音声記録4-2:『私はごく普通の人間でした……』


 私はごく普通の人間でした。この銀河に何十兆と生きる人々のうちでも平々凡々として、際だった能力もなければ目立つ犯罪歴もない。多少平均からずれる数値があるとすれば、出身が輸送隊商船の一隻だった点くらいでしょうか……。

 生涯のほとんどを星系間の往復に費やす、放浪者の集団です。片親は船団員ですが、もう片方はよくわかりません。船団員の誰かか、あるいは旅の折ふしに訪れた寄港先の誰かだったとは思いますが。

 いずれにしろ、両親の素性は船団では重視されませんから。子供はみな船の子であり、乗組員クルーのすべてが世話をして働き手に育てるんです。もちろん中には面倒見の良い者、悪い者といたように思いますが、大して憶えていません。

 生みの親や、大勢いたクルーよりむしろ母のように感じられたのは、航宙船の頑強な合金製の子宮でしたし。そして父は、私たちの世界のすべてであり、折に触れて船団員の命を脅かす冷厳な宇宙環境そのものでした。

 とはいえ船の子供らにも、実親など特定の精神的指導者メンターや兄弟はいましたし、隊商の生活を知らぬ人たちが思うほど環境は悪くないのです。船団で育つ人間が、人間らしさや社会性をまったく持たない異人種エイリアンだというのは一部の狭量な偏見にすぎません。宇宙の虚空を放浪する私たちも、岩石星や恒星間基地に育つ人々と共有できる良識は持ち合わせているんですよ。

 ただ多少、心のありようの違いがあるとしたら、それは故郷を持たない点だったかもしれません。故郷――自分の魂がって立ち、向こうからも無条件に受け入れてもらえるような、心身の記憶によく馴染んだ属性のことです。

 隊商の船団は、たとえ航路を変えたとして、舷窓からの風景に大きな違いは現れません。どこでも永遠の闇が続き、瞬きしない冷たい星が隔たって浮かぶだけ。目立って心に残り、親近感を抱ける対象は存在せず、宇宙のほうも私たちの旅を見守ってくれる兆候は一切感じさせません。

 環境惑星なら、その土地と住民の絆を結ぶ、なにがしかの特徴があったりするのでしょう。ほら、都市を見下ろす大きな山とか、宇宙コロニーなら、建設に始まる苦労の歴史とか。けれど一片の塵とて浮かばぬ過疎宙域は、酷薄さ以外に人間へ与えてくれるものを何も持ちません。

 あるのはただ極度の低温と容赦ない宇宙線。遠大な距離と時間と、名付けようもない闇だけです。そしていつもどの方位かには、天の河銀河の薄明かりの帯が、ぼんやり宙に凍みついている――いくら飛んでも決して近づくことのない、遠い悲惨な憧れとして。

 そういう寄る辺ない虚無と、人間に対する深宇宙の圧倒的無関心は、物質存在の賑やかな環境で育った人々には耐えがたいものなのでしょう。しかし輸送船団の出身者は、孤独を宿命として受け入れています。私自身、過疎星域に当然の絶縁感や時間の停滞に悩まされることはなく――悩まされることは、ありませんでした。そして間違いなくその点を、長い間、私は会社から評価されてきたのです。


 十六の歳に私は船団を離れ、ある会社に就職しました。

 船団出身者は生まれついての放浪者ですが、血筋は太陽系地球人ソルテランですから、若い頃にはそれなりの外部拡張願望も抱きます。船団に留まる者がいる一方、機会があれば船を去って星野へ出ていく者もいる。私の場合は後者であり、ペルセウス腕の辺縁に事業展開する会社へ雇われたのは、船団と長年取引実績を持つ知己の紹介のおかげでした。

 その企業は中央星域セントラルに聞こえるほど大きくはないけれど、渦状腕の一扇区セクターではそこそこ名の通った天然資源開発会社でした。

 太陽系地球ソルテラに発祥した人類にとり、もっとも住みよい環境は地球タイプの岩石星です。しかし、必要資源のすべてが都合よく近場に存在するとは限りません。その一つが水素、ヘリウムといった元素で、特に化学的に安定なヘリウムは精密機器の製造や冷却剤に多用されるほか、同位体が融合炉の燃料としてどんな社会でも要求されます。

 銀河に無数に存在する巨大ガス惑星や、いわゆる氷惑星は、それら原料元素の宝庫として知られています。私の会社は、そうした天然ガスの採取・精製を主産業とする星間複合企業ステラーコングロマリットの一つでした。

 五つの星系の七つのガス巨星において、会社は独占的な資源採収権を有していました。それぞれの星に一基から六基の採取用浮揚基地フロートフォームがあり、学歴のなかった私ははじめ、最底辺の作業員から経歴をスタートさせました。

 基地に初めて乗り込んだ日は興奮したものです。永遠の暗夜ではなく、弱々しいとはいえ昼夜差のある大気圏内での定住は初めてでしたから。けれど窓に見える壮大な雲海を別にすれば、外部社会からの隔絶ぶりは船団と大差ないものでした。

 そもそも巨大ガス惑星は、致死量を超える放射線を伴う強力な磁場を発生しています。そのうえ重力井戸も深いために、大規模居住区の設置には適しません。産業用の小規模基地は大気の浅層に孤立して浮かび、気軽に行き来できるコロニーやステーションは近傍にありませんでした。

 クルーは住み込みの常勤か、複数基地を巡回する交代作業員で構成されます。そして一度基地に乗り込めば、最短でも半年間は閉じた生活を送ることになる。都市での宇宙塵デブリ掃除より割は良いとはいえ、出稼ぎ労働者が絶えない反面、長く勤める者が少ないのは、おそらくそのあたりが理由だったのでしょう。

 作業員の顔ぶれは、数年で入れ替わりました。私が本社に名を憶えられるほど続けられたのは、やはり出身が――何に対しても帰属意識の薄い、放浪船団の出自が人格の基本にあったからだと思います。

 十代の頃は、若い望みを抱いたりもしました――辺縁を去り、もっと人や物に溢れた活気ある世界で暮らしてみたいと。だから静かな基地には、当初は不満もあったのですが……。研修などで環境惑星に降りる機会を経たあと、考えを改めました。

 大地に引力で貼り付けられた、平面上のもどかしい生活。めまぐるしく変化する気象条件や、周囲の不安定な騒音。不特定多数の人々との、刹那的で騒がしい付き合い……。

 昔から、どこかで理解していたのですよ。諦めとともにね――結局は何もない、澄み切った虚空こそが己のりように近しいと。

 出先から基地に戻ったときほど、ほっとした日はありませんでした。常に聴覚の底流にある機械の駆動音と、一定の振動。既視感以外に何もない、窓の外の変わらぬ景色。心を無駄にざわめかせる悲しみも怒りも、喜びすら、そこには欠片も存在しない。

 人間に対する優しさの一片とてない宇宙空間に、私は特別な絆を感じることはありませんでした。しかしそこは、己がただ虚飾なく在ることに、負い目を抱かずにすむ場所であるのは確かでした。

 七年を三等保守員、十年を二等技術員として、私は堅実に過ごしました。そして徐々に研鑽を積み、配属された二つ目の基地において、私はガス収集機の一等技術員、保守管理監督者に任じられました。

 五年間、順調に機械と人員の管理に努めました。本社から、首を傾げたくなるような辞令が届いたのは、今からおおよそ一年半ほど前になるでしょうか……。

 その日のシフトを終え、基地一角にある居住用個室へ戻った私は、据え付けのデバイスに新着通知を見つけました。見慣れぬアドレスからのメール内容は、ごく簡潔に――翌サイクルの初日づけで、私を別星系の基地へ転属させる、と。

 目を疑ったのは、その職分がヒラの技術保守員だった点です。明らかな左遷降格ですが、身に覚えはありません。何かの手違いに違いないと、宛名を三度も確認したほどでした。

 しかし、読み進めると追記があった。それは赴任にあたり特命を与えるため、以下の部署へ暗号化したEPR通信をするようにとの指示でした。

 特命とは? しかも通信コストのかさばる量子相間通信で、わざわざ?

 部署の名に聞き覚えもないし、私は誰かの悪戯ではないかと、半ば疑いながら指示に従いました。

『突然のことで、困惑されたかと思いますが……』

 担当職員の通信音声はガス巨星磁場の影響か、感情の起伏のない機械音声じみて聞こえました。

『この処置は一時的なものとなっております。短期の出向を終えたのち、あなたには小規模基地マネージャへの昇格が決定しております』

「すみません、私の理解が足りず申し訳ないのですが。それはつまり、一種の研修ということですか?」

『いいえ……』

 と、ひずんだ声は多少人間味のある沈黙のあと、奇妙なことを言い出しました。

『ありていに申しますと、監査任務の一環です。あなたには当該基地に赴任し、職場環境について一般作業員の目から評価を行って頂きたいのです。これはガス資源事業部、第二操業会議からの提案という形なのですが。もし今回の転属を受けていただければ、監査任務終了後に先ほど申し上げた人事異動が実行される予定です』

「もし、受けなければ……?」

『申し上げたように提案という形ですので、特に変更はございません。拒否ということになりましても、適性期間後のあなたの昇格は確定されております』

 そうは言いましたが、の長さについて明言はありませんでした。しかも担当員は、肝心の任務の詳細については機密だと言い張りました。私が自室に一人であるのを入念に確認したあげく、辞令を了承しない限りは口外できないと。

 いったん吟味したいと渋れば、相手はもちろん私のシフトを把握している。次に本社と即時通信できる機会があまりにも先になるために、今すぐ返答をするよう急かしてきたのです。

 要するに、向こうは最初から仕事をさせる気でいたわけでした。その強引さには腹が立つより呆れましたが、任務にはかなりの追加手当も付くようでした。

 技師としてなら、監督職より長く経験を積んでいます。監査というのは同職の仲間も調査対象になるのか、わかりませんでしたが、そもそも私は普段から同僚と親交を結ぶ習慣を持ちませんでした。

 当然、そんな人格も踏まえた人選だったに違いない。「承知しました」私は答え、『ありがとうございます』相手は淡々と受けました。

 ようやく打ち明けられた詳細は、通達の突飛さ以上に腑に落ちないものでした。

『二年ほど以前から、ある浮揚基地フロートフォームで機器類の故障が頻発するようになりました。あわせて作業員も、半年と保たず辞職が続くようになりまして……』

 報告を精査したところ故障には人的要因が疑われること、対策として経験豊富な指導員を幾度も送り込んだということでした。けれど今のところ成果はなく、送ったベテラン人員まで、たった二、三ヶ月の滞在後に不調を訴えるようになったというのです。

「それなら私のような技術員より、宇宙医や惑星学者を送ったほうがよろしいのでは?」

 当然の疑いを口にしても、相手は単調に返すだけでした。

『可能な科学調査はすでに実施済みです。当該基地に人体を害するような環境的、医学的要因は確認されておりません』

「その調査をした医者や学者に、私が話を聞くことは可能ですか?」

『調査内容はデータでお渡しできます。しかし調査担当者に直接話を聞くことは、おそらく難しいかと思います』

「機密だから、ですか?」

『いえ、許可は下りるとは思うのですが……』

 歯切れ悪く、また担当職員は黙り込みました。その段になって初めて私は、相手のいやに平板な口調が、通信のひずみだけではなく、つとめて感情を抑えようとする不安感、困惑感によるのではと思い当たりました。

『彼らは――休職中です。連絡は難しいと思われます』

「休職中。医者も、科学者も? 派遣された指導員の方は?」

『はい。その……、全員です。しかし、症状は軽い抑鬱状態のみで……」

「事故による労災ですか? 機械の故障が起こるということですが」

「いえ、人的被害のある事故は起こっておりません。安心していただきたいのは、当該基地で発生した機器類の不備はすべて些細な程度である点です。生命維持系には完全に影響がなく、クルーの安全に関わる重大事案インシデントは起きておりません」

「しかし、休職するほどというのは……」

「従業員の就業規定を会社は遵守しています。休職は職員自身からの申請であり、連絡が難しいという理由は、彼らの全員が遠方星系へ帰郷しているためという点につきます』

 さすがに強い不安に駆られ、私は通信に耳をそばだてました。

「基地クルーの辞職が続いているというお話でしたよね。その人たちの辞職理由をうかがっても?」

『そのあたりにつきましては、転属前に詳細なデータをお送りいたします。ただ先に申し上げておきますと、退職された方々にも、何らかの危険な肉体的損傷が発生した事実は一件もございません』

 今はこれ以上尋ねるなという態度が露骨な口調でした。

 けれど最後に私には、どうしても確認しておきたい事項がありました。

「一つだけ教えてください。なぜ、私なのですか?」

 数秒の沈黙のあと、答えは空電ノイズの彼方から途切れがちに届きました。

『あなたの人物評価は、標準的な数値スコアより――故郷への親しみをお持ちではない……』


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