第7話 食後のひととき


 食事を終えて、けぇ子の入れてくれた柿の葉茶をがぶりと飲み、そうして一心地ついた善右衛門は、ふーふーと茶を冷ましながらゆっくりと飲むけぇ子のことをじぃっと見つめて……昼間から抱いていた疑問を口にする。


「……その姿、自由自在に変えられるのか?」


 つややかな髪、柔和な目鼻立ち、何処かで見たことのあるようなけぇ子のその顔は、まるで作られたものかのように整っていて……あえてそういう風に変化しているのかと、そんな疑問を善右衛門は抱いていたのだ。


「えぇっと、変えられないことも無いですけど……ずっとは無理、ですね。

 無理に自分に合わない姿になっているとすっごく疲れちゃいますので」


「すると、その姿はけぇ子に合う姿、ということになるのか?」


「はい、その通りです。

 例えばこの着物ですけど、毛並みが荒れていたり、汚れていたりするとボロボロの汚い着物になっちゃいますし、髪の毛の色艶も毛の手入れをちゃんとしているかどうかが大きく影響しますね。

 善右衛門様には見分けがつかないかもしれませんが、この顔も狸から見ると狸の頃の私にそっくりなんですよ?

 性別を変えるとかも凄い力が必要になりますし……無理な変化は長続きしないんです」


 自らの着物撫で、髪を撫で、頬を撫でながらそう言うけぇ子をしばし眺めた善右衛門の視線は……自然とその頭の上に乗る狸の耳へと向いていく。


「なるほどな……。

 無理な変化は疲れるとのことだが、その耳と尻尾をしまうことも難しいのか?

 その有様ではすぐに正体を見破られてしまうだろう?」


「ああ、これはですね、わざとなんですよ。

 耳も尻尾もない完全な人の姿に化けちゃうと、人から怖がられちゃうって、人とはそういうものだってお母さんから教わりまして……ですから人の姿を借りる際にはわざとこうするようにしてるんです。

 私達だけじゃなくて人を化かす気の無い、害する気の無い妖怪変化達は皆こうしてその正体が何者なのか、元々が何の動物なのか一目見てすぐ分かるようにしていますね」


 茶碗を傾け、柿の葉茶をもう一飲みし……けぇ子の言葉を呑み込む善右衛門。


 たかが化け狸如きが人に化けたとて、人が恐れるものか……と考えはしたものの、人に悪意ある妖怪変化が人の姿と全く変わらぬ姿に化けて、人の世の中に紛れ込んでいるとしたら、そしてそのことを人々が知ったとしたら……。

 

 途端に人々は隣人が、己以外の全てが妖怪なのではないかと疑心し、恐怖に飲み込まれてしまうことだろう。


 もしそれが狸の仕業だと知れでもしたら、人々は恐怖にかられて目に付く狸全てを襲い始めるかもしれない。


 翻って人に化けたけぇ子達の姿を初めて見た善右衛門はその姿どう思っていただろうか。


 頭に耳を乗せ、着物から尻尾をはみ出すその姿を、なんと間抜けな姿だと侮っていて……そこに恐ろしさなど微塵も感じてはいなかった。


 その姿を見たのが女子供であれば愛くるしい可愛らしいと喜んだかもしれない。


 なるほど、道理だなと納得する善右衛門。


 そして同時に、狸と侮っていた己の愚かさを反省し、化け狸達のことを、けぇ子達のことを大きく見直す。


「……なるほどな。

 これらの料理はその母堂に習ったのか?」


「あ、はい、そうです、そうです。

 お母さんは色々なことに凄く詳しくて、料理とか裁縫とか……他にも色々なことを私に教えてくれたんです」


「立派な母堂だったのだな。

 ……御母堂は、今はあの大旅籠に?」


「……ああ、いえ、その随分前に……」


「そうか、それは悪いことを聞いたな」


 そう言うけぇ子の表情と、声色でもって事情を察した善右衛門は、一言そう言ってからがぶりと茶を飲み干し……静かに手を合わせる。


 そのまましばらくの間、瞑目し……そうしてから立ち上がり、


「馳走になった」


 と、一言。

 居間の襖を開けて、さて何処で眠るかと他の部屋を物色し始める。


「……あ、善右衛門様、お休みの前に温泉はいかがですか?

 湯殿のご用意、してありますよ?」


 そんな善右衛門を見てか、けぇ子がそんなことを言ってくる。


「……湯殿があるのか? 屋敷の中に?」


「はい、ありますよ。

 ここは元々温泉があるから出来た宿場町ですし……それに、ほら、この奉行屋敷が何故こんな奥まった、山に近い所に何故あるのかと言いますと……」


 そこで善右衛門は、「ああ」と一言漏らし得心する。


 ようするにこの屋敷は源泉に近い、温泉を引くに適した一番良い場所に建てられた屋敷なのだろう。


 本来であれば宿場町の顔となる大旅籠をここに建てるべきだろうに。

 全くどんな腐れ奉行がここに奉行屋敷などという無粋なものを建てさせたのだろうか……。

 町がこうして廃れるのも当然のことだな、と善右衛門は呆れ果てる。


 そうやって半心で呆れ果てつつも善右衛門は、もう半心で屋敷の中に湯殿があるのはありがたい、温泉の湯を浴びれば疲れも吹き飛ぶだろうと喜び、その心を沸き立たせる。


 そんな善右衛門を見てか、着物の裾で口を隠しながら「うふふ」と笑うけぇ子。


 そうして明るい笑顔を取り戻したけぇ子は立ち上がり、ご案内します、と善右衛門を先導する形で屋敷の廊下を歩いていく。


 正面から見ると小屋敷、といった姿の奉行屋敷だったのだが、中を歩いてみると中々どうして広い屋敷であるらしい。


 奥まっているというか、奥に長いというか……これも温泉の為なのだろうか。


 そんなことを考えつつ長い廊下を歩いた善右衛門は、湯殿の前の一画、広場のようになっている場へとたどり着く。


 そこには方や立派な、方や質素な作りとなっている二つの入り口があり、何故に二つも入り口が? と善右衛門が首を傾げていると、けぇ子から


「こちらの立派な方が家主様の使っていた湯殿で、こちらの質素な方が家人用のものとなっています」


 との言葉があり、善右衛門はそんなけぇ子の言葉に、かつての屋敷の主の心根の悪さを察し、心底から呆れ果ててしまうのだった。

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