第2話 化け狸のけぇ子

 善右衛門は白洲の場で何度か、狐に化かされた、狸に化かされたと……そんなくだらない言い訳をする罪人達を見たことがあった。


 妖怪変化など存在する訳が無いだろうと、善右衛門はそうした罪人達の言葉に耳を貸すことなく、厳しく裁いてきたのだが……しかし、それは誤りだったのかも知れないな、と心を痛める。


 何しろ今実際に、自らの目の前に狸の妖怪変化が居るのだからそう思うのも当然のことだった。


 ならばせめて、この人を化かそうとする妖怪変化めを退治してくれようと、善右衛門は旅装の袖を揺らし、草鞋を擦りながら刀を構えた……のだが、目の前の化け狸はひぃひぃと泣き声を上げながら平伏しながら「お許しを、お許しを」と情けないばかりにただただ声を上げ続けるだけだ。


 逃げる訳でも無く、抵抗する訳でも無く、ただ許しを乞う狸のその姿を見て……善右衛門は刀を鞘には納めないものの……刀を構えるのを止めて、放っていた殺気を自らの中に押し留める。



「お前は一体何者だ、どうしてここに居る」


 そうして放たれた善右衛門のそんな言葉に、狸は……ひぃひぃと泣くのを止めて恐る恐るに顔を上げて……震える声を返してくる。


「わ、私は化け狸のけぇ子と申します。

 こ、ここには暖才様にお会いする為にお邪魔しておりました。

 噂に名高い暖才様になら、私達の窮状を救ってもらえるのでは無いかと、そう考えてここにお邪魔しておりました」


 善右衛門はなんだってまた自分は狸達なんかの間で噂になってしまっているのかと驚き、呆れて、頭痛を悪化させながらけぇ子に言葉を返す。


「そう言って俺を騙し、化かす気なのか?」


「ま、まさかそんなとんでもないことです!

 だ、団三郎狸様があの島で神として奉じられて以降、私を含めた狸達は人に感謝し、人に迷惑をかけないようにと日々を生きております!

 私達は決して、決してそのようなことは致しません……!」


 けぇ子の目は、けぇ子のその表情は……善右衛門の目には嘘を言っているようには映らなかった。


 まさか狸の目を、狸の表情を読まなければならない時が来るとは思ってもいなかった善右衛門はその頭痛を更に悪化させながら、唸るような声を上げる。


「……なるほど。

 騙す気は無いとなると、本気で俺に助けを求めてここにやってきたのか。

 ……それで、化け狸達の窮状とはなんだ? 何処ぞの山伏にでも追いつめられたか?」


「いいえ、いいえ、狐です。

 狐共です。私達は酷い狐共に大切な住処を奪われてしまったのです……!」


 そう言ってけぇ子が必死に訴えてきた窮状とは、つまりこういうことだった。


 この近くの山にはけぇ子達、化け狸が父祖代から暮らす洞窟があるのだそうだ。


 そこは多種多様のきのこが生えていて、美味しい虫も多く、そして入り口近くには柿の木も多い為、大変に過ごしやすい場所なのだそうだ。


 洞窟の中に入れば冬になっても凍えること無く、夏場は涼むことができ、そして食にも困らないとなれば、全く極楽といっても過言ではない場所であった……とのこと。


 しかしある日突然やって来た化け狐達が、その妖術でもってけぇ子達を洞窟から追い出し、占領してしまったんだそうで……その不当な占拠に対する正当な裁きの沙汰を、奉行である善右衛門に下して欲しいと、そういうことであるらしい。


 けぇ子の話を聞き終わった善右衛門はその頭痛を悪化させて、気絶してしまいそうな程の痛みを抱え込む。


 自分は確かに町奉行ではあるが……一体全体どうして妖怪変化共の諍いを裁かなければならないのだろうか。


 そんなことを考えながら善右衛門はあまりの頭痛の酷さに唸り声を上げて……どうにか頭痛が消えてくれないかと痛む頭をさすりながら首をぐるりと回し、頭の上の丁髷ちょんまげを揺らす。


 そうして善右衛門はなんとなしき屋敷の中を眺め、視線を泳がせて……ふと、あることに気付く。


「この屋敷を片付けたのは、綺麗に掃除したのはけぇ子……お前の仕業か?」


「は、はい!

 きっと暖才様は長旅で疲れていらっしゃるだろうと……ここに来たならまず体をお休めになるだろうとそう考えまして、まことに勝手ながら私達の方で片付けをさせて頂きました……!」


 と、けぇ子がそう言うと……柱の陰や、梁の陰などからけぇ子の言う『私達』に含まれるであろう狸達が顔を見せてきて……それぞれに善右衛門へ恐れの混じった目や、助けを求めるような目、期待を込めたような目を向けてくる。


 ああ、頭が痛い。全く頭が痛い。

 何故最期の時を待つ身で、こんな訳の分からない目に遭わなければならないのか。

 

 だが、まぁ、これからすぐに閻魔の裁きを受ける身であるのだし……ならばせめて屋敷を掃除して貰った件についての礼くらいはしっかりとしてから、閻魔の前に向かうべき、だろうか?


 と、善右衛門はそんなことを考えて……手に持つ刀を鞘へ納める。


 そうして善右衛門は目の前の化け狸に、けぇ子に、


「話は判った。その洞窟まで案内せよ」


 と、そんな声をかけるのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る