落語 元カノ幽霊

紫 李鳥

落語 元カノ幽霊

 



 えー、秋風亭流暢しゅうふうていりゅうちょうと申します。


 一席、お付き合いを願いますが。


 ここで、いつもの小話を一つ。


 お前さん、夏だってえのに随分、暑苦しい格好だね?


 へぇ、厚木から来たもんで。


 まー、厚木から来たからって、別に厚着をするこたぁねぇんですがね。


 えー、今回は夏に因んで、怪談話をさせて頂きますが、ま、怪談たって、怖いもんとは限らないわけで。


 文字どおり、怪しい談話でございます。


 幽霊も様々でして、そん中には、ま、可愛い幽霊もいるわけですな。



 長屋住まいの仁吉は、女房のお宮と平々凡々と暮らしていたんですがね。


「お前さん、ゆんべ、寝言言ってたよ」


 お宮が、キュウリの漬けもんをポリポリさせながら、チラッと仁吉を見た。


「……寝言だ?」


 仁吉は油揚げの味噌汁を啜るってぇと、怪訝けげんな顔をした。


「……なんて?」


「たまやっ! って」


「!」


 仁吉はそれを聞いてビックリするんですがね。


 と言うのも、そのセリフはゆんべ見た夢の一コマだったんですなー。


「猫でも追っかけてたのかぃ?」


「……だろ」


 仁吉は素っ惚けた。



 次の朝。


「お前さん、ゆんべも寝言言ってたよ」


 しゃけ茶漬けを啜りながら、仁吉をチラッと見た。


「……なんて?」


 夢の件があるもんだから、不安げにお宮を見た。


「おゆう、好きだぜって」


「ゲポッ!」


 仁吉はビックリした弾みで、鮭の小骨を飲み込んじまった。


「誰だい? おゆうってのは」


「……知らねぇな。“お湯(風呂)、好きだぜ”の聞き違いじゃねぇのか?」


「フン……どうだかね」


「ゲェッ! 骨が喉に引っかかっちまった。ゲーーッ!」


「…………」



 お宮はその夜、おゆうとやらの正体を暴くために、眠いのを我慢するってぇと、仁吉の寝言を待つわけですな。


 障子から差す月明かりに、般若はんにゃみてぇなお宮の顔が浮かび上がって、どっちかってぇと、お宮のほうが幽霊みてぇだ。


「……ムニャムニャ……」


 仁吉のほうは、気持ち良さそうに夢ん中だ。


「ァハハハ……クスグってぇょ、ぉゅぅ」


(! 言ったぁ)


「ヮハハハ……コチョばいって、ぉゅぅ」


(! また、言った)


「ぁぁぁぁ……駄目だょ、そこは……ぉゅぅ」


(まただよ。何やってんだろ? 夢ん中で……)



【仁吉の夢ん中】


 えー、花火見物にやって来た、仁吉とおゆう。夜空に炸裂さくれつする花火を水面に映した、キラキラきらめく隅田川の土手に腰を下ろすってぇと、いいムードで寄り添ってるわけですな。


ヒューーーッ! パンパンパン! パッパッパーーー! シュ~~~……








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「たまや~っ!」


 片手に団扇うちわ、もう一方でおゆうの肩を抱いちゃってる仁吉が、打ち上げ花火に声を上げるってぇと、


「ぅふふふ……」


 おゆうが楽しげに笑うわけですな。顔を戻した仁吉が、繁々しげしげとおゆうを見つめながら、


「おゆう、好きだぜ」


 と、ま、ここまでが、ゆんべまでの夢のシーンでして。


 今晩のもまた、その連ドラの続きだ。いたずら好きなおゆうが、花火そっち退けで、仁吉の脇の下をクスグってるんですな。


 そして、おゆうの指先が徐々に下りてるってぇト書きだ。


「ぁぁぁぁ~ぉゅぅ……そこは……駄目だょ……」


 月明かりに、ニヤケる仁吉を目の当たりにして、お宮は激しいジェラシーに身を震わながら、益々おっかない顔だ。


(……おゆうとやらに負けてたまるかい……)


 そこでお宮は、おゆうに仁吉を逢わせない策を練るわけですな。



 次の朝。


「……お前さん、ゆんべ、スゴかったわよ」


 お宮は、あじの干物をほぐしながら、チラッと仁吉を見た。


「……な、なにが?」


 夢ん中の相手役の正体がバれたかと、仁吉のほうはおっかなびっくりだ。


「……いびきうるさくて眠れなかったわ」


「……そうかぃ。そりゃ、すまなかったな」


 お宮の話を鵜呑うのみにした仁吉は、一安心するってぇと、昆布の佃煮をご飯に載せながら素直に謝った。


「……お陰で、寝不足だわ。あ~~~」


 お宮は大袈裟おおげさ欠伸あくびをするってぇと、胸に一物持った目をやった。



 その晩の事だ。


 仁吉がとこに就くと、夢ん中におゆうが現れる時分を見計らって、ムニャムニャ言ってる仁吉に、


「仁吉さん、おゆうよ」


 と、ひっくり返った声で話しかけた。


「……ぉゅぅ」


「私のどこが好き?」


「……みんな、好きだょ」


(チッ)


「特に、どこ?」


「うむ……だな……ドングリみてぇなつぶらな瞳……バラのつぼみみてぇなおちょぼ口……つきたての餅みてぇに柔らけぇほっぺ……エトセトラ……」


(くぅぅぅっ)


「愛してる?」


「ぁぁ。愛してるょ、ぉゅぅ」


(チキショーっ!)


「ネッ、お前さんっ! お前さんてばっ!」


 お宮は、思い切り、仁吉の肩を揺すった。


「……ぅぅぅ……なんでぃ?」


 いい気持ちで寝てた仁吉には、迷惑千万めいわくせんばん。不愉快極まりねぇ。


いびき、煩いよ」


 お宮のほうも、いかにも迷惑げに言った。


「……すまねぇ」


 仁吉は謝るってぇと、寝返りを打って、背を向けた。



 仁吉が熟睡しそうになると、また、仁吉の肩を揺すった。


「……ったく、なんでぃ?」


 仁吉は不機嫌そのものだ。


「い・び・き」


「……またかぃ? ……すまねぇ」



 そんな事を三日三晩やられた仁吉は、睡眠不足で、目の下にクマなんか作っちゃって、可哀想なもんだ。


 お宮のほうは、昼間、ぐっすり寝てっからいいが、仁吉のほうは堪ったもんじゃねぇ。


 とうとう、仕事中に居眠りして、金槌かなづちで自分の指を叩いちまった。


「痛てッーーーッ!」


 お陰で目は覚めたが、棟梁とうりょうに帰されちまった。



 その晩。


 三日分の寝不足を取り戻すかのように、仁吉は爆睡中だ。


(……さて、また、起こしてやろうかな)


 と、お宮が仁吉の肩に手を伸ばした、その時。


 風も無いのに突然、縁側の竹笹が葉音を立てて、騒めいた。咄嗟とっさに障子に目をやると、月光をバックに、黒い人影が影絵のように映ってた。


「ヒェッ」


 お宮は思わず息を飲むと、目を見開いた。だが、瞬きした一瞬にその影が消えた。目の錯覚かとお宮がパチクリさせてると、


「おみやさ~ん」


 と女の声が耳の側でした。ぶったまげたお宮が咄嗟に振り返ると、そこには、桃割れに結った若い女が、目ん玉をひんむいていた。


「ギャーッ!」


 仰天ぎょうてんしたお宮は、悲鳴と共に後退あとずさりした。


 一方の、寝不足が蓄積しちゃってる仁吉のほうは、白河夜船しらかわよぶねだ。なんも、聞こえちゃいねぇ。


「……突然にごめんなさい。私、おゆうと申します」


 正座しているおゆうが頭を下げた。


「ゲッ。……あんたが、浮気相手のおゆうさん?」


団栗ドングリみたいなつぶらな瞳、薔薇バラつぼみのようなオチョボ口、き立て餅のように柔らかいホッペ……間違いない。確かに仁吉の言った通りの可愛い顔立ちだわ)


 正真正銘しょうしんしょうめいのおゆうである事を、障子からの月明かりが証明していた。


「な、なんの用よっ」


「……実は、お願いがあって」


「な、なによ、お願いって」


「もう二度と、仁吉さんの夢の中には現れません。……身を引きます。ですから、仁吉さんをグッスリ寝かせてやってください。お願いします」


 おゆうは、深々と頭を下げた。


「ホントだね? 約束だよ」


「……はい。お約束します」


 おゆうが円らな瞳で見た。


「……それより、あんた、うちの人のなに?」


「十八の私は、おない年の仁吉さんと、ちっとばっかり、お付き合いをしてました」


「……なんで、別れたの?」


「ご覧の通り幽霊ですから、別れたんじゃなくて、死んだんです」


「! ……どうして?」


「……あの日、花火見物に行った日、仁吉さんとジャれてて、あやまって川に落っこったんです。前日まで降り続いた長雨で水かさが増してて、思ったより、結構、深くなってました。助けようとして、仁吉さんが飛び込んでくれましたが、川の流れは早く、私はみるみる川下に流されてしまいました。泳げない私は、溺れてしまったんです。……でも、仁吉さんのことが忘れられなくて……」


 おゆうはそう言って、悲しそうに俯いた。


「……そうだったの? そんなことがあったんだ?」


「……はい」


「……分かった。も、意地悪しない。夢ん中でなら会ってもいいわ」


 なかなか出来た女房じゃねぇか、お宮は。


「えっ? ホントにいいの?」


「ええ。そんなことがあったなんて、ちっとも知らなかったから。夢ん中でなら許してあげる」


「……ありがとうございます……」


 感極まってか、思わず溢れた涙をおゆうは浴衣の袖で拭った。


「……泣かないでおくれよ。困っちまうじゃないか。さあさあ、笑顔を見せて」


「……ごめんなさい」


 おゆうは、団栗みてぇな円らな瞳を向けると、ニコッとした。



【仁吉の夢ん中】


「――と、言うことで、お宮さんの承諾を得たから、これからは思う存分、愛し合えるよ。けど、仁吉さんも、たまには、“お宮、好きだぜ”て、寝言言って、お宮さんを喜ばしてあげなよ」


 おゆうのほうも、なかなか心が広れぇな。


「えー? 無理だよ。お宮と所帯を持ったのは、おめぇを失って仕方なくだもん。好きだなんて、そんな、心にもねぇこと言えねぇよ」


「そう? やっぱ、無理?」


「……一応、心がけてはみるけどな……」



 次の晩。


「……おみや」


(エッ? ウッソー! 私の名前を言ってくれたーっ!)


 お宮は、咄嗟とっさに仁吉に振り返るってぇと、あまりの嬉しさで、小娘みてぇに胸トキメかせると、仁吉の寝顔にニコッとした。




「お宮…………参りでもするか? ……ぉゅぅ」




■■■■■幕■■■■■

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