鼠達による襲撃事件、その吟味

第16話 鼠達による襲撃事件、その吟味 その1


 銀狐のこまが奉行屋敷へと駆け込んで来た日の翌日、昼過ぎ。

 

 善右衛門とけぇ子は奉行屋敷のある一室へと向かって、無言で廊下を歩いていた。


 けぇ子が用意してくれた藍色の肩衣に袴という半かみしも姿で、家紋の入った墨箱と紙束を手にした善右衛門は厳しい顰め面で歩を進めて行って……善右衛門のそれに似た墨箱と紙束を手にしたけぇ子はひどく緊張した面持ちで歩を進めて行って……そうして二人は屋敷の奥半ば程にある、大部屋へと足を踏み入れる。


 その部屋の下座には、怪我の手当てを終え、身なりを整えた姿で畳の上に座すこまと、けぇ子が妖術でもって編んだ牢屋のような造りの竹籠の中で伏す三匹の鼠の姿がある。


 こまとその鼠達を一瞥だけした善右衛門は、何も言葉を発さずに格式張った仕草で部屋の奥へと進み、上座にて足を畳んで正座をし、墨箱と紙束を自らの脇へと置く。


 そんな善右衛門の後に続き、善右衛門の斜め後ろに控える形でけぇ子が腰を下ろし、善右衛門と同様その脇に墨箱達を置いたのを、その気配から察した善右衛門は、改めてこまと鼠達へと視線をやって……一呼吸置いてから口を開く。


「これより、権太ごんた権郎ごんろう権三ごんざの三匹による襲撃事件の吟味を始める」


 本来であればこのような場、このような形で奉行による吟味が行われるなど、まずあり得ないことだ。


 与力、同心による事件の捜査、被害者への聴取、容疑者の取り調べが行われ、その結果をもって白洲の場が開かれ、奉行による事件の吟味が行われるのが本来の形である。


 しかし現状、この町に居る役人は奉行である善右衛門だけである。


 与力や同心など居るはずも無く、そもそもこの奉行屋敷には白洲の場すら存在しておらず、作られておらず……そんな状況下では本来の形も何も無かったのだ。


「今回の事件の吟味にあたって、まずは被害者のこま。容疑者の権太達の双方に問いたいことがある。

 ……俺の知る限り妖怪変化達のしでかした事件を裁く法は存在していない。

 その上で、この俺に沙汰を求めるということは、法と言う名の確固たる規範の無いままに、全ての判断を俺に、俺の考え、俺の倫理の下に委ねるということと同義である。

 勿論この町の奉行として公平に、公正に、お前達の期待を裏切らぬよう、この名に恥じぬような沙汰を下すつもりではあるが……場合によっては俺の独りよがりな、お前達の想いを顧みないような沙汰が下されることもあるやもしれぬ。

 双方、それでも俺にこの事件の沙汰を委ねるのか、委ねる覚悟があるのか……その考えを問いたい。

 ……まずは化け狐のこま、お主はどうだ?」


 そう善右衛門に問われて、その表情をいくらか固くしたこまは、善右衛門の言葉を飲み込み、その意味をよく考えた上で……ゆっくりと一つ頷いてから、畳に手を付き、頭を下げながら言葉を返す。


「はい。

 この町の町人になると決めた時から、善右衛門様をお奉行様として信頼し、沙汰を委ねる覚悟でございました。

 こうして被害者の立場となった今でもその気持ちは変わりません。

 どうか正しき御沙汰の程をよろしくお願い致します」

 

 こまのその言葉を耳にし、その態度を目にした善右衛門は、


「頭を上げよ」


 と、一言だけを口にする。


 それを受けて頭を上げたこまの目を、真っ直ぐ見つめながらしっかりと頷き返し……そうして次に善右衛門は、鼠達へと視線を移す。


「ならば次に化け鼠の権太、権郎、権三に問う。

 お主達はどうだ?」


「へ、へぇ!

 あ、あの暖才善右衛門様が、公平に公正に裁いてくださるっちゅうなら、あっしらは何の文句もございません。

 ご、権郎も、権三もそうだよな? な?」


「へ、へい! その通りで!」


「あ、あっしも文句ねぇでさ!」


 竹籠の中でずっと頭を下げたまま、伏せたままの権太、権郎、権三が、順にそう言うと、善右衛門は鼠達にも「頭を上げよ」と声をかけ、そして頭を上げた鼠達の目を見つめて、しっかりと頷く。


 

 江戸の世において、与力、同心の取り調べというと、それは暴力、拷問が伴うのが常であった。

 ありとあらゆる道具を使い、責め苦をもって疑いのかかった者の口を無理矢理にでも開かせるのだ。


 時にそれは無実の者にまで罪の自白をさせ、誤った沙汰へと繋がることがあり……善右衛門はそうしたやり方を酷く嫌っていた。


 白洲の場にて何度そうした偽の証言を見破ったことか、何度「調べが足りぬ、暴力に頼るな」と与力、同心を叱りつけたことか……その数、数えきれない程だった。


 そうした善右衛門の考え方、やり方は一部の与力、同心に酷く嫌がられていて……そのこともまた善右衛門がこの町へと飛ばされた遠因だったのかもしれない。


 しかしこの場では、この場に居る役人は善右衛門だけであり、善右衛門は善右衛門のやり方で事件に向かい合うことが出来る。


 事件が起こったこと自体は決して喜べるものではないのだが……それでも、それでも善右衛門は、ここでならば自分のやりたかったことが出来るのではないかと、自分の描いた理想の奉行で居られるのではないかと、そう思わずにはいられず……そうして自然と活力とやる気に満ちあふれてしまう。



 果たしてそれが、そんな善右衛門のやる気と態度が、この事件を、この吟味をどんな結末に導くのか……。


 吟味はまだまだ始まったばかり。

 善右衛門の戦いはこれからが本番である。



 

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