①
天国と地獄の狭間である煉獄の牢屋で、毎晩毎晩同じ質問ばかり繰り返されて、そのたびに俺はハプスブルク家__かつてのオーストリア帝国王家とその関係者の回想を見せ、証言する。
これが100年近く続いているのだからさすがに呆れてくる。人間社会だけでなく黄泉の国までお役人とはここまで融通が利かないものなのか。
しかし今晩はどうも様子がおかしい。いつもの時間に裁判が始まらない。俺を越える問題児がやって来たのだろうか?
「こんばんは!ごきげんいかが?」
いつものあの厳しい裁判官殿の声ではなく、朗々とした鈴のなるような丸みを帯びた声が響く。しかもこの声を俺は知っていた。
嘘だろ、だって、あいつがここにいるわけ………
暗闇の牢獄に、まばゆいほどの光を放ち、そいつは檻の向こうに立っていた。腰まで伸びた長い編み込みの髪に、白いネグリジェ。ほっそりとしたシルエット。間違いない、こいつは………!!!
「おひさしぶりね、暗殺者さん。もう100年くらいぶりかしら?」
「………エリザベート!!なんであんたがここに!!」
この女こそ、オーストリアの悲劇の皇后・エリザベートであり、俺が胸に突き刺したナイフによって死んだ暗殺のターゲットだった。
それにしてもずいぶん若返っている気がする。殺したときは確か60歳は越えていたはずだが。今目の前にいるエリザベートは「シシィ」と愛称で呼ばれていたときのあの少女の頃の見た目と仕草だった。
「色々話したいことはあるけど、それはここを出てからね…っと!」
次の瞬間ガチャン!!という音がして、ギィィ…と情けない音を出してあっさり開く檻。またまた俺は驚いた!!この100年近く裁判中以外は開かなかったのに!!
「お前……鍵持ってたのか!?」
「さっき裁判官さまのいるお部屋で見つけて……持ってきちゃった♪」
エヘヘと少女のようにいたずらっぽく笑うエリザベート。あの土産物のスーベニアのすましたキッチュな笑顔とは違う、心から楽しんでいる笑顔。
こんなときなのに、一時は殺したくなるほど憎かった相手なのに……一瞬胸が高鳴った。
あぁそうだ今はそれどころじゃない。
「勝手に持ってきたってことか?どうやって?」
「だいじょうぶよ。あなたのことは私に任せてくださいって裁判官さまに宣言したの。だから私が、ルイジ・ルキーニ、あなたの身元引受人よ」
「そんな制度初めて聞いたぞ」
「私がさっき作ったからね」
「そんな勝手なことが……」
「できるわよ。私は私がやりたいようにするって決めたんだもの」
上目遣いで俺を見て、ニコーッと笑ってくる。こいつ、こんな風に笑えるんだ。目もキラキラしていて、こいつを殺したあの日の空みたいに青く深く、しかし澄みきっている。
……相変わらず……綺麗だな。
おっといけない。また意識が別の方へ行きそうだった。
そろりそろりと檻から脱出。ついでに手錠も外してもらい(手錠の鍵まで拝借したらしい。抜け目ない)、鍵はまるごと俺のいた独房内にぶん投げて置かせた。
「さっ、行きましょう!」
当然というように差し出される、エリザベートの手。戸惑いながらも握ると、彼女はこれまた当然のように握り返してくる。繋がれた手は細く、でもしっかりと存在感があって、あたたかくて。本当にこいつ死者か?ってぐらい生き生きした「力」が宿っていた。
生きていた頃は、向こうは皇后陛下だし、俺はアナキスト。敵対している間柄だし、そもそも王族と平民だった。直接対面したのはあの暗殺実行日が最初で最後だった。
こんな風に手を繋げる日が来るなんて、夢にも思わなかった。
エリザベートはどこかに俺を案内したいらしく、手を引っ張ってどんどん煉獄を進んでいく。その間、色々な話を俺たちはした。主にエリザベートの死後のことだ。
なんとエリザベートもまた、俺と同じように煉獄でこの100年近くの年月をさ迷っていたらしい。てっきり天国へ行ったとばかり思っていた。
天国へも地獄へも行けないのは、彼女の生きていた頃の行いが皇后としてはあまりよろしくなかったから。そらそうだ。それまでずっとオーストリア帝国王家として君臨していたハプスブルク家を最終的に崩壊へと繋げた人物である。
かといって地獄へ落とすにはそこまで凶悪でもないし……ということで煉獄のあのお偉い裁判官殿も悩んでいて、立場も立場なので俺のように独房へぶちこむなんてことも出来なかったらしい。一応あの裁判官殿もそのあたりは忖度するんだなと俺は呆れた。
そこで重要だったのが、俺の裁判。なぜ殺害したのかがはっきりすれば、彼女の行く末もまた判断しやすくなるから、という考えだったらしい。そして彼女は、ひっそりとあの俺の裁判を何度も傍聴していたというのだ。
「なのにあなたはいつもグランドがどうとかこうとか訳のわからないことばかり言って……」
「グランデ・アモーレ!偉大なる愛!ていうか……裁判覗いていたなら来いよ!あれだけあんたの名前を呼んでいたのに!!」
「私があそこに行ったら大騒ぎになるから、こっそり覗いていたのよ。でもあまりにも長い間こんなことの繰り返しでキリがないから、迎えに来ちゃったわ」
「迎えって………なんで俺のことを?お前を殺したんだぞ?」
そこまで言うと、エリザベートは立ち止まり、俺に向き合ってどこか寂しげな眼差しをこちらに向けてきた。
「………ずっとあなたは囚われている。トートという存在に。あなた自身の心の奥底にある、本心を隠している」
「……どういうことだ?」
「もう、はっきり、言うわね」
エリザベートは唇を一度ぎゅっと噛みしめ、ふっとため息をつくと、はっきりとした声で、言った。
「あなたの証言は見事に正確だった。私の幼少期から、皇后としての苦悩の日々、そしてあなたに刺されるまでの晩年……それから、私に関わった人たち、そして国の動きまで。でも、たったひとつだけ、違うことがあるの。
……私は、トートという存在には、あの時代を生きていたとき、出会っていないのよ」
ずきん、と胸に強い痛みが走る。体全体がなんだか寒い。ゾクゾクする。
「息子のルドルフの言葉を借りるなら……トートはあなたの鏡だわ。トートはあなた自身よ」
はっきりと、断言された。俺は彼女と繋いでいた手を乱暴に振りほどく。彼女と俺の間に、拳ふたつ分ほどの距離ができた。
「……笑いたければ笑え。そうだよ、あの閣下は……俺の化身だ。俺の本心をこの煉獄で伝えるには閣下の力を借りるのが一番効果的なんだ。グランデ・アモーレの証明には、美しくて強大な力を持った閣下が必要不可欠だったんだよ」
「……ということは、閣下のあの言葉は、本当なら全部あなたが……?」
「………そうだとしたら?」
まっすぐ見ることが出来ないが、彼女はどんな表情をしているんだろう?困ってる?怒ってる?それとも……喜んでいる?
俺が一貫して主張してきた「グランデ・アモーレ」は決して嘘ではない。ただ、それを敢えてハッキリさせないよう、閣下という存在を作った。俺にとって行き先は天国でも地獄でもよかったから。どんな判決が下っても、この真実だけは、誰にも知られずにいたかった。
なのに……よりによって、本人に勘づかれることになるなんて。なんのため俺は100年近くも毎晩繰り返される裁判に耐えてきたのか。
「その……トートは『お前に愛されたい』って話していたから……ていうことは……つまり……」
しどろもどろになりながらエリザベートが結論を言いそうになっている。あぁもう、どうにでもなれ!!
エリザベートのその細く白い手をぐいっと持ち上げると、俺は、彼女の手を、自分の唇に押し当てた。
皇后陛下だった彼女なら、公務の際、貴族や王族の挨拶として何度となくされたししてきたなんてことない仕草だろう、と思っていた。
でも、このときやっと見れた彼女の顔は、目を大きく見開き、言葉を紡ぎかけたままの口をポカンと開け、頬は紅潮していた。
俺も、なるべく表情は崩さないよう努力してるつもりだけど、自信がない。ものすごく身体中が熱い。
「エリザベート皇后を愛していたのは、トート閣下__もとい、ルイジ・ルキーニ、この俺だ」
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