第40話 花火

 突然けぇ子が大食となった理由は、祭りの空気に浮かれているだとか、食欲に負けたとかでは無く、失った妖力を取り戻す為……なのだそうだ。


 月の光を浴びるか、龍穴や霊山から力を吸い上げるかして得ることの出来る妖力は、僅かではあるが食事からも得られるものであるらしく、あの時に大量の妖力を使ってしまっていたけぇ子は、失った妖力を少しでも取り戻せたらと考えてそうしていたらしい。


 それは何も今に始まったことではなく、今日までの数日の間もしていたことだったそうなのだが……朝餉夕餉の準備中などでのつまみ食いが主だった為に、善右衛門の視界に入ることがなかったと、善右衛門がそのことに気付くことがなかったと、そういうことなのだそうだ。


 そういう理由であるならば、助けられた側の善右衛門としては何かを言うことは出来ず、ただただけぇ子の好きなように、したいようにさせてやるのみ。


 そうして屋台全てを食い尽くさんばかりの勢いを見せるけぇ子と共に賑やかな境内を巡ることになった善右衛門は、残った時間と体力をけぇ子の為に費やしていく。


 まさしく全力というに相応しい力でもって境内を駆け回るけぇ子に振り回されて……どれ程の時間そうしていたのか、ふと善右衛門が空を見上げれば、日が傾き始める夕刻となっており……賑やかに華やかに境内を彩っていた屋台達の撤収作業がそこかしこで始まって、境内の景色が様変わりしていく。

 

 どうやらこれから祭りの締めとなる花火が打ち上げられるのだそうで、屋台は全て片付けられ、境内全てが観覧席で埋め尽くされるらしい。


 ゆったりとした畳席の観覧席があちこちに用意されていく中、狸達の気遣いで特等席へと案内される善右衛門とけぇ子。


 ようやく休憩出来るかと善右衛門がその席へと腰を下ろすと、それを待っていましたとばかりに祭囃子の調子が早くなり、これから祭りの本尊たる花火が始まるぞ! と周囲に知らせ始める。


 それから少しの間があって……狸達の歓声があったかと思った直後に打ち上げられる一発の花火。


 ぽんぽこぽこぽことの狸腹の祭囃子の後に、どぱんと夏の夕空に満開の火の花を咲かせる。


 赤、黄色、緑に青。


 鮮やかな色とりどりの輝きを見せる花火に善右衛門は両目を見開いて「おお!」と驚嘆する。


 善右衛門の知る花火とは赤一色のものであったのだが、それがまさかこんなにも鮮やかに彩られるとは。


 そんな善右衛門を見てくすりと笑ったけぇ子が、善右衛門だけに聞こえるようにと小さな声を上げる。


「昼間に見た狐さん達の芸を覚えていませんか?

 あの時のように火はその温度、環境で様々な色に変化するのだそうですよ。

 そして今上がったあの花火は、その知恵と技法を駆使して作ったものなんだそうです。

 材料に関してはまぁ……ちょっと口にするには憚られるようなものを使っているのですけれど……でも、ああやって綺麗に輝いている様子を見ればそれも気にはなりませんね」


 けぇ子にそう言われて、善右衛門は小さく「そうか」とだけ返し……ただただ夢中で花火を見つめる。


 そんな善右衛門の横顔を見てまたもくすりと笑ったけぇ子は、何も言わずに……善右衛門にならって静かに夕空を見上げ見つめる。


 ……そうしてどれだけの時が流れたのか。


 すっかりと日は沈んでしまっていて暗闇に包まれているはずの神社の境内は、花火と狐火に照らされて……まるで昼間かと思うかのような明るさに包まれていた。


 そんな中けぇ子は、自分達の下に集まっているいくつもの視線に気付き、その視線の意味に気付き……今度は独り言として小さく声を漏らす。


「今日までも色々とありましたけど、むしろ今日からが本番なのかも知れませんね。

 これから移住希望者も来客もどんどん増えるのでしょうし……この町も賑やかになっていくのでしょうねぇ」


 そんなけぇ子の独り言に対し、それを聞き逃さなかったらしい善右衛門がその視線を空から落とし、驚愕の表情を浮かべながらけぇ子に声をかける。


「待て、けぇ子。

 今の言葉は一体どういう意味だ?

 なんだってまた移住者や来客が増えると……?」


「き、聞こえていましたか。

 まぁ……その、今回の件は演劇のこともあって、善右衛門様に興味を抱いていなかった山の目達にも知れ渡ることになりました。

 それだけでもかなりの興味を引いてしまっているのですが……今日の善右衛門様は、私と二人でこうして……その、仲睦まじく見えなくもない距離で寛いでおられたでしょう?

 そのおかげで善右衛門様は妖怪に対しての、獣に対しての隔て心を持っていないのだと、山の目達が気付いてしまったようでして……善右衛門様へと、私達へと向けられる視線の数が今までとは段違いになっているようなんです」


 けぇ子にそう言われてようやく善右衛門は自らの下に向けられている視線の数に気付く。

 それは周囲の観覧席だけでなく、木々や岩の隙間などからも向けられていて……一体どれだけの目が善右衛門達を見ているのだろうか。


 そんな善右衛門のことを見つめながらけぇ子が言葉を続ける。


「ですので……まぁ、それなりの警戒心を持って遠方から眺めるだけ……というのは今日で終わってしまうんじゃないかなって。

 これからこの町に住みたいとか、遊びに行きたいとか言い出す山の目達が増えるんじゃないかなって……そう思ったんですよ。

 善右衛門様にとっての、お奉行様にとってこの町での日々は……むしろこれからが本番なのかも知れませんね? ……と、そんなことを思っての独り言でした」


 けぇ子のそんな言葉を受けて善右衛門は、夏の夜空を見上げて遠くを見て……なんとも言えない表情をし、なんとも言えない感情を込めた溜め息を吐く。


 奉行として町が賑やかになること、それ自体は歓迎したいことなのだが……同時にまた面倒な、妖怪変化独特の様々な事件が起きてしまいそうで……そのことを考えれば複雑な、なんとも言えない重い感情を抱かざるを得ない。


 しかしだからといって今更ここから逃げるなどという考えは善右衛門の中には存在しておらず、奉行を辞めるという考えもまた善右衛門の中には存在していない。


 ならばもう善右衛門に出来ることは覚悟を決めることだけ……なのだが、中々感情が定まらず、気持ちが定まらず、重い感情が善右衛門に覚悟を決めさせまいと邪魔をしてきてしまう。



 そうしてしばしの間、うんうんと悩み、あれこれと苦悩した善右衛門は、どうにかこうにか胸の内で渦巻いていた重い感情を、溜め息と共に吐き出すことに成功する。


 そうやって覚悟を決めた善右衛門は、けぇ子へと視線を戻し、


「ああもう、山の目だろうが妖怪変化だろうが何でも来るが良いさ。

 この町奉行、暖才善右衛門が、その全てを迎え入れてくれるわ。

 ……ただし一度悪事を働けば、その時は一切の容赦をせぬと、そう山の目達に伝えておけ」


 と、そう言って……半ば無理矢理に、なんとも見栄えの良い笑顔を浮かべてみせるのだった。


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