第4話 嘘つきは泥棒の始まり
辛気臭いな、と佐々木が目の前の空気をかき混ぜるように手を振る。「でも良いこともあったよね。僕の場合は好きな人と結婚できた」今は独身だけど、と照れたように頰を掻く。「キミは?」
「俺は」
心に真っ先に現れるのは母の存在だった。同時に胸の内が重い雲で覆われ、札束の一片が脳裏をかすめる。罪悪感はずっと、重石のように匠にのしかかっている。
「両親はいないんですけど、養護施設の施設長と副施設長がとても良い人で」
匠は夫婦との楽しかった思い出を披露することにした。
初めは頭にぱっと浮かんだ出来事を思いのままに話していただけだったがそのうち止まらなくなった。
いつもは胸にあるだけだった思い出。
口にしたことで幸せだった過去と今の自分の情けない有様がせめぎ合い思わず目頭が熱くなる。
「施設を出たあとがとにかく悲惨で!」
匠は慌てておどけてみる。
佐々木は時に痛ましそうに顔を歪め、時に酷いなと憤りを滲ませたりしながら聞いていた。
匠の方は冗談を交えながら面白おかしく愚痴を並べているうちにいつの間にか警戒心が解け身軽になっているのに気がついた。思えばスリを含めありのままの自分を誰かにさらけ出したのは初めてだった。自分自身が初めて等身大の自分を見たようでもあり、不思議と居心地は悪くない。
急に我に返り、自分ばかり喋っているのが恥ずかしくなった。
「すみません、ベラベラと」
「いいよ。話したかったんだから」佐々木がえびす顔で笑う。
目がなくなる平和そうな笑みを見ているとますます前科というワードが不自然に思えてくる。
佐々木に誘われて次の日は昼飯でも行こうと約束をしたのだが別れ際、佐々木が「あ」と声をあげた。
「どうしたんですか」
「すっかり忘れてた。明日は近所のじいさんに庭の剪定を頼まれてたんだよなぁ。約束はちょうど昼時なんだ」参ったな、と頭をかく。
別の日にするか、剪定が終わったらでもいいですよと匠が言おうとした時、「あそうだ」と佐々木が顔を上げた。
「明日予定がないなら剪定を手伝ってくれないか。2人いれば早く終わる」
意外な申し出だった。
けれど人との繋がりが生まれたようで嬉しさに胸が弾んだ。久々に健全な用事ができた。
「じいさんには友達を連れて行くって言っておくから」住所はここ、とさっき交換したばかりのLINEで送ってくる。
「11時に。僕は少し遅れるかもしれない。先に家に通してもらって寛いでて。悪い。助かるよ」
茶菓子は好きか、あのじいさんはいつも茶菓子を出してくるんだ、と飽き飽きしたような顔をするので匠は笑ってしまう。
こんな風に笑ったのも久しぶりだった。
「剪定道具を持っていくから家に通してもらったら玄関の鍵を開けたままにしておいてほしい」という言葉にもなんの違和感も覚えなかった。
翌日、教えてもらった住所に行った。
家は古い平屋住宅だったが痛んだところはきちんと手入れされているようだった。
チャイムを鳴らすと中からお爺さんが出迎えてくれた。80歳は優に超えていそうだ。だが毛量は充分にあり、光沢のある白髪が整髪料で丁寧に後ろに流されている。
「君が匠くんね。今日はわざわざありがとう。申し訳ないね」
声は痰が絡んだようで聞き取りづらいが頭ははっきりしているのが窺えた。
居間に通されると佐々木の言った通り茶菓子が出された。それと水。ご丁寧に煎茶椀に入れられている。茶でなく水なのが匠には面白かった。
いただきます、と茶碗に口をつけようとした時だった。
後ろで襖が開く音がしたので振り返ると、目出し帽を被った男が入ってきたところだった。
なんだ、一体。
直後、頭に衝撃があり首に鋭い痛みが走った。身体が捻れるように横になぎ倒される。
誰だ、とお爺さんの声がした。怒気を炸裂させたような声だった。
ここにいてはいけないと本能がけたたましく警報を鳴らす。
目出し帽の男とお爺さんが揉み合いになったのはわずか数秒だったと思う。すぐにお爺さんの呻き声が聞こえ始めた。
匠の方はどうやら頭を蹴られたようだった。なんとか体勢を立て直し視界の焦点を絞る。
男が、畳の上に横たわったお爺さんの口にタオルのようなものをねじ込んでいた。
両手を後ろ手に縛られているのかお爺さんは反抗しようとしない。整えられた白髪は無残に乱れ、どこか痛むのか目尻に涙が伝っている。
「や」たまらず叫んだ。「やめろよ!なんなんだよ、お前!警察呼ぶぞ!」
男がこちらを見た。
「俺だよ」
声は佐々木のものだった。
目出し帽から見える細い目は別人のように禍々しく、どこまでも暗い。
「知ってるか」男はお爺さんの身体を弄ぶようにテープで縛りながら、歌うように言う。「嘘つきは泥棒の始まり。泥棒は人殺しの始まり」
Mosquito Bite @aoito
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