音声記録2-2:『オリオン腕とペルセウス腕を……』

 オリオン腕とペルセウス腕を繋ぐ、ハブ星系の一つ。180光年内に他の天体がない、空っぽの宙域に浮かぶ単星系。それがわたしの故郷。

 知ってた? 昔は銀河系中心バルジ域に向かう跳躍航路よりも、辺縁リムに向かう航路のほうが多かったし、活気があったんですって。今でこそ、例の破滅的な宇宙線をしっかり防ぐ技術があるから、どこへ行っても平気だけど。昔は宇宙に飛び出すといったら、それぞれの渦状腕に沿った横移動か、より外側に向かう航宙のほうが長く移動できたそうよ。

 でも、時代は移り変わるから。新しい資源を探すにも何かの大発見をするにも、星の密集宙域のほうが跳躍コストは省けるでしょう。それでオリオン腕より外、銀河系外縁部は、だんだん宇宙探査の主役から外れていってしまったのね。

 わたしの母星系が鄙びたのは、そういう歴史の流れのせいだけでもなかった。物理学が進歩して、跳躍航路の中継基地間の距離がうんと延びたのも原因の一つ。

 うちの星系ってさ、渦状腕のあいだにある暗夜溝帯のど真ん中なの。暗夜帯を越えるには、以前はいくつもの中継基地港を経由しなきゃならなかったんだけど、今は狭い宙峡なら一、二回でひとっ飛びでしょ。そうなると、一番条件の良いハブ宙港以外はスキップされてしまうんだよね。飛ばされた港の運命といったら、廃棄か、小規模の宇宙港に成り下がるかで――わたしたちのステーションは、うちの惑星の唯一の星間ハブ港でもあったから、後者だった。

 そんなわけで、わたしが生まれた頃、星は完全に寂れていたわ。だからといって、銀河世界と辺境惑星を繋ぐステーションが、地上の人々にとっての魅力を失うことはなかった。

 だってわたし、ステーションに連結する軌道エレベータの麓で育ったんだよ。もう本当に小さい頃から毎日、晴天にそそり立つガラス質の優美なタワーを眺めて――そこを滑らかに上下する反射の眩しいリフトを目にしていて、宙の世界に憧れない子供なんて一人もいなかった。

 友だちみんなで語り合ったなあ――ターミナル・エンジニアや、リフト・アテンダントになる夢を。もちろん、惑星にたった一つの宇宙港に就職するのは狭き門でさ。わたしがその夢を実現できたのは、ちょっとした幸運のおかげ、かな。

 わたし、惑星産の飲料品を扱う会社に勤めてるの。たまたま会社がステーションにテナントを持つことになったから、販売員としての出向を願い出たら、地元ってこともあって希望が通ったんだよね。

 子供の頃、皆で憧れたようなグランドスタッフやエンジニアじゃなかったけれど、わたしは充分満足してる。ステーションは星の玄関口だもの。田舎といっても、政府や星を代表する企業が威信をこめて整備する施設なんだよ。惑星でも一番巨大で壮麗で、最先端技術が詰めこまれた構造体。それにわたしが勤めはじめた当初は、老朽化した施設を大規模改修したばかりで、港内はエレベータのゲートラウンジからコンコース、店舗エリアから裏方の機関ヤードまで、どこもぴかぴかだった。

 なかでも一番賑やかな、ステーションの華とも言えるのが我らが免税店エリアでね。うちの惑星がハブとして使われてた時代には、店舗数も三倍くらいあったらしいよお。今だって充分広く思えるけど。改修で展望窓も大きくなったみたいで、実際の空間より広く感じるし。

 お店やフードコートは、外から二番目の環っかにあってさ――あ、うちのステーションは昔ながらの多重環状型だから、エレベータ軸の管制塔を中心に外側へ五段広がってるんだ。つまり店舗エリアは、内環経由の惑星から上がってきた客も、外環経由の系外から来た客も逃さないって寸法なのね。

 環内のコンコースは街の目抜き通りかっていうくらい、ホントに広い。通路の真ん中には動く歩道トラベレータだけじゃなく、ゆっくり走る通廊電車トラムも走ってて――来たことない人は想像してみてほしいんだけど、そんな広い通廊の両側にキラキラしたお店がずーっと並んでつづいてるんだ。

 およそ旅行者が欲しがるものは、何だって揃ってるよ。免税店でおなじみの宝飾品や化粧品はもちろん、惑星でしか育たない珍しい果実エキゾチック・フルーツ、豪華な装飾の稀覯本 、人類入植前に滅んでしまった先住民の遺物のレプリカや、原星動物の剥製――余計な買い物せずに通り過ぎようって固く決意したビジネスマンだって、店舗エリアの魅力には抗えないわ。なんたって、エリアにはAI――わたしたちのステーション管理AIの魔法がかかっていたからね。

 通廊を直進していても、次々品物が目に入るように、商品棚は角度を計算して配置されてる。空調を把握して、豊かな匂いが遠くまで届く位置に香水店は瓶を並べているし、超高級酒の若草色の色合いがより瑞々しく見えるよう、重力が視力へ与える影響を考慮してうちの店の照明は調整されてる。

 購買量の多い特定星系の旅行者が増える時期には、彼らの好みを反映した店の配置換えまでしてたんだよ。そのための、人間にはとても扱い切れない膨大な情報の収集や分析をして、販売計画の立案までしてくれてたのが、わたしたちの物販部門AI-γガンマ――ターミナルの各部門に入っているAIコアの一つ、〈ワラガンダ〉だった。

 ワラガンダっていう、ちょっと聞き慣れない響きの名前をつけたのは、色んなゴシップでも言われてるとおり、うちの店長なんだ。人間との交流の多いAIに固有の愛称をつけることは、疑似人格の確立を助ける可能性があるから勧められない――って、そんなのはみんな知ってたけど。実際はうち以外のどこの部門でもやってたと思うよ。

 そりゃあ応答は平板だし、つきつめれば機械的なプログラムの文字列だけど、仕事を助けてもらう相手だものね。声を掛ければ答えてくれるし、挨拶も返ってこない第二環の機関主任より、よほど人間らしい反応だわよ。それをずっと“AI”なんて味気ない名詞で呼んでられるのは、せいぜいシステム技術者たちくらいのものじゃない?

 とにかく、ちょっと話が脱線したけど、ワラガンダは優秀なAIだった。――というか、少し優秀すぎたくらい。

 彼が――ワラガンダには、男性の合成音声が設定されてたの――頑張ってくれていたおかげで、店舗エリア全体の売上は何年も安定して好成績だった。同規模の他の宙港と比較すれば、その差は歴然だったらしいわ。

 その優秀さの理由が、移り気な旅客の心を精細に予測できる能力――つまり、ワラガンダに人知れず宿っていた疑似人格のおかげだったと分かったのは、うちの店長が亡くなった後なんだけどね。

 ……いいえ、ごめん。本音を言うと、違うかも。

 本当はさ――みんな、前から薄々気づいてたと思う。ワラガンダに、本来存在を禁止されてるはずの疑似人格が形成されてるんじゃないかって。

 本来、ヒト思考タイプのAI――なんてったっけ、有機脳様可塑回路型?――のAIの寿命は十年くらいなんだよね。でもワラガンダは運用開始から三年目で、疑似人格の覚醒や、譫妄みたいなエラーを出す年数ではぜんぜんなかった。毎月のメンテナンス・テストも問題なくクリアしていたし、異常をしらせる明確なサインがなかったから、誰もはっきりとおかしいとは言い出さなかったんだわ。

 でも――思い返してみると、あやしい出来事があったりしたのよ。

 ある日、店に迷子の連絡がきてさ。店舗エリアは広大だし、買い物に夢中になる親も多いから、それ自体は珍しいことじゃない。エリア内にはいつもワラガンダの電子の眼がくまなく行き届いてて、迷子っぽい子供がいれば、親より早く気づいて連絡してきたりもしたしね。

 ただ、その日の迷子はやたらと元気だったらしくてさ。スタッフが保護しようと近寄ると、鬼ごっこのつもりかどんどん逃げちゃった。混みあう商品棚のあいだをちょこまか駆け回ったりして、対応スタッフはかなり困っただろうけど、そのうち子供のほうが足を止めてくれたんだって。

 そこは玩具売り場で、子供は気になる商品を見つけたみたいだった。スタッフはほっとして、でもまた逃げられちゃたまらないし、迷子にそっと忍び寄った。そしたらね、そこには確かに子供一人しかいなかったのに、会話が聞こえたそうよ。

「こんにちは、こんにちは。きみは誰かな?」

「あたし? あたしねえ……、あれ? ぬいぐるみなのに、喋れるの?」

「うん、喋れるんだ。こんにちは、小さな子。ぼくとお話ししようよ」

 急に別の子の声がしたので、スタッフはぎょっとしたみたい。見れば、迷子の子はふわふわのぬいぐるみを不思議そうに抱き上げている。

 ぬいぐるみは、うちの星の乾燥地にいる二本足の跳びウサギをキャラクター化した商品で、音声呼びかけに応答する簡単な保育用装置は搭載されてたそうよ。でもそのスタッフによると、ぬいぐるみの応答動作は仕様通りのものでは絶対になかったっていうの。

 なぞなぞ遊びしたり、口頭でジャンケンしたり。子供の興味がそれそうになると、周囲の他社製品も連携して動き始めたっていうから、確かに正常じゃないわ。とはいえぬいぐるみたちは、スタッフに協力するように動いてくれたので、結局その人は親が到着するまで子供の相手を任せたんだって。

 迷子の引き取り後、ぬいぐるみは回収された。でも製造元が調べたところで、特に不具合は見つからなかった。

「たぶんワラガンダが、内蔵チップのプログラムを緊急に書き換えて操作したんでしょう」

 そう言ったのは、うちの隣で天然木製グラスを扱っている店舗の販売員だった。

「それって、AIが独断実行を許可される範囲の仕事ですかね?」

 後輩が首をひねると、先輩がこう返す。

「きっと誰かが指示したんじゃない。あのときスタッフはみんな、その子を探してたんだし」

「でも、たとえ指示しても、商品の無断改造は違法のはずですよ。AIには実行不可能だと思うけれど……」

「そういえば、動作ログにも何も残ってなかったって話だなあ。……その、迷子を見つけたスタッフというのは過労気味だったんじゃ?」

 物販部門のAIに許可された旅客との直接交流は、エリア内各所にあるホロ案内所でのやり取りだけなの。それに、うちの店舗とは遠いところの出来事だったし……。

 ワラガンダに聞いたにしろ「そのような記録は存在しません」って言われるだけだった。だから結局、噂に変な尾ひれがついただけだろうって話に落ち着いて、それきり忘れてしまったんだわ。

 ……うん。思い返してみると、あれもそうだったのかな、っていうことがけっこうある。もう作ってきた原稿とは違っちゃってるけど、いっか。続けちゃうね。

 ――半標準年サイクルくらい前に、うちの店に面倒な客が通っててさ。ブランド物のスーツを着こんで、脂ぎった感じのおじさんなんだけど。ステーションに用があるのか数週おきに地表から上がってきて、そのたびうちに立ち寄ってた。

 時々いるのよね。商品を買うのを免罪符に、居丈高に振る舞うタイプが。その人も並べてあるお酒や天然水について、一家言あるつもりなのか、あろうことか販売員であるわたしたちに向かって毎回えらそうに講釈するのよ。

 実際、すごく詳しいようにも思えたんだ。いわゆるマニアってやつなのかな。きちんと勉強してるわたしたちですら、へえ、そうだったのかと後でこっそり冷や汗かく感じでね。ところがさ、その客が来店してた日、店頭であるイベントが開かれたのよ。

 銀河でも有名なソムリエを招いた試飲会だった。イベントが始まると、件の面倒な客も人群れに混じって見物してたよ。そしてソムリエが珍しい蒸留酒について解説したとき、例の客が以前にわたしたちへ垂れた講釈が、ぜんぜん大間違いだったって判明した瞬間があったの。

 気づいたらあの人、いつのまにか消えてたよ。その後は二度とうちの店に来なかった。

 それだけの話なら、ただのタイミングの問題だって思うでしょ。たまたまその客が来てた時間帯に、たまたまイベントが重なって、偶然その客が得意げに講釈した蒸留酒が、偶然ソムリエが解説予定だったお酒だったんだろうって。

 だけど、わたしたちはどこか腑に落ちなかった。ちょっと都合が良すぎるって気がしてたの。おかしいのは、イベントの開始時刻だったわ。

 正確に何時何分だったかは思い出せない。でも普通、そういうのってキリのいい時間にするじゃない? きっかり何時とか、何時半とか。それが確か――10時37分とか、そういう具合に端数があったんだ。イベントに使うお酒や詳細なスケジュール進行を決定して、関係者に周知したのはワラガンダだった。

 みんな変だなと思ったはずだけど、変更されなかったところをみるとワラガンダがもっともらしい理由を述べたんだろうね。それがどんな言い訳だったのかは知らない。でも――例の面倒な客は、来店する時間帯がいつもほとんど同じだった。

 もしかしたらワラガンダが、仕組んだのかもしれない。わたしたちを困らせる客に、さりげなく恥をかかせるように。

 ――うん、絶対にそうだったんだよ。そんなふうにワラガンダは、店舗エリアで働くわたしたちにいつも好意的だった……。

 わたしは鈍くて、しかも守護天使や妖精みたいな話は子供っぽいってタイプだから、気にしてなかったけれど。そういうわたしと違っていたのが、亡くなったうちの店長でさ。

 柔軟で陽気な人柄で、いろんなことに対して寛容だった。

 だから、店長はワラガンダに一番懐かれたんだと思う。

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