第32話 揺るがぬ善右衛門

 暗闇の中、一体どれほどの時が経ったのか忘れてしまう程の時が過ぎて……そうしてついに言葉が枯れ果てたのか声が枯れ果てたのか、罪人達が黙り込んでしまう。


 それを見て……静かになってしまった罪人達の顔をぐるりと見回して、今の今まで何もせずただ黙ってそこに立っているだけだった善右衛門が、ずいと前に進み出る。


「……どうした? もう終わりか?」


 そんなことを言いながら前へ前へと進み、罪人達を間合いの内に捉えようとする善右衛門を見て、罪人達は恐れ慄き、後退りながら悲鳴のような声を上げる。


「なんだ、なんなんだお前は!?

 これだけのことを言われて思う所すら無いのか!?」


「どうして涼しい顔をしていられる! どうして何も言わずにいられる! 何か我らに言うべきことは無いのか!?」


「お前には僅かな慚愧の念すら無いのか!!」


 そうした罪人達の声に対し善右衛門は、涼しい顔をしたまま刀を振り上げて……、


「無い」


 との一言を返す。


 刀の柄をしかと握り、いつでも刀を振るえるように全身に力を込めた善右衛門は、そうして自らの心が思うがままに言葉を吐き出す。


「地獄に落ちる覚悟などとうの昔にし終えている。

 自らが誤っているかもとの迷いも、苦悩も、後悔も、最初の沙汰を下したその夜にし尽くした。

 今更この程度のことで泣き言を言うくらいならその段で腹を斬っているわ。

 この暖才善右衛門が伊達や酔狂で奉行をしているとでも思ったのか?

 ……俺に泣き言を言わせたいのであれば、地獄が如く、数百年数千年の責め苦を持ってして責め立てるが良い」


 静かな顔で淡々とそんな言葉を吐き出した善右衛門は、いつの間にやら罪人の一人……うらぶれた顔をした男を自らの間合いの内に捉えていて、その罪人を強く睨みつけて言葉を続ける。


「そもそもだ、弥七郎……お前如きがよくもまぁ無実だなどと口に出来たな。

 お前のことはよく覚えているぞ……妻子殺しの大悪人め。

 借金浮気を重ね、毎夜の如く妻子と喧嘩、そうして妻子に捨てられそうになり、その屈辱に耐えかねたという動機があり、自らの家の床下に血に濡れた凶器を隠し、その上目撃証人が複数人。

 これらの証言証拠だけでも十分沙汰を下すに足りたのだが……それでもお前の嵌められたとの主張を信じてやって、証人、関係者全員の仕事、金回り、親類縁者までも洗い直し……洗い直した上でお前を嵌めようとする者など一人として存在しないとの結論を出したあの沙汰の事……忘れたとは言わせんぞ」


 善右衛門にそう言われて、弥七郎と呼ばれたその罪人は、怒りとも憎悪ともつかないなんとも言えない表情をし……そんな表情のまま黙り込む。


「折角罰を受け、罪を洗い流したというのに、化けて出て……更なる罪を犯すとはなんと愚かな!!

 ―――いや、そもそもお前は弥七郎では無いのだったな!」


 そう言って善右衛門は、あらん限りの全力を込めた剣閃を弥七郎の形をとる何かに叩き込む。

 すると弥七郎だった何かは、血を吹き出すことも無く真っ二つに斬り裂かれて……揺らめき、暗闇の中に溶け込むようにして消え去る。


 弥七郎が消え去った後に正体を現すに違いないと、この事をしでかした犯人であろう狐達が姿を見せるに違いないと刀を構え直し神経を尖らせる善右衛門だったが……狐はその姿どころか毛の一本すらも見せず、そうして善右衛門は、はて? と首を傾げてしまう。


 首を傾げて、少しの間悩んで……悩むより行動か、との結論を出した善右衛門は、善右衛門の突然の凶行に恐れ慄きあれやこれやと声を上げる罪人達を、先程の罪人のように次から次へと斬り捨てて行く。


 ……が、それでも狐は姿を見せず、そうして全ての罪人達を斬り消し終えた善右衛門は「むう」と唸る。


(以前権太達から聞いた、しゃれこうべを使うという術でもって狐が化けているとばかり思っていたのだが……間違っていたのか?

 一体何が狙いなのか、一体何をしたいのか……狐達の真意を探る為に好きにさせみたが……徒に時間を過ごしただけだったか)


 と、そんなことを胸中で呟いた善右衛門は、前方に広がる暗闇を睨みながら手にした刀を鞘に納めようとする……が、慣れたはずのその動作に手こずり、何度も失敗し、ついには鞘が何処にあるのかも分からなくなってしまって……仕方なしに鞘へと目を向け、鯉口をじっと見やりながら、そっと丁寧に刀を納める。


(……そもそもこの空間、何もかもが曖昧とし過ぎて判然としないにも程があるぞ。

 時が経っているのか、いないのか……今自分が立っているのか、座っているのかも目に頼らなければ判断が出来ん。

 この感覚、まるで夢の中に居るかのようで……うん? 夢?

 そうだ、この感覚……何もかもが上手く行かぬ、ままならぬ悪夢の中のようではないか)


 夢の中にいるような曖昧な感覚、夢の中にいるような胡乱な五感。


 あるいはこれは夢の中では無いかと、そう善右衛門が思い立った折……前方の暗闇にびしりとひびが入る。


 暗闇を切り裂くかのような、白く輝く不思議なその罅からは聞き慣れた者達の声が響いて来て……そうしてそのひびから白い影が、善右衛門の下へと飛び込んでくるのだった。

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