祭囃子の中で

第36話 祭り前日


 狐達との件が決着したあの日から何日かが過ぎて……祭り本番を翌日に控えての宿場町はなんとも明るく楽しげな空気に包まれていた。


 以前に見た花を模した紙細工や色とりどりの提灯だけで無く、真神と神の名が刺繍された赤いのぼりや、細長い色紙を風に流す竹飾りが立てられていて……何処からか祭囃子を練習する音が響いてくる。


 ぽんぽこぽこぽこと響くその音に、町民達の足取りは軽やかになり、楽しげになり……その足音が祭囃子を一段と賑やかなものにしていく。


 新しい町での新たな生活が始まり、町の片付けや整備も終わり、厠に神社に祀る神も戻って来た。


 狐達の事件も解決し、不安な気持ちも綺麗さっぱりと晴れて前途洋々、意気軒昂。


 この雰囲気の中では泣いた子供でさえも直ぐ様に笑顔になることだろう。


 

 そしてそんな町の中央を貫く道を、町の誰よりも明るい空気を纏いながら歩く男の姿がある。


 町奉行、暖才善右衛門。

 

 長年の間、その身を縛り続けていた枷から開放された善右衛門は、今やこの町の誰よりも明るい空気を纏い、他の誰よりも生気に満ち溢れていたのだ。


 そしてそんな善右衛門の側には、今日も今日とて八房の姿がある。


「ひゃわん!」


 と、元気に鳴く小さな狼の子、八房は白い毛に覆われた尻尾をふっさふっさと揺らしながら善右衛門の足元を駆け回っている。


 あの時、大きな体となり言葉を喋り、そしてその神格を示していた八房。


 だが、それはあくまで一時のこと。

 けぇ子とこまから力を借りての仮の姿であり……借りた力を使い果たした八房は、いつも通りの姿となっている。


 けぇ子とこまによると、八房もいつかは力を取り戻し、あの時の姿に戻るのだろうが……それは当分先のことになるらしい。


 一度零落しかけた神が本当の神になるというのは、獣が妖怪になるのとは全く訳が違う。


 相応の時間と、相応の力が必要になることで……あの時のあれはあくまで例外中の例外、けぇ子とこまの犠牲があってようやく成し得たことだったのだ。


 そしてあの時、八房と共に狸姿と狐姿で現れたけぇ子とこま。


 彼女達は善右衛門の為に、八房を神に戻す為に、その力の殆どを失ってしまっていて……人に化けることすら出来なくなってしまって……それ故にあの時、獣の姿で現れたのだ。


 ……だが、獣が妖怪になるというのは、神が神となるのとは全く訳が違う。

 けぇ子とこまは、今日までのたった数日の間に、

 

「善右衛門様! お江戸ではお祭りの際には派手な柄の着物を着るって本当ですか?

 本当だとしたら私達はどんな柄にしたら良いですかねー? やっぱり花火柄でしょうか?」


「わたくしとしましては、やはり花柄が良いですねぇ。

 夏といえばやはり月下美人でございましょうか」


 と、善右衛門の数歩先で、葉っぱから作り出した着物生地を人の姿をした体に巻き付けてくるくると踊り歩けるくらいに力を取り戻していたのだった。


「夏祭りと言えばやはり雪華模様 (雪の結晶の模様)だろう。

 炎天降り注ぐ夏だからこそ涼しげな模様が映えるというものだ。

 ……何色の生地を選ぶか、着物全体に雪華を散らすか、雪が積もるが如く足元にだけ雪華を積もらせるかは、それぞれの感性が試されるな」


 以前の善右衛門なら言わなかったであろう、そんな言葉を受けてけぇ子とこまはむむむと唸る。


 どんな色の生地にするか。

 どんな雪華を散らすか。

 どんな風に雪華を散らすか。


 夏祭りは明日から。

 悩んでいる時間は無いと言って良いだろう。


 そうしてけぇ子とこまは、お互いの目を見つめ合い、見つめ合った視線の中で火花を散らしてから……夏に映える見事な柄の着物を完成させるべく、それぞれの家へと駆け戻っていく。


 駆けていく二人を見送りながら柔らかくふんわりと笑う善右衛門。

 そんな善右衛門の笑顔を見て、八房が声を上げる。


「ひゃわーん、わわん!」


「うん? 何か言いたげだな?」


「ひゃわん! ひゃわーん!」


「……何故あの二人を煽ったと、そんなところか?

 あの二人……相性は良いだろうに、いま一つ踏み込めず、互いの距離を縮められずにいるようだったからな。

 今回の件で少しでも距離が縮まればと思っただけのことだ」


「ひゃわん!!」


「祭りとはそういうものだ。

 日頃の鬱憤憂さを晴らし、いつもとは違う空気の中で己を開放し、来年の祭りまでの一年を過ごす為の英気を養う。

 そんな中で芽生える縁もあるだろう、進む関係もあるだろう……それを楽しんでこその祭りというものだ。

 もしかしたら余計なお世話なのかも知れないが……祭りの気にあてられてのことだ、許せ」


「……ひゃわーーん!」


 そんな会話をしながら善右衛門と八房はゆっくりと町の中を見て歩き、祭りの前の独特の空気を存分なまでに堪能していく。


 そうして祭りの本番を明日に控え、宿場町はこれからが勝負だと言わんばかりにどんどんと賑やかになっていくのだった。

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