グランデ・アモーレ

@shigekuranaku

プロローグ

人が死ぬとその魂が最初にやって来るのが、天国と地獄の狭間にある、黄泉の世界の「煉獄」と呼ばれるその場所。


ここで「裁判官」と呼ばれるその姿なき者は、その死者の現世での生涯を改めて見つめ直し確認し、その者が天国へ昇るか地獄へ堕ちるかを判断するのだ。



この裁判官には、判決の出せないままでいる、かなり厄介な死者が悩みの種だった。かれこれ100年近くもこの状態が毎夜続いているのだ。



今宵もまた、その男の地を這うような低い声が響き渡る。




「俺はもうとっくに死んだんだ!!いい加減に、さっさと地獄へでも天国へでもやってくれ!!」




乱れた黒髪に浅黒い肌、無精髭、なによりそのギラギラとした野性的で危うい光を放つその大きな瞳。見るからに異常なオーラを放つその男。



ルイジ・ルキーニ。

イタリア人テロリスト。



彼は現世でとある歴史に残る殺人事件を起こし、逮捕された約10年後に独房内で自殺を計り、この煉獄裁判所にやって来た。



本来ならその殺人罪により即刻地獄行きでもよさそうなものなのだが、問題は二つ。


一つは彼の犯した殺人による被害者の人生があまりにも数奇すぎて白黒つけられないこと。場合によっては彼が実は無罪で天国行きという判決を出さねばならない可能性がゼロではなかった。


そしてもう一つは__これが大変厄介だった。結局のところ彼の真の動機がわからないのだ。


現世での警察での取り調べでは「王や貴族を恨んでいた。有名な奴なら誰でもよかった。アナキストとして有名になりたかった」と発言している。だが自殺しこの煉獄へ来たとき、その言い分はガラッと変わっていた。



「被害者__オーストリア帝国のエリザベート皇后本人が死ぬことを望んでいた。あの皇后は『死』を司る黄泉の帝王・トート閣下に愛され、彼女もまた閣下を愛していた。自分は閣下に命ぜられて彼女と閣下を結ばせるため暗殺をした。偉大なる愛を証明したまでだ!!」



その「偉大なる愛」とやらを彼は母国語で「ウン・グランデ・アモーレ!!」と高らかに叫び、天を仰いで笑うのだ。狂ってる、と裁判官は呆れた。



さらにそれだけではない。なんとこの男、煉獄で幻覚の再現能力を身につけたのか、エリザベートに関わった死者たちを呼び起こすという体で、ご丁寧にエリザベートの少女時代まで遡ってやけに詳しく回想する。本来ならルキーニ自身は生まれてすらいない時代なのに、時折彼もそのときの人々になりきって回想に参加することがあった。


冷静に考えれば一人の男が再現する戯れ事と妄想の具現化とはわかっていながら、その圧倒的迫力と再現度の高さゆえ、同じことの繰り返しとはいえつい見入ってしまう。裁判の順番待ちの死者たちにもこのパフォーマンスは人気で、順番待ちの退屈しのぎにそっと覗きに来ている者も多いと聞いている。



しかし__何度見てもしっくりこない。これだ!と思える決定的証拠も証言も掴めない。そんなことを繰り返しているうちに100年近く過ぎてしまった。ルキーニはその長い間、主張は一切変えず曲げずの「グランデ・アモーレ」を貫き通している。もはやここまで来るとルキーニと裁判官の根比べである。



実のところ、黄泉の帝王・トートなる存在を、裁判官はそれまで知らなかった。煉獄には黄泉の国のシステムや死者一人一人の歴史、さらにはあらゆる宗教や思想に基づく死にまつわる教えを記した膨大な資料や書籍もあるが、そのどこにもそのトートに関するものは見つからなかった。けれどあの再現では確かに存在しているのである。この辺りにも何かルキーニの本心に繋がるものがありそうなのだが……



このとき裁判官はトートとルキーニに関することで夢中になり、「とある資料」が何者かによって持ち出されていたことに気づいていなかった。




少しずつ始まっていた番狂わせが大きく動き出したのは、そろそろまたあの回想裁判が行われる時間が近づいたとき、裁判官の元へ一人の死者の魂がやって来たときだった。




その死者は高らかにある宣言をすると、壁に立て掛けてあった鍵を手に取り、颯爽と牢獄へ向かっていった。よく見るといつのまにか無くなっていた「とある資料」もその死者が所持していた。


その死者の姿を見たとき、裁判官は当然驚いた。そして、その死者からの提案__というかかなり一方的な宣言は、これまで誰も成し遂げたことも、それ以前に考え付いた者もいない、前代未聞・前人未到な内容だった。



引き留めることや反対することが出来なかったのは、正直なところ、その死者の持つ圧倒的な存在感と、美しさのためである。不思議と逆らえなくなるような、絶対的な力があった。それは、その死者の生きていた時代の立場を物語っていた。


ろくに意見できずにスタスタと去るその死者の長く艶めく黒髪を呆然と見つめながら、裁判官はただ見送るしかできなかった。



裁判官は後に思い知る。彼は__いや、「彼ら」は番狂わせをするのが得意な連中だったと。現世でもかなり複雑な繋がりで結ばれたふたりだったが、まさか煉獄を統括するこの自分まで出し抜かれるとは想像もしていなかった。

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