暖才 善右衛門

第31話 暗闇の中で

 全く何も、自らが立っているはずの地面すらも見えぬ暗闇の中、一人佇む善右衛門。


 前も後ろも左右も上下も、何もかもが分からないそんな空間の中で静かに佇み……それでも刀だけはしっかりと構えて、姿勢を崩さず『敵』の襲撃を待ち受ける。


 一体何が起こったのかまるで訳が分からないが……慌てた所でしようが無い、暴れた所でしようが無い。

 これが狐達の仕業だということは分かっている、ならばただただ狐達の襲撃にだけ備えていれば良い。


(あるいは八房がけぇ子達の下へと辿り着き、事の次第を伝えてくれるかも知れん)


 と、そんなことを考えながら善右衛門は、静かに冷静に佇み続ける。


 

 そうしてどれだけの時が過ぎたのか、ふいに善右衛門は前方……かなりの距離が離れた先に何者かが立っていることに気付く。


 ぼんやりと暗闇の中に浮かび上がるその姿を見るに、それはどうやら人であるようで……善右衛門は、狐が化けた姿か? と訝しがりながらも、訳の分からぬ空間で迂闊に動く訳には行かないと、ただその姿を警戒だけにして構え続ける。


 そうやって善右衛門が何もせずに構え続けていると……前方でぽつんと立っていた何者かが暗闇の中を滑るようにして移動し始めて、善右衛門の下へと近付いてくる。


 そうしてその何者かは、その顔がはっきりと視認出来るところまで近付いて来て……その顔を見るなり善右衛門はくわりと目を見開き、その全身を強張らせる。


 目の前に居るそれは……善右衛門が以前、沙汰を下して罰し、その生命を奪った罪人の顔をしていたのだ。


「よくも……よくも無実の俺の首を斬れなどと命じてくれたな!!

 俺は無実だったのに、何も罪など犯していないのに、それをお前は……!」


 凄まじい形相となり、両手の平を天に向け、わなわなと震わせながら罪人はそう言って、善右衛門にあれやこれやと恨み言をぶつけて来る。


 そんな中、またも別の何者か……また別の罪人が暗闇の中に現れて、凄まじい形相をし、先程の罪人と同じようなことを善右衛門に訴え、恨み言をぶつけて来る。


 そうして次々と暗闇の中に現れては、善右衛門の下へとやって来て恨み言をぶつけて来る、罪人達。


 その顔全てに見覚えがある善右衛門は、何も言わずに言い返さずに、ただただ罪人達の言葉を受け止め続ける。


「私の言葉に一切の耳を貸さないで、勝手に罪人だと決めつけて……何が奉行だ!」


「返せ! 俺の首を返せ! 俺の命を返せ! この鬼畜生め!」


「したり顔で俺たちのことを裁きやがって! お前だ! お前こそが罪人だ!」


「お前が、お前ごときがこの私に沙汰を下すとは……!

 お前のせいで私はあんな刑罰を受けるはめに……!

 この恨み骨髄まで……! 決して忘れぬぞ!」


 そんな罪人達の中には、善右衛門がこの宿場町に来るきっかけとなった、自らの性欲が赴くままに行動し、挙げ句五人を殺しまでした商家の跡取り息子の顔まであり、その顔を見た善右衛門は、


(なるほど、しかと刑に処されたか……。

 その後どうなったかが気がかりであったが……これで一安心だ)


 と、小さく静かに頷く。


「何を……!? 何だ貴様その態度は!

 貴様は無実の人間をこれだけ殺しておいて、僅かな慚愧の念も抱かないのか!」


「貴様の沙汰は誤りばかりだ、何もかも、その全てが誤りだった!」


「嘘を吐き捨てる証人を信じ、俺たちを信じず、そうしてお前は道を誤ったのだ!」


「いい加減に、自らが悪人なのだと……沙汰を誤ったと、悪事を犯したのだと認めたらどうだ!」


 善右衛門が頷いたのが余程気に障ったのか、罪人達は一気にその気色を色濃くし、激しく善右衛門を責め立てる。


 罪人達が口にする言葉は次第に苛烈さと下劣さを増していって……そうしてただの罵詈雑言と化していく。


 そんな罵詈雑言の渦の中心で善右衛門は特にこれといった反応を示さずに、ただ静かに、微動だにせず刀を構え続ける。


 ある一定の距離までは近付いて来たもののそれ以上は一歩も近付いてこない……善右衛門の間合いに決して踏み込んでこない罪人達が、いつかどこかの機に動き出しやしないかと警戒し、そうしながら何も言わず何もせず、罪人達の放つ言葉にするのも憚られる言葉達を真っ直ぐに受け止めて……自らの中に呑み込み続ける善右衛門。



 そうしてその罵詈雑言の渦はいつまでもいつまでも、一体どれくらいの時間が経ったのか、何刻経ったのか、何日経ったのか、何月経ったのか、何年経ったのか分からくなってしまうほどの長い間、渦巻き続けて……善右衛門を責め立て続けるのだった。

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