音声記録3-3:『そういや黒斧さん。あんたは……』

 そういや黒斧さん。あんたは、もともと有機肥料かなんかの密売で稼いでたらしいな。それなら俺たちみたいな盗伐者の情熱は、わからねえんだろうな。

 有機肥料の採掘は、手当たり次第なんだろう。星の所有者や警察サツに見つからんうちに、なるべく速く大規模に堆積土壌をえぐり取ってく、って。たいそう金のかかるでかい機材が必要ってだけで、そんなに難しくない仕事って印象だ。土に、お目当ての化合物が入ってるかどうかも表層スキャンでだいたい分かるし、上がりにそう激しく当たり外れが出るわけじゃねえんだろ?

 巨大機材メガマシンを操って手堅く大胆に稼げるのが楽しいんだと、昔ナンドゥーロβにいたころの知り合いが言ってたことがある――たぶんさ、あんたもあいつも俺よりはずっと賢い人間なんだろう。

 盗伐ってのは、真逆だよ。必要なのは執念と根気だ。慎重で静かで諦めが悪くて、を探して、同じ森で稼ぎつづける危険をおかせる賭博師が向いてる。

 なにしろ生物資源だもんでね、当たり外れがあるんだよ。でかい良木を見つけたつもりが、苦労して切り倒してみたらとんだ金食い虫だったって悲劇もざらだ。心材にスキャンし損なった腐敗があって端材しか取れねえとか、伐採して数日間、無重力に曝してみたら、売り物にならん酷ぇ病斑が浮いてきたとか、いろいろある。

 化合物の混合土とか、人工物とは事情がちがう。天然木は呼吸してる。生きてるんだ。何十年何百年って時間の堆積がぜんぶ木目に刻まれて、しかも修正はきかねえときた。そのなかでも奇跡みたいに条件をそろえた樹だけに極上の、神がかった杢目が現れるんだよ。

 そういう樹は、千本に一本さ。俺はいつだって、そういう一本を探してきた。ナンドゥーロβの虎目樫タイガー・アイでも、ヴォルフ・ガイエの赤縄杉クリムゾン・ロープでも。

 酒やドラッグなんかな、目じゃないよ。本物を見つけたときの魂の充足に比べたらさ。酒、ドラッグ、女――所詮は寂しい幻だ。本物の樹は実在する。実在するが隠されてる。ためしに樹皮を引き剥いてみて、死ぬほど求めてた杢目が現れたときには、顔も知らん母親に初めてキスされたみたいに、腹の底から温まるのさ……。

 樹は良いよ。伐採はやめられねえよ。樹はヒステリックにわめかねえし、愛するふりして裏切らねえし、寛大で静かで秘密めいていて、俺のための金になる。

 だから俺たちは収監されても、シャバに戻れば何度もやる。伐採ってのは酸素や水で、俺らにとってはギアの油だ。

 あの男も同類だと思ったんだよ――俺らと同じ、どこか星系外から流れてきて、宇宙塵デブリみたいに植民町コロニーに引っかかった由来不明のアウトロー。普通は集団でやる仕事をたった一人で黙って始めて、土地の人間の助けも借りずに高額の巨木ばかり次つぎ見つけた。よっぽどの年季がある伐採者だと思うだろ、当然な。

 植民町コロニーの居酒屋で――電磁列車リニア駅近くの〈ラウリンの庭〉って店だ。飯を食わせながら俺はあいつをおだてあげたよ。やつの伐った材を見たといい、それを盗んで手前の手柄にした恥知らずどもの悪行に憤慨してみせたりしてな。

 俺ならあんたの気持ちがわかると言った。良い相棒になれるって。俺はあいつの良材を嗅ぎつける技術を、嗅覚の秘密を、自分のものにしたくて必死だった。だがやつは俺のどんな世辞にも、うんでもすんでもなかったな。

 くたびれはてた猫背で、時々忘れてたみたいに、再生樹脂のスプーンを皿と萎びた唇に運ぶだけ。俺も嫌々覚悟しはじめたよ――こいつは一番やりたくない手、悩みごと相談ってのをやらなきゃ駄目かって。

 そのとき俺の指は、バーカウンターの上にあった。人工木材に浮いた節目模様――まわりより沈んだ色合いで穴っぽくみえなくもない模様を、無意識になぞってたらしい。

 急に爺さんが手を伸ばして、俺の指を掴んで止めた。

「やめてくれ」あいつは呟いた。苦しいような顔をして、もう一度。「やめてくれ」

「彼女ってのは、誰のことだい」俺はしぶしぶ聞いてやったよ。「あんた、言ってただろ?」

「きみは、木樵なのか」

「木樵? 古風な響きだ。だがまあ、そうさ。ただし俺は流れの木樵だ。この森に所有権を持ってるわけじゃねえ。意味はわかるな? あんたと同じだ」

「森は、誰のものですか? 今は……」

 一瞬、爺さんの口調が変わって、俺はそっちに気をとられた。

 人と目を合わせようとしない卑屈な猫背としわくちゃの上着。まさに敗残者って風貌が、急にその爺さんにこの上なく似合いに思えてきたもんだ。

 腕利きの盗伐者どころじゃねえ、浮浪者一歩手前の老人。人に喋れば嘲笑される、なにかでかい傷を負って今もその瘡蓋かさぶたに悩まされてる。若いころ歪んだ人生を癒そうともがきながら、さらに歪めていくしかなかった底辺生活者だよ。

「俺はこの星へ来て十年だ」俺は親切に答えてやった。「昔と変わりがあるのか知らんが、地主は別星系に本拠がある企業じゃなかったか」

「昔とは違う……。私がいたころ、この森は自治体の保護林だった」

「あんた、この町の出身か?」

「いいや。一時期、赴任していただけ……」

 俺は指を振ってセンサーに合図し、奥でサボってたバーテンに仕事させた。やっと口をきいた男をまた黙らせたくなかったからな。でも俺は酒の選択を間違えた――静脈血みたいに赤黒いブラッドウォッカ。グラスが運ばれてくるなり、爺さんは脅えた速さで俺のほうへ押しやったよ。

「…………」で、まただんまり。俺はとうとう白旗だった。

「爺さん」俺は呼びかけた。「あんた疲れてるようだから、今日はこのへんで俺は帰るぜ。もしさっきの話に興味がでたら、ここに連絡してくれや」

 そのへんのナプキンに番号を書いて渡したよ。挨拶がわりに肩を叩いた俺の手を、掴んできた爺さんの手の朽ち木みたいな感触は、まだよく憶えてる。

「待ってくれ。教えてくれ。きみは、あの樹を伐ってるのだろう?」

「だから、そうだって言ってるだろうよ」

「たくさん伐ったのか? まだあの樹は森に多くあるか? 誰か研究所を見つけたか」

 急に喋りだす男だった。まあ、ムショ帰りならこんなもんかなと思いながら、俺は首をふりふり返した。

「おいおい、落ち着けよ。心配しなさんなって、もともと本数の少ねえ樹種だが、まだ俺たちの取り分は残ってる。だけど研究所ってのは知らねえな……」

「それじゃ、やはりまだ彼女はそこにいるんだ。私が伐らねばならないのか、私が」

 両腕で頭を抱えこんだ男は、まだはっきりと異常者だとは思えなかった。

 俺は隣に座り直して、相手の顔を覗きこんだよ。多少混乱してるようだが、手をつけられねえほどじゃねえ。少なくとも言葉は交わせるし、適当に相づち打って、話を合わせればいいと思ったんだ。

「あんた、なんか理由わけありのようだな。俺に手伝えることはあるかい?」

 赤いウォッカを遠ざけて、俺は別の酒を頼んだ。口をつけたのは俺だけで、やつは最初に出された水のグラスを握りしめるだけだったが。

「あの樹は、私の恋人なんだ……」

 それが不気味な話のはじまりさ。

「婚約者だった。彼女を森から、連れ出すはずだった。あの日、逃げ出してしまったのが、私のすべての間違いだ……」

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