第22話 厠神



 厠神。


 かつて古の神々がその役割を決める際、どの神々もが嫌がった厠の神になると自ら買って出た、神の中でも特に徳が高いとされる神。


 厠を守る為、厠の中に住み……人が用を足す度に右手で大便を受け止め、左手で小便を受け止め、それらを浄化している。


 ごみなどが厠の中に投げ入れられると、両手が塞がってしまっている厠神は口で受け止めるしかない為、決して厠の中にごみなど余計な物を捨ててはいけないと言い伝えられている。



「―――人の身近にあって、人の日々の生活を守り、人を愛する善神、徳神。

 それが厠神様なんです」


 そんなけぇ子の説明を聞いて「なるほど」と頷いた善右衛門は、厠の方へと視線をやる。


「……所詮は妖怪の残滓、神には勝てなかったか」


「今頃殺生石は厠神様のお腹の中なんでしょうねー」


「あんなにも酷かった瘴気がすっかりと消えていますし、どうやら殺生石は神の御力で浄化されたようで……。

 全ての殺生石が一箇所に集められてしまうと、かの悪逆の九尾が蘇ってしまうと言われていたのですが……これからはその心配をする必要は無い、ということでございましょうか」


 厠を見つめながらの善右衛門の呟きに、けぇ子とこまがそんな言葉で続く。


 そうして善右衛門が調査の続きをしようと、狐達の目的を探ろうと、その場から立ち去ろうとすると……そんな善右衛門の前に両手を広げたけぇ子が立ち塞がる。


「……善右衛門様。

 お仕事も大事ですけれど、まずはこの厠のお掃除をしましょう。

 厠神様はとても綺麗好きな神様なので、厠を綺麗にお掃除すると、とても喜ばれるんですよ。

 ……経緯はどうあれお世話になったのは確かなのですから、お礼はちゃんとしなきゃ駄目です」


 静かな、諭すようなけぇ子のその言葉に、善右衛門は言葉を返そうとする……が、けぇ子がいつになく真剣な表情を浮かべているのを見て、返そうとしていた言葉を飲み込んで静かに頷く。


 そうして善右衛門達は、まずは殺生石の影響を受けてしまった狸達を介抱し、そしてその狸達に手伝って貰いながら、汚れ果て悪臭を放っていた厠を掃除していく。


 とは言え、その作業のほとんどをけぇ子達が妖術を使ってやってしまったので、善右衛門もこまもそう大したことは出来なかったのだが……それでも懸命に戸板を磨いたり、戸板を直したりとして……そうして先程までとは打って変わった綺麗な姿となった厠が出来上がる。


 綺麗になった厠の前に立ち、けぇ子の音頭でかしわ手を打つ善右衛門達。


 そうやってしばしの間瞑目し、祈りと感謝を済ませて目を開くと、


「……後でしめ縄もご用意しないとですねー」


 なんてことをけぇ子が口にする。


(厠にしめ縄をするのか……)


 と、その図を想像してなんとも言えない気分になる善右衛門だったが、しかしそこに神がいるのであればしめ縄をするのは当然のことのようにも思えるし……あの狐達を取り逃してしまった以上、また同じようなことが起こるかもしれず、また厠神の世話になることがあるかもしれず……掃除の件も含めて、これもこの町に妖怪と住む以上は避けられぬ事か……と、自らを納得させる善右衛門。


 そうして厠の掃除と、厠神への礼を済ませた善右衛門が、今度こそ調査の続きだとその場を離れようとすると……善右衛門の草鞋が何かに引っ張られたかのように突っかかってしまう。


 けぇ子の仕業かと顔を顰める善右衛門だったが、しかしけぇ子はしめ縄を用意する為なのか、厠小屋の側でその寸法を測っている。


 こまも狸達もけぇ子のその作業を手伝っていて……ならば一体誰が、一体何がと視線を草鞋へと落とす善右衛門。


 すると草鞋の先、先程厠の戸が倒れていた辺りの地面に「犬」との一文字が刻み込まれている。


 それを見て善右衛門が、


「犬?」


 と、思わず呟くと、その声を聞きつけたらしいこまが声を返してくる。


「……あぁ、そうでございますね。

 狐を追うのであれば犬の力を借りるのが一番。

 かつて九尾の狐を討った武士達も犬の力を借りたと聞き及んでいますし……善右衛門様、よくご存知で」


 こまにそう言われた善右衛門が「いや、知っていた訳では無く……」と、そんなことを呟きながら再び地面へと視線を下ろすと……そこにあったはずの犬の文字が綺麗さっぱりと消えてしまっていて、それを見た善右衛門は一体これは何事だと訝しがる。


 自らの勘違いだったのか、見間違いだったのか……それとも、もしや……。


 と、予感のようなものが走った善右衛門が慌てて厠の方へ視線を移すと……一陣の風が吹き、厠小屋がかたかたと揺れて……それを見た善右衛門は、まるで厠が笑っているようだと、そんな感想を抱く。



 そうしてしばし頭を悩ませた善右衛門は、調査を続けながら手の空いた時間があれば犬を探してみるかなと、そんなことを思うのだった。


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