音声記録4-7:『私は――揺らめいて……』

 私は――揺らめいていました。いつものように。暖流に抱かれて。

 もう何度目の生だったか。糸編み都市は巨大に膨れあがり、その発展に私は己の手を尽くし、心を捧げていました。都市は我が誇り。恵みの暖流は我々の母であり命であり、手放しがたい愛情を記憶にも肉体にも刻んでいました。

 その日も都市のてっぺん近い道を、私は無心に揺蕩たゆたっていました。暖流を細く裂いて通した枝道は、私のお気に入り。街を縦横に結んで、角を曲がるたび思いがけない素敵な景色が先に開けたりします。

 幼子が道ばたの小渦で戯れるのを眺めるのは、実に幸せな時間でした――そのとき私は、ふいに経験のない不穏な圧力を感じました。そして次の瞬間には、猛烈な力で頭上へと引っ張られていたのです。

 痛みを伴う勢いで、恐ろしい轟音とともに。天井の一角、ずっと高みの水面へ向かい、突如として竜巻もどきの潮流が発生していました。破壊の力は都市上辺を丸ごと襲い、家々も支柱も、それらを満たす青藤色の液体ごと、住民たちごと吸い上げていったのです。

 私は逃げようともがきました。けれども必死の抵抗むなしく、災異は残酷に私の肉体を引き裂いていきました。死んだ同胞の残骸と絡み合いながら、嫌悪と恐怖で狂わんばかりになった、そのとき――私はあれを見たのです。潰れゆく一つの眼点で、誰にも気づかれぬ間に天井に現れていた黒い星々を。

 それは暗黒の穴でした。近づけばほんの小さな吸込み口、ただしそれは無数にあり、一つ一つが恐るべき死の潮流の終着点でした。

 我々は無情に引き寄せられ、裂かれ、吸われ、めちゃくちゃに圧縮されて殺されました。貪欲な穴は容赦なく世界をむさぼり食い、満足したかのように姿を消しては、また別の場所に滲み出ます。

 どこかでか細い泣き声が、ずっと聞こえていました――それは嬰児たちの怖れ。ついに吸われはじめた繭室の中で、まだ産まれてもいない子供らが救いを求める無垢な悲鳴でした。

 ――我々に音はありません。かわりに慎ましいばかりの震えと、はるか遠くまで届く形なき魂の声があります。

 都市が絶望に満ちたその日。我々は天へ向かって烈しい叫びを放ちました。

 苦痛と恐怖、喪失の嘆きを。狂乱の断末魔を、最大の魂の波動に変えて。



 絶叫して、私はベッドに跳ね起きました。

 手足をばたつかせながらその場から逃げようと暴れ、堅い床に転げ落ちて全身をしたたか打ち付けました。

 しかし肉体の痛みなど、何ほどのものか――残虐に引き裂かれた魂の痛みに比べたら。

 喘鳴ぜんめいじみた呼吸を繰り返し、私は号泣しながら必死にデスクにかじりつきました。デバイスを立ち上げキーを叩き、報告メールを書き殴り――。

 しゃくり上げながら本社へ送信したあとになって、ようやく私は己の両手を見下ろしたのです。愕然として、自分は今、何を報告したのかと。

 両頬の冷たさは涙の跡でした。襟もとが濡れるほど泣いた自分を理解できませんでした。しかし心臓はまだ波打ち、戦慄はリアルに身体を震わせています。混乱しながら私は、こうした目覚めの経験が初めてではないという思いに駆られました。

 予感に突き動かされ、震える指先で送信済みメールの一覧を開きました。目を泳がせながら文面を読んだときの驚愕は――どう表現したら伝わるでしょう。骨の髄まで凍ったようでした。

 毎夜、あの夢を見るようになってから、およそひと月。その間、定期送信していた調査報告のすべてが夢の内容について、私の糸編み都市についての感慨に終始していたのです。

 ――狂ったのか、私は?

 答えは明白でした。

 起きたときは別の恐慌で、寝間着のまま廊下へよろめき出ました。

 ――医者に頭を診てもらわなければ。医務室へ行かなければ……。

 けれど無我夢中で歩く途中、私は眼を眩ませてしゃがみこみました。横手の舷窓から、ちょうど昇った朝日が強い光を差し込んでいたからです。それは穏やかな闇に慣れた私の眼点には、耐えがたい激烈さでした。

「どうしたの、大丈夫かい」

 苦しんでいると、誰かの慌てて近寄る足音がします。もちろん親愛なる同僚で、彼は私を親身に支えてくれました。その手を頼って立ち上がった瞬間、私は啓示を得たのです。舷窓の向こう、この災いの元凶を指し示す景色の中に。

 空は淡い薄金色――多めに湧いた積雲の群れが、天に近い輪郭だけを裁きのように燃え立たせていました。一方で下方の雲底は、悲劇を濁した暗い紫紺に染まっています。その曖昧な雲霧の中から、ガス収集機の群れが、あの唾棄すべき気球がいくつも浮き上がってきていました。

「あれだ!」私の耳は、己の口が勝手に言葉を紡ぐのを聞きました。「気球だ、収集機だったんだ! あの黒い星々の――」

「そうさ」耳元でが応えました。「あれだよ。何もかもあれのせいなんだ」

 ――何が?

 混乱して私は振り向きました。自分自身との発言、両方を理解できなかったのです。

 しかし同僚は答えず、舷窓からゆっくり視線を私へ移しました。定まらない眼で、あふれる涙と脂汗とで顔面を異常に濡らしながら、彼は言いました。「もう、終わりにしなければ」

 親愛の情をこめて私を抱きしめると、彼は歩み去りました。私に残されたのは忍び寄る頭痛の気配だけ。何かが異常だが、正しくもある……。矛盾する奇怪な思考に苛まれつつ、私はしばらくぼんやりしました。

 ――そう、私たちは罪深い。もはや終わりが近い。急がなければ。しかし――何?

 足がふらつき、私はまた目眩を起こしたのかと思いました。しかし揺れは基地そのもので、直後、呻り始めたのはぞっとする響きの非常アラームです。

 どこかで致命的事故が、発生したのを報せる警報。「重力制御系だ! 一基ダウンした!」廊下の彼方かなたで誰かが叫び、うろたえるうち微震する床がはっきり傾斜し始めました。

 複数の重力制御系が不具合を起こした証でした。基地に制御系は三基。そのすべてがダウンすれば、基地は落下し、惑星に呑まれてしまいます。

 死という単語が脳裏をかすめ、ようやく正気が返ってきました。主張を増す頭痛の中で、私はゆるゆると理解していました。『もう、終わりにしなければ』――この異変は、先ほどの同僚のしわざに違いない。

 機関部の制御コア室へ、私は急いで駆けました。コア室前にはすでに緊迫した人だかりができており、背後から近づくと、騒ぎのむこうで取り押さえられた同僚が泣きわめくのが聞こえてきます。

「故郷が滅んでしまう――俺の故郷が、我々の大事な故郷が!」

 

「こいつは何を言ってるんだ?」憤然とした疑問は聞き覚えのない声。たぶん、赴任したばかりの新人だったのでしょう。

「故郷だよ」私の右手で、顔見知りの技師が当然のように応えました。

「そのとおりだ。滅んでしまう! 私たちのせいで!」

 すると、人垣のあちこちからも上ずった声が続き――

「けれど、基地を墜としたら死んでしまうのじゃないか」

「わしらも一緒に死んじまう」

「そんなのはむくいだ! そうじゃなく、我々の街を押し潰してしまったら?」

「街って何だよ。あんたら、いったい何の話を――」

「墜とすべきだ! 復讐だ!」

「そうだ、破壊しろ! こんな罪深く、おぞましい基地――」

「――馬鹿な!」私はとうとう声を張り上げました。

 恐怖で頭がはっきりし、ようやく事態を飲み込んでいました。私は信じがたい気持ちでいっぱいでした。まったく恐ろしい話です。なぜ皆、そんな狂った提案を平気でするのか?

 憤慨さえしながら、私は一同の中央に進み出ました。同胞全員を睨み回して、はっきりと叱咤しったしてやったのです。

「まず収集機の操業を止めなければ! 基地を墜としたら、たとえ故郷が残っていても潰してしまうかもしれない! それよりは、元凶の収集機を止めるのが先です。出発した機体に信号は届きません。でも帰ってきた機体を留め置くことはできます。それから収集機も整備設備も、ぜんぶ破壊してしまいましょう! 私は、私は――星の深部に潜りたい」

 割れるような頭痛がありました。脂汗が噴き出て耳鳴りがし、周囲の色彩がすべてでたらめに混色して見えました。視界がひずむ――

「気象観測用の、潜行艇がありますね? この基地の船も有人艇のはずです。私は、都市が、我々の故郷が、まだ無事かどうかどうしても確かめたい、私は――」

「無事じゃなかったら? 我々の街が、もう吸い尽くされてしまっていたら?」

 苦渋に満ちた表情で、隣の同胞が私の腕をそっと握りました。顔を上げると何人かの新人が、恐怖に引きつった表情で私や同胞たちを見回している……。

「何もかも手遅れだったら」私は沈痛に答えました。両目から苦痛と混乱の涙をだらだらと流しながら。「基地を墜とそう。それしかない。それしかない……」

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