音声記録4-6:『夢の中で、都市は徐々に……』

 夢の中で、都市は徐々に広がっていました。

 いまや天蓋てんがいを覆うあみは、星座図の煌めく豪奢な天幕。薄金の糸は世代を超えて編み継がれ、家々にも、都市の支柱にも惚れぼれするような匠の技が紡がれていました。

 街の浮かぶ滞留層に、穏やかな潮流域はじゅうぶん広大でした。しかし深層には乱流も多く、都市空間はむしろ水面へと伸びていきました。

 ほのかな灯りは層を満たす液体自体が放つ燐光。あるいは住民が何かの折に肉体へともす神秘の光。青藤色の世界は幽玄にかすみ、行きかう住民はまるで頭紗ヴェールをかぶった美しい亡霊のようでした。淡い影だけが、秘密めかして視界を泳ぎ過ぎるのです。

 幾重にも吹き流される、レース織りの長旗。上下に無数に連なった、紡錘形の家々や繭室。巨大都市メガロポリスを形作り、建築物を包む織布は、古びると流れに剥がれて優雅にたなびきます。花弁もどきに開いたそれは、巨大な薔薇があちこちで咲き綻びるような儚い風景でした。

 ある宵――深層から沸き上がる銀の気泡が、逆さまの雨のように街をきらめかせた日。都市を編み上げた最初の世代に、初めての死者が出ました。

 私たちは心づくしの織布に遺骸をくるみ、糸編み都市のほとりへ粛々と連れてゆきました。死者を乗せるのは、深層へとかえる紫紺の寒流。鎮魂の祈りは悲しみや寂しさというより、ひとときの別れを惜しむ挨拶でした。

 彼の眠りが、安らかなものでありますように。その魂が新しく生まれ変わり、正しく巡りきて故郷へと戻りますように。

 金糸の包み布の裾をひるがえして、死者は沈んでゆきます。旅立ちを見送る我々の心に残っていたのは、むしろ穏やかな安堵でした。

 なぜなら循環は約束されたものだから。誰もが承知の私たちのことわりです。いずれ我々も彼のように、この街を去る時が来る。けれども悲しむにはあたりません。血脈は子孫に繋がり、歴史は都市に刻まれて、記憶までもが永遠に消滅しはしないのですから。

 ――そう、この故郷が在るかぎり。我らの子らが死に絶えぬかぎり。



 私にとって眠りの時間は待ち遠しく、勤務時間は苦痛そのものになっていきました。

 最初の夜以来、夢は数週おきに訪れましたが、間隔は次第に狭まっていきました。内容は続きもあれば、唐突に変わることもある。共通するのは舞台――幽玄のレース織に覆われた幻想の糸編み都市でした。

 空想とは無縁の放浪船団で育った私の――オイルと熱した金属臭に満ちた産業基地内で人生を過ごしてきた私の、いったいどこに、これほど風変わりな夢を見る素地があったのか? 

 初めのうちこそ気になりましたが、夢のもたらす恍惚感に比べれば些細な問いでした。

 私は街の住民として誇りを持ち、毎夜、糸網を吐き出しました。レースを紡ぎ、恵みの暖流を敬い、死者を寒流へ見送って、自分の屍も還されました。

 私は死に、都市は広がり、また繭室に産声を上げました。人生は繰り返し、そのたびごと潮流の香りと感触とさざめきは、心身に深く深く馴染んでゆきました。

 基地ではその間、二人のマネージャが交代し、作業員は十三人が辞職ないしは休職して、十人の交代人員がきました。

 保守員の入れ替わりは、特に収集機担当者に激しいようでした。再三、本社からも確認を求められたのですが、私は結局、労働環境や作業自体に問題を見いだせませんでした。

 同様に、設備機械の不可解な故障も続きました。

 これも収集機の保守用設備が多く、うち数件は明らかに人為的でした。監視カメラで犯人を割り出し、本社へ証拠映像も送りましたが、調査はいつもそこで行き詰まってしまいました。

 これまでと同じく、犯人が皆、辞職してしまうのです。それも本社が対処するより先に、給料も受けず姿をくらましてしまうことすらある。彼らに理由を問いただす機会を、私はとうとう持ち得ませんでした。

 ――いや、たとえ機会があったとして、私は聞いただろうか?

 聞いたはず、です。私は……。いや、そうとも言えない。

 私は、……本当は、しなかった。

 私はしなかった。

 ――正直に告白します。本当は、その機会が私にはありました。

 何度も疲れ切った猫背の同僚が、ふいに辞めるのを目撃したのですから。気をつけて見ていて、今声を掛けねば彼らは去るという兆しが掴めたはずです。

 けれど私はしなかった。私は……、できなかった。

 なぜならそのころにはすでに、あの夢に侵蝕されていたから。

 あの破壊の星々を、天に穿たれた黒い星々を私は見ていました。

 ああ、本当に、あれこそ私たちの罪であり――我々の、滅びの姿でした……。

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