音声記録4-4:『季節で発生する霧が……』

「季節で発生する霧が、クレーターの底の町を海みたいに呑みこんで――」

「伝統の織物は、代々、初期移住者から受け継いだ家ごとの編み模様が――」

「年一度の祝祭に、大通りや店々を青いランプで飾りつけるさまといったら――」

 その日の食堂でも、大テーブルではお国自慢に花が咲いていました。私はすっかり理解していました。それがこの基地における、一種の儀式のようなものなのだと。

 食堂で、バーで、勤務中の小休憩に。仲間と顔を合わせるたび、人々は出身地について楽しげに語り合います。他にも好まれる話題はありましたが――遠く中央星域セントラルから届くスポーツ競技の結果や俳優の痴話騒動、娯楽メディアの噂話――会話の終わりは、必ず故郷の話に戻るのです。

 私は故郷を持たぬ者。共感は難しいものでした。とはいえ人付き合いは、この潜入捜査じみた仕事にとって大事な情報収集の手段です。適当な相槌と迎合で武装し、私はひたすら聞き役に徹しました。

 最初にオヤと思ったのは、いつ頃のことか――たぶん異動や引き継ぎによる慌ただしさが、一段落したあたりでしょう。

 いつものお喋りの最中、私は同僚の一人を気に留めました。自分より一月半ほど前にやって来た彼女は冗談が上手く、感じの良い短期労働者でした。確かどこか遠方の、衛星コロニー出身とか……。その彼女が終始うつむき加減で、疲れた様子を見せていました。

 目の下の濃い隈、やつれた頬、ぼさぼさの髪。素人目にも、長らく不眠ぎみらしい。

 私が声をかけそびれたのは、己のコミュニケーション技術の未熟さを自覚していたせいです。確信がなかったというか――元気なく感じましたが、とりたてて騒ぐほどでもないかもしれないと。実を言うと、疲れぎみに見えたのは他の同僚も同じだったので。

 理由はわかりません。ただなぜか人々はお喋りのあと、全員が物思いに沈む時間を持ちたがりました。長い閉鎖生活にうんざりし、古里ふるさとを懐かしんでいるのか、今しがた聞いた異郷への旅でも夢見ているのか――私はそう考えていましたが、その解釈は穿うがちすぎで、単に喋り疲れただけとも思われました。

 とにかく私は声をかけず、その判断を後悔することになります。二日後、彼女の姿は基地から消えていたのですから。

 事故などではなく、突然の辞職という話でした。ちょうど来ていた定期輸送機にアポなしで乗り込み、誰にも挨拶なしに基地を去ったのだ、と。慌てて確認した監視映像にも、注意すべきトラブルはなし。最後に機体に乗り込む間際まで、彼女の態度は落ち着いたものでした。

 失敗したと思いましたよ――どうやら最初のチャンスを逃したようだと。彼女の気落ちの理由を、あのとき聞き出せていたら。基地を取り巻く謎の一端を掴めていたかもしれないのに。

 手遅れながら、同僚に彼女の辞職理由を聞いて回りました。しかし奇妙なことに、逃亡じみた仲間の退職にも、人々の反応は驚くほど淡泊でした。

「あの人が辞めてしまったのは残念だったね」

 恒例の談話会サロンでの軽い言及のみで、数日すると人々は彼女を忘れてしまいました。基地には再び不自然なほど親密な空気が戻り、私は独り、疑問の中に取り残されたようでした。

 それでもまだ深刻に捉えなかったのは、似たような辞職が二年も続いていたのを知っていたからです。

 皆、慣れてしまったのだろうと思いました。赴任前、私は本社担当員からこれまでの退職者・休職者の人数と、その理由が記されたデータを受け取っていました。ざっと目を通したところ、当事者が提出した書類上の理由はどれも曖昧で、似かよったものだったのです。

 自身の能力不足、家族の介護や育児のため、一身上の都合――誰もが使うフレーズ。後日、本社から教えられた彼女の退職理由も、常套句の一つにすぎませんでした。

 それにしても本当に、彼女は愚痴の一つも漏らさなかったのか?

「職場に不満? まさかまさか。そんな話、聞いたことはないよ」

 あるとき娯楽室で出会った同僚に、私はしつこく尋ねてみました。彼はシフト割が彼女と重なる機会が多く、会話も頻繁だったはずの人物でした。

「僕もそこまで、あの人と深い話はしなかったけれどねえ――」

 誠実な彼はなかなか口を滑らせませんでしたが、私に一杯よぶんに酔わされると、とうとう思い当たるふしを喋ってくれました。

「きっと……、里心でもついたのじゃないかなあ」

「里心? つまり、故郷が恋しくなった? けれどあの人は若いとき、家出同然に町を出たと言っていなかった? 親しい人もいないから、帰る気はないのだとも」

「いやあ……。口で言うほど捨てたわけでもなかったんじゃ? やっぱり皆そうだからさ。故郷に思い入れがある人ほど、こういう職場じゃ続かないみたいよ――ああ、きみは古里はないと言ってたっけ。じゃ、誰より長く続くかもね」

「だと良いですけど。ところで、どうして里心と思ったんです?」

「どうしてって。だっていつも郷里の話で盛りあがるじゃない」

「この基地の慣習なんでしょうか。私が前にいた所では、人はもっといろんな話を楽しんでいましたが……」

「僕が来たころから、ここはこんなだよ。……言われてみれば、なぜだろうね?」

 初めて疑問に思ったのか、彼は頭痛でもこらえるように額を手で押さえました。

 そして次の異変は、彼女の辞職からあまり間を置かぬころ――。私の業務に関わる、機械の故障として表れました。



 当時、私は勤務中でした。作業はいつも一人で行います。惑星深部へ資源採取に行く収集機の保守点検業は、九割が自動化されていて、仕事はおもに計器の番人といったところでした。

 収集機も無人の気球型で、大きさは中型シャトルほど。下部から吸入、タンク、気嚢バルーンユニットの三部構成されており、私はバルーンの整備担当でした。そこには収集機が基地を離れる直前の、全体チェックも含まれていました。

 知ってのとおり、ガス惑星の表層は気体です。しかし深く潜るにつれ圧力と温度が上昇し、ガスは相転移、液体に変わっていきます。層によって成分組成は異なり、目的資源である水素とヘリウムは、深部液体層の最表面で効率よく採取できました。

 収集機は、行きは表層嵐の下降気流も利用して降下します。気体・液体混交層に到達し、安定層流に留まると、最後は吸入ユニット格納の吸入ホースを、更に300mほど降ろしていきます。

 液体層内部まで確実にホースを垂らして資源を採取。帰途は満杯のタンクを抱え、低気圧嵐の壁雲近くにある上昇気流も利用しながら、バルーン内部の充填じゅうてんガス密度を調整、浮かび上がるのです。

 雲霧の底から、赤い航行灯を明滅させつつ浮かんでくる気球の群れは、特に日中の黄昏めいた光のなかでは童話の風景さながらでした。基地まで浮上すると、気球は誘導信号に従って外環モジュールへ接続します。タンク内の一次採取物を精製モジュールへ受け渡し、その後、各整備モジュールでメンテナンスを受けていきます。

 異常なしオールグリーンなら再び採取へ旅立つのですが――勤務に就いた当初から、私はある問題に悩まされていました。

 最終確認の全体チェックで、計器に気になる数値があったのです。どの機体も標準値より全体重量が重く、私は原因をどうしても見つけられずにいました。しかも操業サイクルが一巡するたび、謎の重量は増してゆく。仕様書や過去データを参照するかぎり、そろそろ多くの機体において、飛行への影響が懸念されました。

 ある日、手遅れになる前にと、私は同僚へ相談に行きました。

 外環施設の別モジュールには、吸入とタンクのユニット保守員がそれぞれ勤務しています。タンク保守員は私同様、首をひねるばかりでした。次に吸入ユニットのモジュールを訪ねましたが、私はそこで奇妙な光景に出くわしました。

 収集機の吸入ホースは、帰還のたび清掃が必要です。一次採取物に含まれる塵芥じんかいが、ホース内部に付着するためです。私が歴任した基地では軽く吹き飛ばせば済む程度でしたが、近年この惑星では専用機材が必要なほどの詰まりが発生する、とは説明されていました。

 ホース清掃は、それが収納されている吸入ユニット保守員の担当です。しかし室内にいるはずの同僚は、外部インターホンからいくら呼びかけても無反応でした。

 留守かと扉の窓を覗けば、視界が影に遮られています。グローブでガラスを拭って目を凝らすと、未清掃と思われるホースの山のようでした。

「あのう、入ってもよろしいですか? お忙しいところ申し訳ない!」

 その山の合間から、派手に黄色い安全ヘルメットの頂部が見え隠れしていました。

「聞こえますか、大丈夫ですか?」

 私は室内に有毒ガスでも溜まったのかと心配しました。そのときヘルメットはやっと振り向く気配をみせ、『ああ、はい……。何でしょう?』居眠りから覚めたばかりのような応えがありました。

 勤務中は、私も空気清浄機つきのヘルメットを着用します。おそるおそる入室すると、フィルタごしの空気にはホースが発するらしい独特の臭気があるものの、ヘルメットの安全装置にも室内設置の検出器にも何の警告も出ませんでした。

「少し相談事があって来たのですが……」汚れたホースの山を苦労して迂回し、私は彼に近づきました。「このホースは、いったい何事です?」

「ああ……。掃除ができなくってさ」

「何か問題でも?」

「うん……。洗浄機が、故障してね。だからしばらくのあいだは、戻ってきた機体に、予備ホースを付け替えてたんだが……」

 彼が着座する制御盤の正面ディスプレイには、赤いエラー番号の表示が明滅し続けていました。その焦れたような光に照らされながらも、彼はまるで動こうとする気配を見せないのでした。

「とうとう、替えもなくなっちゃった。直さないといけないよなあ……」

「いつからです?」

「さあ――いつからだっけ? けっこう、前からだったと思うよ」

 唖然とした私の質問にも、相手はヘルメットの前面ガラスに虚ろな反射を返すばかりでした。

 私は彼を説得し、一緒に問題を調べました。しかし取り組んでみると、故障は拍子抜けするほど些細なものでした。

 洗浄機の末端部分のよくある液剤漏れ。場所さえ特定できれば、新人でもマニュアル片手に対処可能な整備です。ところが驚いたことに、彼は別の基地から移ってきたベテラン技師だったのです。

 私を悩ませていた機体の重量問題は、明らかにホースの汚れが原因でした。吸入ユニット保守員の不可解な怠慢を、当然私は上へ報告しました。けれどマネージャの反応も普通のものではありませんでした。

「可哀想に。彼は疲れてしまったんだろうね。それも当然のことよねえ……」

 放置すれば多くの機体が喪失ロストする事態に対し、彼女が漏らしたのは、そんな同情の呟きだけでした。

 その夜、過去の監視映像が明らかにしたのは、更に異様な事実でした。

 洗浄機の問題は、私の赴任のはるか以前から時々起こっていたようでした。映像には故障のたび、予備ホースを付け替える保守員が映っていましたが、信じがたいのはこの事態を他の乗組員クルーも知っていたらしいことです。

 食事休憩への誘いなのか、他の用事があったのか。彼のもとには、たびたび人が訪れていました。彼らとて、溜まる一方のホースの山は目にしていたはず。制御盤のエラー表示にも気づかなかったはずはないのに、誰一人、異常を指摘する者がいなかったのです。

 私は混乱しました。日々、基地内をきれいに整え、楽しげに働いている彼らが、なぜこんな大問題を見て見ぬふりするのか?

 基地マネージャが頼りないので、私は自分でホース保守員に問いただそうかと考えました。しかし結局、彼も私の知らぬ間に基地を去ってしまったのです。

 マネージャのみに辞意を伝え、やはり逃げるように……。

 短期間に二人の退職者を出した職場には、新規労働者が三名やって来ました。

「こんなに雰囲気のいい基地は初めてだ。きっとうまくやってゆけるだろう」

 私同様、温かいもてなしを受けた彼らは口々に感激していましたよ。顔に笑みを浮かべつつ、私は同意できませんでしたが……。

 ――確かにここには、何らかの深刻な問題が存在している。

 ただしそれは目に見えず、恐ろしくも苦しくもありません。例えるなら、無辺の海の彼方から忍び寄る、曖昧な霧に似た、うすら寒い不気味な気配でした。

 その一端と思われる現象に、私がやっと接触したのは――あるいは接触されたのは、この奇怪な任務に就いてから三ヶ月目のことでした。

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