くさそうな表情となりながら、その僧侶の下へと足を進め始める。


「やかましいぞ! 遊教ゆうきょう

 こんな山奥まで何をしに来た! 酒も女も賭け事もこんな山奥ではありつけんぞ!」


 面倒くさそうな表情で、半目でそんな声を上げる善右衛門。


「何をしに来たってこたぁねぇだろうよ、善右衛門!

 拙僧はわざわざこんな山奥まで足を運んで、哀れにも一人で野たれ死んだであろうお前を弔いに来てやったのだぞ!!

 まぁまぁ、無事に生きていたようでその甲斐も無かった訳だが……しかしこれはどういう状況なんだ?

 あの不信心者の暖才善右衛門が妖怪変化と一緒に居るたぁ、お釈迦様も吃驚だろうよ!」


 善右衛門が生きていたことを喜んでいるのか、豪快な笑顔で豪快な声を返す遊教と呼ばれた僧侶。


「言っておくが、いくら獣肉好きのお前とはいえ、町民達に手を出したならこの暖才善右衛門、奉行としてお前を裁くことになるぞ!」


「こ、この戯け!

 妖怪変化を食らおうなんて、いくら拙僧でもそんな大胆かつ面白げな真似、出来るわけが無ぇだろうが!!」


「そこで面白げと本音が漏れる辺りお前らしいが、洒落では済まぬこともあるとその胸によく刻み込んでおけ!」


 善右衛門には珍しい多弁な様子に、側にいたこま達はぽかんとした表情となる。


 昔馴染みの前だからこそ見せる善右衛門の新たな側面に、驚かされるやら親近感が湧くやらで言葉も出てこないといった様子だ。


 そうしてそんな善右衛門の前、遊教の前に、


「ひゃわん!」


 と、自分も混ぜてくれと言わんばかりの楽しげな表情を浮かべた八房が割り込んで来て、その尻尾をぱたぱたと振り回す。


 その姿を見るなり遊教はくわりと目を大きく見開き、口元を厳しく引き締めて、錫杖を手放し、膝を折って地面に伏して、その声を震わせ始める。


「よ、よもやこのような所でおいぬ様の分け身にお会い出来るとは思いもよりませんで……!

 真神原でのご活躍、かねてより耳にしておりました……!」


 額を地にこすりつけてそんなことを言う遊教を見て、善右衛門は一体何をしているのだという表情となり、八房を抱き上げ撫でやりながら遊教の側へとしゃがみ込む。


「……一体何をやっているのだ?

 八房相手にそんな真似……酒のやりすぎてぼけ始めたか?」


 しゃがみ込み、そう言ってくる善右衛門に対し、遊教は顔を上げて険しい表情を顕にする……が、善右衛門の腕の中で激しく尻尾を振りながら蕩けた表情となっている八房を見て、なんとも砕けた、焦ったような表情となってしまう。


「……八房?

 善右衛門、お前まさか……おいぬ様に八房などと名付けて、そうやって愛でて飼っているのか……?

 お……おま、おま、おま、お前!?

 前々から神仏を信じない罰当たりな奴だとは思っていたが、そ、そこまでのことをしでかすとは……!?」


 そんなことを言う遊教を見て、面倒臭そうに溜め息を吐いた善右衛門は、八房にまつわるその事情を……善右衛門がこの宿場町に来てからの事情を、遊教に聞かせてやるのだった。



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