一気に泣いたり喋ったりキスしたりして疲れたのだろう。エリザベートはその後、ぐったりと、しかし満足そうな微笑みを浮かべて、俺の胸に抱かれていた。


俺も彼女の背に手を回し、抱き寄せていた。互いの鼓動や脈や熱が感じられるのがとても心地よい。お互いもうとっくに死んでいるのに、ここではまだ生きているような肉体を保てている。不思議な感覚だった。



それにしても……



さっきエリザベートがトートに見えたのは……髪型だけのせいじゃない。目付きがそっくりだった。冷たいのに奥に熱いものを秘め、覚悟を決めた、あの眼差し……あれは俺がこれまでさんざん再現してきたトートと同じ目付きだ。



自分の作った空想の産物だというのに、何度回想を行っても、俺はトートに慣れることはなかった。現れる度に創造主の俺がいつも腰を低くして迎えていたほどだ。あいつはいつの間にか俺が思い描いていた以上の強い存在感を得ていた。



トートは「死」の概念のつもりで創ったはずなのだが、どうやら「強烈に欲する愛」の概念も持ってしまったらしい。さんざん俺のエリザベートに対する執着を彼に背負わせてしまったせいだろうか?



トート__「死」や「愛」は形は様々でも、誰の心の奥底にもあるもの。そしてそれは時として面影として現れるのだろうか……




「ルキーニ…」



エリザベートが掠れた声で俺の名を呼ぶ。その響きにドクンと胸が高鳴る。



「ルキーニは姓だから……ルイジって呼んでくれないか?」



この際なのでちょっとねだってみる。すると、エリザベートはこくんと頷いた。



「ルイジ!」



ニコッと笑って俺の名を呼んでくれた。俺の胸に広がる暖かくてむずがゆい感覚。あぁなんて幸せなんだ!!


このときばかりは今はもう顔も思い出せない母に感謝した。あの人が唯一与えてくれたのはこの名前だったから。



「ねぇルイジ。私の名前も、シシィって呼んでみて」


「ん、あぁ……」


「ほら」


「ん、うん……」


咳払いをし、声の調子を整え、スッと深く息を吸う。そしてそれを吐くときに、共に声を出す。



「シシィ」



言えた……


この愛らしい人に似合うこの呼び名で呼べる日が来るなんて……!!


エリザベート……改め、シシィは俺に呼ばれて、頬を赤らめてその大きく独特の深みを持つ瞳でじっと俺を見つめ、にっこりと花が咲いたような明るく可憐な笑顔を向けてくれた。嬉しさと気恥ずかしさでいっぱいになった俺は、シシィの頬にそっとキスをした。ぷくぷくとしたその頬は摘みたての果実のように柔らかかった。



愛する人がいるというのは、そしてその人が自分を愛してくれるというのは、こんなにも穏やかで晴れやかで安心させてくれるのか。こんな大切なことを、俺は死んでから、そしてそこから100年近くも経ってから、やっとやっとわかった……




「ねぇルイジ、裁判官さまのお部屋にあったのは、鍵だけじゃなかったの。それはそれは大きくて広い図書室のような場所もあってね」


「あぁ、聞いたことはある。死者一人一人のこととか、その死者の信じる宗教や教え別の死の概念なんかを調べるのに使うらしいな」



煉獄に来る死者は人種はもちろん、信仰する宗教も実に様々で、あの裁判官殿はそういうのも引っくるめてその死者にいちばん適した判決を出すんだそうだ。確か東洋では裁判官殿は「エンマサマ」なんておかしな名前で呼ばれてもいるなんてことも聞いた。



「私、あの裁判官さまのその図書室で探し回ったのよ。このままじゃなんだか嫌だ、なにかいい方法はないかって……みんながあなたの裁判に夢中になっている間、こっそりあそこへ入ってね。とにかく片っ端から読み漁ったの」


「へぇ…ずいぶん好き勝手動き回れたんだな」


「裁判官さま、私が皇后だから悪さしないだろうってタカをくくっていたみたいよ。とにかくルイジの判決が出るまでは煉獄にいてください、だけ言われてそれからずーーっとほったらかし!!」



シシィは呆れたような口調で大袈裟に肩をすくめる。あの裁判官殿、意外といい加減なのかもしれないな。



「東洋の教えって面白いのね。私たちのいる国とは色々違った価値観なの。そしてね、あちらではこんな考えがあって……」



そう言いながらシシィはどこからか巻物のような書物を差し出し、広げる。そこには古めかしい縦長の字でズラズラとなにやら書いてあった。流れるようなその字は東洋独特の「カンジ」と呼ばれるものらしいが……俺はさすがにあちらの方面の知識教養はそこまで詳しくない。当然、何がどう書いてあるかなんてわからない。




「ルイジ、この文字に触って、知りたいって念じてみて。私はそれでこれを読むことができたの」



シシィの思いがけない提案に、俺は驚き、彼女と巻物を交互に見比べる。戸惑っているとシシィが俺の手を握り、巻物へ誘導する。



「だいじょうぶ。あなたのあの再現する力ならできる。私だって出来たんだから。ここに書かれている内容を頭の中に見せてほしいと念じればいい。あの大がかりな再現よりずっと簡単なはずよ」



そして念を押すように大きく頷く。不思議とこれだけで俺はすごく安心出来た。言われた通り目を閉じ、両手を文字の上にかざし、念じる。



「ここに書いてあることを俺に伝えてくれ」



そう念じた瞬間、稲妻のような閃光が閉じてあるはずの瞳のさらに奥に入ってくる。そしてそれらは映像となって俺の脳内を一気に駆け巡る。


あまりのスピードとめまぐるしさにさすがに脳がオーバーヒートしかけて、目眩がして体がふらつく。慌ててシシィが支えてくれた。



「だ、だいじょうぶ?」


「ありがとう……大体のことは、わかったよ」


「……そう」




この巻物が伝えた東洋の「仏教」という教えにあるこの概念。それこそ、シシィが俺にしたいグランデ・アモーレなのか?





「………輪廻転生……か」

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