音声記録4-3:『ガス巨星や氷惑星は……』

 ガス巨星や氷惑星は、銀河にありふれた存在です。とはいえ、どんな星でも資源開発に適しているとはかぎりません。

 星系主星の活動が安定期なのは言うまでもなく、惑星と主星との距離は適度に離れているのが望ましい。公転軌道の安定性は気象予報の精度に関わりますし、年若い星系では落下軌道にある彗星の数が多すぎます。

 たぶん一般の人が思うより、極端な環境条件の星は――自転・公転周期が短すぎるとか、星系から今にも振り飛ばされつつある遊星一歩手前の星とか――基地を浮かべるどころではない惑星は、たくさんあるのです。

 ですがことわざにも“星の数ほど”とあるとおり。銀河に恒星は満ち満ちており、ペルセウス腕の過疎宙域でも、会社はうまく好条件の星を見つけて産業用の跳躍航路で繋いでいました。

 私の新たな配属先は、銀河核バルジから最遠の小星系にありました。

 やや老いはじめた黄色い主星が一つ、ガス巨星が一つの単純な系。惑星は全球がサイケデリックな流体芸術フルイドアートで、レモン色や草色や、紫や青の蛍光色を、ぐちゃぐちゃに掻き乱したような珍しい外観をしていました。

 哀れな精神異常者の脳内をもし覗けたとしたら、きっとこれほどの混乱かと思うような。そして狂人の心が常にそうであるように、少し大気に潜ってみれば、そこには時速200km以上の強風が吹きまくっていました。

 500km/h超の風に巻かれた星もありますから、それに比べれば穏やかな環境だと言えるでしょう。しかし、どこの浮揚基地フロートフォームにとっても風は大問題です。その星にただ一基の基地は20年の昔に、大気中でも比較的、風の弱まる低気圧性巨大嵐の中心付近に建設されていました。

 100年以上昔に発生した大嵐は、直径およそ1400km。予測では今後250年間は安定して存在するという結果が出ていました。

 定期輸送機は跳躍航路を抜け出ると、まっすぐに嵐の中心部へと突き進んでいきました。ひょうきんな性格の航宙士は、早くから嵐を視認していたようです。機内案内でたった一人の乗客――すなわち私にわざわざ呼びかけ、眼下の絶景を教えてくれました。

 反時計回りの大嵐は紫まじりのクリーム色。鮮やかすぎる草色と水色の混濁層から、雲塊うんかいは円柱状の台地もどきにそこだけ垂直に盛り上がっていました。一方で嵐の中央には強力な下降気流があり、雲海に底知れぬ紫紺の吸込み穴を穿うがっていました。

 その嵐の目を少し降りたところに、基地はあります。私の赴任先にまつわる良くない噂を、船長も聞いていたのでしょう。半分は独り言のように語りかけてきたものでした。

『あんたはどのくらい、あそこで働く予定なの。あたしなんか毎度、行き来するのも良い気分にはなれないのに、あそこで長く働ける人はほんとに偉いねえ。――あの大穴から帰るときが、どういうわけか一番怖い。穴底から何か出てきて船を捕まえるんじゃないかって、さ。子供じゃないんだけど、いつも振り向きたくなるね……』

 管制誘導は支障なく、船は基地基幹部の頂上にスムーズなドッキングを果たしました。黒っぽく反射する施設構造は下に小積雲の層を広げ、三機の重力制御系の作る力場に安定して浮いていました。

 大気圏内まで入ってしまうと、人間の距離感覚スケールで見渡すそこは意外なほど落ち着いた色合いでした。

 時刻は短い昼のさなか。高層には、凍ったメタンの青めいた雲が三すじ。天蓋てんがいは淡い金の光に満ちて美しく、水平方向には、彼方に嵐の高い壁雲が藤色の崖としてうっすらそびえています。基地周辺の積雲はクリーム色から琥珀色。サイケデリックな色彩はなりを潜め、アンモニアや硫化物以外の化合物によるのか、影色は不思議な紫紺のグラデーションに染まっていました。

 さながら忘れ去られて色褪せた、古いメルヘン絵画の世界です。そこへ基地だけがくっきりと、現実的な人工鋼の直線を誇示するように浮遊している……。

 六角ボルトに似た基幹構造は厳めしく、周囲はスポークで支えられた二重の環状施設に取り巻かれていました。ドッキング前、私は技術者の目でじっくり観察しましたが、相応の経年変化がある程度で、基地構造に不安な兆候は見当たりませんでした。

 意外だったのは、その後の成りゆきも同じです。人為的な故障が続くという話から、私は職場環境の不穏な空気を予想していました。ところがドッキング後、エアロックから出た私を出迎えたのは、非番作業員たちの和やかな笑みでした。

 誰に命じられたわけでもなく、三人はわざわざ待ち構えていたようでした。基地の内部構造は、だいたいどこも同じです。おまけに私は経験者という触れ込みだったにも関わらず、彼らは親切に施設を案内してくれました。管理室のマネージャに至っては、親密に肩を叩いて私の移動の旅を労ってくれたほどです。

 たぶん本社の重役たちと似た予想を、私も持っていたはず。基地乗組員クルーは五十人ほど。直径8kmの規模を思えば人口密度は低いとはいえ、居住空間は一緒ですから、乗員同士の不和は珍しくありません。けれど基地の通路はゴミ一つなく掃き清められていました。

 舷窓はぴかぴかに磨かれ、荒んだ気配はまるでなし。人々は居心地よさそうに笑いあい、隣接した居住区につきものの騒音トラブルもありませんでした。性欲はスケジュールどおり化学的に管理され、政治思想や信仰の違いなどそもそも話題にものぼりません。

 狭いながら、基地にも娯楽施設はあります。ゲーム盤やミニバーが集うそこに、私も初日から顔を出してみました。すると人々はこちらを見つけるなり、内輪のお喋りに引き入れました。しきりに不便はないかと世話を焼き、気遣うそぶりには、新人への警戒や取り繕った様子などまったくありませんでした。

「こういう、家から遠い基地での仕事は初めてだったんですけど……」

 印象的だったのは、私より二週間早く着任した臨時雇いの少年です。彼でさえ、一回り以上も年上の私へ、貴重な配給アルコールを分けてくれようとしました。

「ぜんぜん予想と違ってて。皆さん、とても親切なんです。なんだか家にいるのと変わりないくらい。あなたも今日から僕たちの仲間ですね。嬉しいな。よろしくお願いします」

 秘密裏に渡されたアクセスキーで、私は基地監視システムの情報を自由に取得できました。けれど自室でカメラ映像を覗いたところで、映るのは互いに労いあう優しい人々ばかり……。

 本社への最初の調査報告を、私は困惑しながら送ったものです。

『これほど和気あいあいとした雰囲気を、他の基地では経験した覚えがありません――』

 私の赴任の真の目的は、もちろん厳重に秘されていました。けれど、たとえ監査任務と堂々公言して乗り込んだとて、彼らは同じように歓待してくれたのではないか。そんな疑念を抱くほど、職場環境は素晴らしかった。

 すべてに騙されている心地で、最初のひと月を過ごしました。

 人々がたった数ヶ月で辞めたくなるほどの問題が、どこにあるというのか?

 ――最初のひずみが見えたのは、やはりに関する事柄でした。

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