音声記録1-2:『旅と冒険が好きで、私は……』

 旅と冒険が好きで、私は幼い頃から週末になると家の裏手の低山や森に一人でよく分け入った。

 家族や犬が心配するほど遠くまで歩き回り、長じるにつれ、冒険の場所はより広範囲に、相棒はもっと速く大きな乗り物に変わっていった。近隣村落へエアスクータをとばし、丘陵地帯からグラインダーで飛び立ち、やがて私の座席は旅客機のコクピットへと、ついには大気圏を抜け出した真空と星々の世界へと――。

 それでも私は断固として、決まったルートを運航する堅実で安全な仕事には就こうとしなかった。私が求めたのは人々の見知らぬ場所、もの珍しい景色だったから。そのうえ私は常に身軽でいたがった。大会社に所属しておきまりのキャリアを積み上げるのではなく、どこか好奇心をそそる職があれば、身一つですぐ飛んでいけるように。

 そんな自分の天職となったのが、豪華客船の操縦士だ。大型宇宙港に停泊する、あの磨きあげたアステロイドのような威容を見たことがあるだろうか? 一度目にすれば忘れられるものではない。小都市ほどの規模があり、大勢の客を乗せ、人類が拓いた銀河星域をあちこち巡り渡る観光船だ。といって自分には、巨大客船の船長が務まるほどの資格や技術はなかった。もとよりそんな地位は望みでもなく、私は船載小型航宙機の一操縦士として雇われていた。 

 多くの豪華客船は、その規格外のサイズのため入港可能な地表港が少ない。大気圏内航行能力をわざわざ持たせることもないから、母船と惑星間の移動には、もっと小さくて機動力の高い航空航宙両用の船を使う。一般的に、客や物資の運送のために、大型客船は何機もの航宙機とそのパイロットを載せているんだ。

 船載機の数は母船の規模にもより、就航する航路にもよった。肝心のツアークルーズ内容も、オーナー会社の意向や標的とする客層の需要に合わせて色々だ。たとえば銀河でも指折りのリゾート星系内を回る船、先進諸星の巨大都市を順ぐりに訪れる船、異星文明の滅亡遺跡を巡る船や、渦状腕の間隙を主要な交易コロニー伝いに横断していく船……。

 そうした客船を何年も渡り歩いたあと、最終的に私はある一隻に落ち着いた。その船は、タイタン級とかアトラス級といった超巨大船舶と比べればはるかに小さな船だったけれど、そのぶん他にはない素晴らしい魅力を備えていたんだ。

 細身で優雅な船体は、中央星域セントラルから遠く離れた支線航路にも難なく潜りこむことができた。辺縁宙域リムの小規模宇宙港にも停泊できたし、専属の対宙賊警備員と警備艇も常駐していた。亜光速路のない宙域で速度が出るよう融合炉を四基も積んでいて、一、二度なら自力での短距離跳躍も可能だった。

 私たちの船は、先進文明の手が届かない原初の自然や素朴な植民地、公的な安全が充分確認されない宙域にも乗り込んでいくことができた。つまり、その船は冒険的なクルーズを売りにする客船だった。まさに自分にはぴったりの船だよ。勤務についた最初から、私は自身楽しんで客を観光名所へ連れて飛び回った。

 とはいえ、どんな仕事にも苦労はある。客を機内に乗せたまま名所を回る小ツアーなら、私の緊張は危険宙域での操縦と機体状況、気象・宙象状況の確認くらいのものだ。本当に大変なのは、いつでも人が関わったときだった。降り立った観光先で、予定とは違う通訳や乗客数の足りないシャトルが来たり、手違いや遅延が続いたために、スケジュールぎりぎりの運航を余儀なくされたり、永遠に続く純白の砂州に感動しきって、遠浅の海の彼方まで行ってしまった客を呼び戻したり……。

 そういう客への対応は、ともに私の機に乗りこんでいくサービス部門ツアーガイドの仕事なのだが、まともな離着陸場が整備されない大地に翼を降ろすさいなど、滑走路や周辺地形を確認するかたわら、私も機外に降りて彼らの手伝いをすることがままあった。……私が最初に彼女に出会ったのは、まさにそうした観光地で戻らぬ客を駆り集めている最中だった。

 あれは――私があの船に所属して、二期目のクルーズでのことだ。

 当時私たちの船は、中央星域にある母港を発ち、92日間をかけて銀河のさまざまな景勝地、絶景域を巡る長期ツアーで人気を博していた。私は新人としての一期目を無事に終え、30日の休暇のあと、前期よりは余裕のある気持ちで旅行を兼ねた仕事を楽しもうとしていた。

 表層に野太い縞をうねらせるホットジュピターの脇をかすめ、全系で飽かず衝突の火焔を散らし続ける形成途中の星系惑星群を俯瞰して――旅立ちから初めての上陸地となる衛星では、丸一日の滞在期間があったにも関わらず、客は土を足で踏みしめる感覚からなかなか去りたがらなかった。

 うす青い大空になかば同化したガス惑星が神々しい巨体を浮かばせ、地平線まで波打つ丘陵に、一面鮮やかな野の花が咲き誇っていれば無理からぬ話かもしれない。その衛星は、ある実業家が十数年前ジオエンジニアリングに失敗した星で、今はマスクなしでいられる大気も、30標準年サイクル後までには宇宙空間にすっかり放散し、もとの不毛の岩石塊へ還るよう運命づけられた大地だった。

 根付いた花はただの一種類。人の胸ほどの高さまで緑の茎をすっきり伸ばし、茎頂にこんもりと濃黄色の小さな花々を群雲のようにまとわりつかせる。香りは甘すぎず、ほのかに土の匂いを立てて青臭く、それがかえって宇宙船の浄化空気に慣れた客には新鮮に思えたんだろう……その日、離着陸場への集合時刻になっても何組かの客が姿を見せず、私はツアーガイドと共に宿泊ロッジまで呼びに行くことになった。

 気持ちのいい風が吹いていた。あたりは見晴かす満開の花畑で、そよ風が見えない女神の手となって丘を覆う花々の面をやわらかく撫でていた。

 その黄色い海を割って通された木道を、私とガイドは小走りで急いだ。いっとう小高い丘の上に瀟洒なロッジが数棟ある。扉をノックすると老夫婦は慌てて荷造りをしている最中だった。

 ガイドがすべてのロッジを確認して回るあいだ、私は周辺の見回りに出た。ごみが落ちていないか、花が倒されて風景を損ねた箇所はないか、あとで来る客室管理部のスタッフに予め伝えておくべき注意点はないか……。

 一本の細い遊歩道を末端にある多目的テラスまで歩いていき、私は隅の手すりの下にシャンパンの古いコルク栓を見つけた。拾いあげ、姿勢を戻す。そうしてなんとなく、花畑を見やったときだ。視界の端に、なにか眩しい輝きを見たように思った。

 ともすれば肩まで届く花の海から背を伸ばして、私はあたりをよく見渡した。すると浅い谷を隔てた丘の上に、白くひるがえるものがある。一瞬、ぽかんとしたよ――それは純白のワンピースを着た若い娘で、こちらに背を向け、肩口で切りそろえた黒髪を風に遊ばせながら地平の彼方を眺めていた。

「お客様」私は声を張り上げた。「もうすぐ帰船のお時間です。お戻りください」

 困った客だと思ったな。なにしろ時間を気にするそぶりもないし、もしかしたらあの丘には遊歩道が敷かれていなかったのじゃないか、とね。

 花畑をかき分けていったなら、この見事な景観を作っている植物が踏まれて傷んでしまう。それに再度、声掛けしてやっと振り向いた少女は、胸元の大きなブローチをちょっと気にして触っただけで、また向こうをむいてしまった。私のほうは花をなぎ倒して一直線に彼女のもとへ向かうわけにもいかず、仕方なくロッジへとって返した。どこかに彼女の辿った道筋があるはずだったから。どのみち彼女の宿泊用荷物も運ばなければならなかった。

 だが、木道を帰る二組の夫婦客を見送っていたガイドは、私の顔を見るなり「出発しましょう」と告げた。 私はかぶりを振り、今来た路を指さして言った。

「駄目だ、まだ客が居残ってる。どうやら花畑の中を勝手に散策してるようなんだ」

「本当ですか?」ガイドは首を傾げ、腕の端末画面に目を落とした。「名簿は全員確認しましたが」

「変だな。あの夫婦のどちらかが家族のはずだよ。若い娘さんだから」

「いや、彼らはお子様連れではありませんよ」

 ガイドはなおもいぶかしがったが、この目で見たのだから是非もない。私は彼を連れて走り回り、花畑に人が分け入った道と少女の姿を探した。しかしなぜか、いくら探しても彼女が見当たらないんだ。ガイドは送迎機の乗務員に再三連絡して確認を取り、やはり全員揃っていると言い張った。

「そんなはずはない」私は反論したよ。「置いていくわけにはいかない。この星の30光年圏内には、宙域警備隊の駐屯基地はないんだぞ」

 ほっそりした少女の印象が、私の脳裏に際立って残っていた――淡い青空と明るい黄色、一点の汚れもない眩しい二色ふたいろの狭間で、なお白く陽光を反射したワンピースドレスの軽いはためき……。

 だがそれを言うと、ふいにガイドは顔をこわばらせて周囲を見回した。

「戻りましょう。人数の確認は取れてます。きっとなにかの見間違いだ」

 私は釈然としなかったが、急にうろたえだしたガイドの態度も気になった。私の操縦士としての判断力が疑われているのか不安になり、とりあえず自機に戻ることにした。

 けれど戻ったあとも、私は少女がいたという確信を否定しきれず、自分で座席のあいだを歩き回って乗客数を二度数えた。そして母船にもしつこく確認したあげく、やっと納得して野原の衛星を発ったんだ。

 4時間のシフト交代後、私はこの件をおそるおそる船長に報告したよ。心的安定性を検査する医療プロトコルを受けるべきか相談したが、船長は少し沈黙してから「その必要はない」とだけ言った。

 勤務中、幻覚を視た航宙士になんの処置もなし? ほっとした反面、もちろん奇異にも感じたさ。でもその後は特に異常もなく、順調な忙しさに流されるうちに一つの旅が終わっていた。そして長い休暇を挟み、また次のクルーズが始まった……。

 すっかり忘れていた少女の幻影を私が思い出したのは、3期目、4期目の旅でもっと多くの乗員が私と同じ怪異に見舞われてからのことだった。

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