第12話 再びの夕餉、そして湯殿

 夕刻、日が少し傾き始めた頃。


 奉行屋敷に戻った善右衛門は、居間で座布団に上に座りながら、こま達の名前が足された人別改帳を眺めていた。


 一人一人の名前を指でなぞり、そこに書かれた名前、情報からその顔を思い浮かべ……その記憶をしっかりと噛み締めて確かなものとしていく。


 そうやって善右衛門が夕日の明るさを惜しみながら時間を過ごしていると、台所の方からけぇ子の鼻歌と、けぇ子が調理の為に放っているらしい妖術のものと思われる騒がしい音が聞こえて来て……その音を耳にした善右衛門の口元が僅かに歪む。


 昨日の夕餉の際、ちょっとした失言がきっかけで「明日の食事は蜂の子にする」と、そんなことをけぇ子に言わせてしまった善右衛門。


 朝餉は至って普通の蜂の子の姿の無い食事だった為、恐らくはこれから蜂の子の料理が出てくるのだろうと、そんなことを考えて……歪んでいた善右衛門の口元が更に深く歪む。


 それからしばらくして、夕餉の支度を終えたらしいけぇ子が笑顔で膳を運んでくる。


 それを見た善右衛門は、瞑目して人別改帳を胸元にしまい……そうして一息呑み、覚悟を決めてから目を開く。

 

 すると目の前には、山盛りの白飯、湯気立つ山菜味噌汁、漬物小鉢、塩焼き魚といった至って普通の献立の姿があり……そんな膳の端の端に醤油で炒めたらしい蜂の子二匹入りの小さな小鉢の姿がちょこんとある。


「うふふ、山盛りで出てくると思いました?

 いくらなんでも不慣れな人にいきなりそんなことはしませんよ。

 まずはそれを食べて頂いて、気に入って頂けたなら、少しずつ量を増やしていきますね」


 膳の向こうで膝を折りながら口元を隠しながらそう言うけぇ子。

 どうやら膳を置いてからずっとそうやって善右衛門の姿を眺めていたらしい。


 余計な心配をしたせいで余計な恥をかいてしまったと善右衛門は、口をへの字に曲げ……そうしてから箸を取り、夕餉を摂り始める。



 それから自分の膳を持ってきたけぇ子が夕餉に合流し、静かに二人での夕餉の時が進み……そんな夕餉の最後にと二匹の蜂の子を口の中に放り込んだ善右衛門は、意外にも美味しく、口に合った蜂達をゆっくりと味わい、そうしてから口を開く。


「意外に美味いな……。

 思えばここは山の奥深く、海の幸が手に入らない以上はこういった物も食べていく必要があるのだろうな」


「そうですねー。

 川でいくらかのお魚が手に入りますけど、それでも海の幸の豊富さには負けますからねー。

 ……お肉ならいくらでも手に入るのですけど……」


「……肉か。

 以前食った鹿肉は中々のものだったな。

 馬だの猿だのは流石に食う気はせんが、熊、猪、鹿辺りなら膳に上げても構わんぞ」


 そんな善右衛門の一言にけぇ子はその目を見開いて驚く。

 人は獣肉を食らうことを忌避していると、人の世に詳しい母から教えられていたからだ。


「そう驚くことでも無いだろう。

 ……俺は神仏を好いていないのだからな」


 世の人々が獣肉を忌避するのにはいくつかの理由が存在していた。


 かしこき辺りから口にするなとの命があった。

 口にすると目や腰が悪くなり寿命が縮むと古くから言い伝えられている。

 殺生を禁ずる仏の教えに反する。


 ……などなど。


 そうした理由達の中でも最も大きな理由となるのが、仏の教えに反するからであり……神仏を嫌い、信じていなかった善右衛門は、神仏など存在しないのだし構うものかと、鹿、熊、猪などの肉を……流石に大っぴらにではないが、機を見て幾度か口にしたことがあったのだ。


「だがまぁ、安心すると良い。

 狸やら狐やらの肉に関しては、ただの一度も口にしたことは無い。

 ……何であれば神仏に誓っても良いぞ」


 驚いたまま、目を見開いたままのけぇ子を見てなのか、善右衛門がそんなことを言うと、けぇ子は一段と大きく驚き……そうしてから「ふふっ」と笑い、


「はい、安心しました」


 との一言を口にし……そしてまた「うふふ」と笑う。



 そうして夕餉の時間が終わりとなり、今日もけぇ子が柿の葉茶を淹れてくれて……それをがぶりと飲み、一心地つけた善右衛門は、少しの間体を休めてから立ち上がり、湯殿へと足を向ける。


 そんな善右衛門の後を追いかけるようにけぇ子が続き、そうやって二人で湯殿へと向かうと、入り口の前の広場に、手拭いを片手にほかほかと湯気を纏う狸達の姿があり……それを見た善右衛門は、ああ、そう言えば使って良いと許可を出したのだったなと、昨日のけぇ子とのやり取りを思い出す。


 狸達は余程に湯殿が気持ちよかったのか、皆が皆緩んだ笑顔でその毛をつやつやとさせていて……笑顔のまま善右衛門に一礼をしてから勝手口へと向かっていく狸達のことを、しばし無言で眺めた善右衛門は、狐達にも湯殿のことを、温泉のことを伝えるべきだったということに思い至り、片手でもって頭を抱える。


 するとけぇ子が、そんな善右衛門の様子を見て、その内心を読み取り、


「善右衛門様、ご安心ください!

 昼の間に、私の方で湯殿の話は済ませておきました!

 今この場に狐さん達がいないのは、時間を分けて順番に使おうという取り決めになったからで、狐さん達は既に私達が夕餉を摂っている間に湯浴みを済ませているはずです!」


 と、元気良く声をかけてくる。


 善右衛門はそんなけぇ子に


 「ああ、安心した」


 と一言だけ返し、その一言に二人で笑い合い……そうして二人はそのまま、笑顔のまま連れ立って脱衣所へと向かうのだった。


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