わたしのパンツを食べろ!!

チクチクネズミ

おい、水沢。パンツは食えるぞ

「おい、パンツ食わねえか」


 何を言っているんだこの人は……


 家庭科室に入ってきた白野さん夕日が一つにくくった黒炭の長い髪を仄かに赤に染め、部活のユニフォームであるエプロン姿は豊かな胸のふくらみが押し上げてプロポーションの良さが引き立ち、似合っている。

 今日は部活動がない日、であるにもかかわらず白野さんに家庭科室に呼び出された。別にそれは問題ではない。年頃の女子高生が部活動のない日に男子一人を呼び出したこと。淡い愛の告白とまではいかないが、おれのために手作りの料理を持ってくるではないかと、期待して腹を空かせ、貧乏ゆすりして待っていた。

 しかし、入ってきて早々水〇どうでしょうネタを口にした白野さん。止めに彼女が持っているお盆の上には明らかに食べ物でないものが乗っている。 


 だ。どう見てもまごうことなき、女の三角形のパンツだ。


 ……頭が一瞬フリーズしたが、頭を振って正気を戻す。

 整理してみよう、まず彼女はなんて言ったか。「パンツを食わねぇか」だ。まず第一前提としてパンツは食べられないものだ。煮ても焼いても食えぬもの。とうぜんのはずだ。

 ではパンツを食べることは不可能だ。成立しない。しかし、あの白野さんが食べられないものを持ってくるだろうか。白野さんは料理部の部長を務め、将来の進路希望には堂々と『調理師専門学校』と一番に進路希望調査表に書いたほどだ。

 きっとあのパンツは、パンツの形をした食べ物ではと考えるのが自然である。


 白野さんはパンツ(に似たものだと信じたい)の乗ったお盆を先生が立つ中央の調理台に置くと、チョークを持って黒板に何か書き始めた。


「惟葉、パンツはパンツでも食べられるパンツとは何だと思う?」

「何ですかそれは」

「質問を質問で返すな」


 理不尽である。

 白野さんは天は二物を与えずというものを字で行く。プロポーションも料理の腕も高校生ながらも本当に素晴らしい腕を持っている。おれは、彼女と一緒に部活動を過ごせたらあこがれて入ったのだが、すぐに幻想は崩れた。

――虫料理を虫とわからせない料理を作るぞ。

――お菓子の家をつくるから材料買って来い。

 部員に頼みもせず、おれにだけパシリに行かせることをいとわないほどの傍若無人さ。完璧な彼女になぜ性格良好というのをお付けしなかったのですか神様。 


「……パンツは食べられません。だってパンツは食べ物でなく穿くものであり、第一布なので無理です」

「及第点だ。だがその通り、パンツとは本来食べられるものでない。その原因が、素材にある。おおむねパンツは布または綿でつくられているため食べることができない。そこで考えたのだ。食べれるパンツをつくればいいと!」


 ひとしきり、黒板に『綿』という文字を書いた。すぐ隣には、パンツの絵も添えて。


「まずパンツは綿からつくられるものもある。そこでこれを別の視点で考えてみた。素材の『綿』をまず『めん』に置き換える。次にその『めん』を『麺』にする。するとあら不思議、あっという間に、食べ物に変わってしまった」


 白野さんは、マジックの種が明かされてしまったように両手を小さく広げた。

 頭おかしい。それ言葉遊びでしかないですよね。素材を変える話じゃなくて、大喜利じゃないですか。しかし、彼女の講演会はまだ続いていた。


「しかし『麺』では問題がある。『麺』は細長い物である必要があるのだが、これでは紐パンしか作れない。これでは可食部が少ないので腹持ちが悪い、そもそも麺一本では麺類といえるのだろうか惟葉?」


 女の子の口からとんでもない言葉を口にしたのが耳に入ったが、ツッコミを入れるのは野暮であると無視した。


「確かに麺一本では腹は膨れないです」

「ふん。食欲旺盛な一男子高校生の意見としてもこうである。そこでもう一段階踏み込んでみた。中国語では『麺』は『面』と表記される。中国語では『面』は小麦粉または小麦粉の生地を細長く伸ばしたもののことを指している。パンは『面包』麺類は『面条』とな」

「博識ですね」


 ふふんと白野さんの小さな鼻から二つ大きなブレスが噴き出した。褒められてうれしいのが目に見える。子供っぽい。そう、彼女は子供のように傍若無人なんだ。


 お菓子の家を作るぞ。白野さんが突然命じたのは終わりのHRが終わってすぐのことだった。逆らえる暇もなく、しぶしぶ指定されたお菓子を買いそろえてぶつくさ文句を垂れてながら家庭科室に戻ってきたとき、黄色の幼稚園児の帽子がおれに向かって群がってきた。


「おにいちゃん、はやくつくって」

「つくってつくって」

「な、なんだこの子たちは!?」

「はいはい。座って待っててなさい。惟葉お兄ちゃんは材料を買ってきただけ。つくるのはこの、わ・た・しなのだからな」


 白野さんは感謝の言葉もなく買ってきた菓子が入った袋をひったくると、調理台にすべてひっくり返した。クッキー・ウエハース・ブラウニー・チョコマーブル色とりどりのお菓子の雨が机に降り注ぐ。それを丁寧に一枚づつ壊れ物を扱うように取り出し、用意しておいた生クリームのセメントで固め、壁をつくる。

 強奪する速さも見事だが、お菓子をつくる手際の良さもそうだ。おれは呆気にとられると、この園児たちの帽子のエンブレムに目が付いた。隣接されている幼稚園のものだ。どうしてこの子たちがここにいるのかをようやくおれは尋ねた。


「白野さん。この子たち隣の幼稚園の子ですよね? なんでここにいるんですか?」

「親御さんのお迎えが遅いとぐずっていたからそれまで私がお菓子の家を建築すると言ってやったら泣き止んだ」


 なんて安請け合いをと呆れると、白野さんはクリームまみれの真っ白な手をおれに向けた。その目は真剣そのものだった。


「私はアンパンマンになりたい」

「は?」

「食べ物は人を笑顔にするもの。アンパンマンはわたしの理想のヒーロー、そんなヒーローになるには、子供たちから手を付けるべきだ。惟葉、残りの菓子の袋を開けて準備だ。お金は後で返す」


 彼女が調理台に顔を向けると、次は屋根の制作に取り掛かっていた。おれは彼女の指示に従った。しかし、不思議とさっきまであった不平不満がどこかに消えてしまっていた。

 まるで熱で溶けた綿菓子のように……


 そして仕上げにペンチョコの模様と粉砂糖のシャワーを振りかけると見事なお菓子の家が完成すると、園児たちの歓声が上がった。


「すごーい!」

「ほんもののお菓子の家だおねえちゃん」

「そうだろう。そうだろう。惟葉が走って、私が作り上げたおかげだからな! 味だって天下一品だ!」


 料理ができた時も、おいしいと言ったときも、彼女は満面の笑みで喜ぶ。体の豊かさと心が一致していないギャップに辟易する人もいる。けどそれが、おれが彼女を好きであるという感情を抱いてしまっているのだろう。




 しかし調理台の上にパンツを乗せながら講義をする彼女を見て、アンパンマンはどんな顔をするのだろうか。


「さて、『面』が小麦粉に変換されると以下の図式が成り立つ」


 つらつらと白い粉を吹き上げながら黒板に図を描いていく。


《『綿』→『めん』→『麺』→『面』→『小麦粉』よって『綿』≒『小麦粉』である。ゆえに、パンツの原材料は小麦粉であり、食べられるものである。》


 なりません。そもそも≒ではなく、≠のほうだと思います。

 常人が見たらふざけているのかとお叱りの言葉を受けること間違いなしだ。


「よって本日の緊急実習。小麦粉の生地となんやかんやを混ぜて練って蒸してつくった、履ける食用パンツの実食である。これがあれば、人類は緊急災害時に食べ物がなくても、衣類を脱げばあら不思議非常食に早変わりとなる」


 図式を書き終えると、胸を突き出して自信たっぷりの笑顔でおれのほうに向きなおった。

 パチパチとおれは一応の拍手を入れ、乾いた音が誰もいない家庭科室に響いた。考えはとんでもであるが、内容はまともといえばまともだ。緊急災害時に手元に食料がないのは懸案事項のはず。できたものはあれだが、これは画期的な料理だ。

 すると白野さんは、パンツの形に模した食べものが乗ったお盆をぐいとおれの前に突き出した。


「惟葉、実食だ。食べてみろ」

「いらないです」

「未使用だから問題ない」

「でも見た目がパンツですよね」

「新品の土足用の靴を家の中で歩いても文句を言われないぐらい問題ない。これはただのパンツみたいな餡なしまんじゅうだ。今ならファルファッレもつけてリボン付きにもなる」


 リボンの形状をしたパスタが付くのを一瞬想像してしまった。ますます食欲がなくしてしまう。


「なんでおれが食べなきゃなんないんですか」

「……私がつくったものはダメなのか。そうか、私の腕がだめだからなのだな。仕方ない。これは私がおいしく食べてやろう」


 急にしおらしくなって、お盆を下げた。白野さんの目は少し潤んで、今にも零れ落ちそう。なんだかこちらに非があるように思えてしまう。

 非常食用パンツを手に持つと、白野さんはまるで大事なものを今にも捨ててしまうような悲しそうな表情をしていた。


「こういうのは惟葉は笑顔で食べてもらえると思ったのだが……そうだな、だめだよな」


 辛い表情はパンツに向けられているのに――とてもズルい言葉で、さもおれの前で言われているような感触だった。


「食べます。それ食べますから」

「……無理しなくてもいいんだ。別にお腹も」

「ちょうどよく腹もすいてますので」


 お盆の縁に落ちかけていたパンツ(の形をしたまんじゅう)をひったくり、口の中に放り込む。もちもちとした感触。噛めば噛むほどほんのりとした甘味が口内に広がる。そして甘酸っぱい。これはイチゴかな? だが少し歯ごたえが強い感じだな。

 パンツを嚥下する音が喉から鳴ると、白野さんは白い歯を見せた。


「いい食べっぷりだ。そしてできたてほかほかの食用パンツがこちらになります」


 は?

 一瞬何を言っているのかわからなかった。だが、その意味はすぐ目の前で理解できた。が、したくなかった。

 白野さんは紺のプリッツスカートの中に手を入れるや否や、スルスルとパンツを下ろしておれの前に突きつけた。そしておれはハッと気づいた。さっきのは試作品、そしてこれが本物の完成品であることに……


「あほか!!」

「何があほだ! 実際に穿いたものを食べないと意味がないではないか。これは人類の進歩と未来のためだ」


 進歩でなく退廃の間違いではないでしょうか。

 おれが全力で拒否するが、白野さんは脱ぎたてのパンツを俺の口に入れようと押し付けてくる。身長も体重も軽いはずなのに、勢いのせいか、圧倒されそうなほど押し負けてしまいそうだ。


「いいのか? 年頃の女の子のパンツだぞ。ほかほかだぞ。できたてだぞ。うまそうだとは思わないのか!」

「思いません!!」

「私の知り合いの水沢はパンツを口にくわえたぞ!」

「誰ですか! 知りませんよそんな変態と比べないでください! おれは健全にして食欲旺盛な男子高校生なだけです」

「なら、食欲に屈して私のパンツを食べ給え!!」


 グイグイと白野さんの勢いは留まることなく、あと数センチのところまで来てしまっていた。たしかに好きな人からの手づくり料理は期待していたが、脱ぎたてのパンツを食べるなんて望んではいなかった。見たいはあった、しかし食べるまでは行きつかない。


「なんで、おれにそんなもの食べさせようと思うんですか!」


 ピタリと白野さんは止まった。そして口元が物恥ずかし気にぐにゃぐにゃ曲がる。今の状況よりも恥ずかしいこと自体がおかしいのだが……


「好きな……人に。食べさせたいものとか。考えたことはあるか?」


 そういうと白野さんの顔は、夕日と同じぐらい赤く染まっていた。押し付けていたパンツは、もじもじと手の中で丸めるように弄っている。それは、小さな女の子が好きな男の子に初めて自分の気持ちを伝える時のような、子供じみた仕草だった。


「男が好きな食べ物とか、この世に一つしかないものとかさ。色んな料理を考えたんだ。でも、どれもなんか陳腐すぎて、これじゃこの人に気持ちが伝わらないのかなとか。世界でこの人だけなんですを直に伝えるものってなんだろうなって」


 そうか。白野さんは誰かのために、他でもない好きな人――おれのために考えてつくっていた。幼稚園児たちを早く喜ばせるために、手際よくつくるこの人のことだ。このパンツもそんな思いでつくったのが目を閉じても浮かんできそうだった。




 でもなんでパンツを食べさせようというのに行きつくんですか!!


 呆れを通り越して、言葉が出なかった。白野さんがおれのことが好きであるとか、不器用すぎるとか色々と通り越している。

 けど。


「白野さん、それ本当に食べても大丈夫なんですよね」


――それに付き合うおれも同じなんだろう。


 白野さんはおれの返答がくると、上目遣いで目を輝かせた。

 ああもう。期待しているまなざしが痛い。まったくずるい。


「もちのろん! 私がつくるものは何でも美味い! さあ、惟葉よ。世界でお前だけのためにつくった。私のパンツをお食べ」 


 ニコニコとアンパンマンが自分の頭のパンを渡すように、パンツを改めて差し出した。

 恐る恐るそれをつまむと、先ほどと違ってほんのりと生温かい。焼きたてのホカホカ感でなく、文字通りの人肌の温度。ここまでなら常人は手を止めてしまうかもしれないが、おれには本当においしそうに見えた。

 口に入れた。咀嚼するごとに、パンツの柔らかさとさっき食べたパンツとは違う甘さが口に広がる。どの味に近いと言われても、言い合わらせない。


 これは、世界に一つだけのパンツだ。


 そしてそれを飲み込んだ。


「おかわりありませんか」

「…………私でよければ、いつでも」


 おれは、世界でオンリーワンな最低の告白をした。

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わたしのパンツを食べろ!! チクチクネズミ @tikutikumouse

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