舞台というのは悲喜こもごも。チャップリンのライムライトを見てもそう思います。私は私の舞台の最後に何を見たいのか。悪くない。そんな景色や色に出会えるのか。心にたんぽぽのような。枯らさず慈しむ心を持って逝けるなら。悪くない。そんな風に思います。元宝塚の檀れいさん。憧れの先輩は天海祐希さんで。天海さん卒業後ようやく主役に抜擢され。宝塚の主役だけが最後に歩ける舞台中央の大階段を降りた。その時だけキャストも観客も主役だけを見ている。誇らしくて。嬉しくて。人生で最高の瞬間だと思えたそうです。その夜天海祐希さんから「おめでとう」と電話をもらい。「さみしくはなかった?」と聞かれたそうです。その時檀れいさんは「この人は入学した時から主役に抜擢されて。あの階段の上にいた。キャストも観客も見てない。寂しいんだ孤独なんた・・私と違って。みんなが見上げるスターだから」舞台という言葉から。そんなお話を思い出しました( ꈍᴗꈍ)🍀路傍の葉っぱ
作者からの返信
翼さん
人生の舞台は本当に悲喜こもごもですね。
>枯らさずに慈しむ心を持って逝けるなら。
ああ、わたしもそう思います。
穏やかな優しい気持ちでいられたらと。
檀れいさんと天海祐希さんのお話、深いですねぇ。
自ら輝くスターの孤独というもの。どちらも一流の方々だけど、そこに行き着くまでの道は違い、それぞれのご苦労があったのですね。🍀
確かに人は見たいものしか見ないのかもしれませんし見えないのかもしれません。でも、なんだかそれがいいなぁ、不完全の騙しあいでじゅうぶん、なんて最近は思います。
作者からの返信
KIKI-TAさん
真実は人の数ほどありますものね。
それぞれの舞台で、ただ咲いて、ただ生きて……そのなかで自分なりに見つけていく、それでいいのかもしれませんねぇ。