第十五話 米空母雷撃隊壊滅

 フレッチャー提督は日本海軍の機動部隊発見の報せをうけるや、スプルーアンス提督に対して、「エンタープアイズ」と「ホーネット」を南西方に新駅させ、敵空母を攻撃するよう命令した。

 米海軍は日本海軍のように、戦爆連合での協同での編隊行動はとっていなかった。それぞれ速度も違い、航続距離も違う飛行機が共に行動するのは当然という感覚だった。

 

 三隻の空母から発進した攻撃隊は、「エンタープライズ」の第六雷撃隊一四機(指揮官ユージン・E・リンゼー少佐)、第六爆撃隊の三三機(指揮官クラレンス・W・マックラスキー少佐)、第六戦闘隊の一〇機(指揮官ジェームス・S・グレイ大尉)、「ホーネット」の第八雷撃隊一五機(指揮官ジョン・C・ウオルドロン少佐)、第八爆撃隊の三五機(スタンホープ・C・リング少佐)、第八戦闘隊の一〇機、「ヨークタウン」の第三雷撃隊十二機(指揮官ランス・E・マッセイ少佐)、第三爆撃隊の一七機(指揮官マックスウエル・F・レスリー少佐)、第三戦闘隊(指揮官ジョン・S・サッチ少佐)の六機はそれぞれに目標に向かって飛行していった。


 ホーネットの雷撃隊指揮官ウオルドロン少佐は、出撃の前夜部下たちをあつめてこう訓示していた。

『私は、われわれ全員が準備万端完了したとおもう。・・私は実際、このような状況の下にあって、われわれが世界中で最優秀であると信じている。私の最大の希望は、われわれが戦術上、有利な状況に出会うことである。若しわれわれがそれに出会わなければ、しかも最悪の事態に直面したならば、私は各員がわが敵軍を撃滅するため最大の努力を尽さんことを欲する。若し最後の雷撃を敢行するためただ一機しか残っていない場合いには、その乗員が突入して命中を期して貰いたい。われわれ全員に神の加護あらんことを祈る』
 (モリソン著「アメリカ海軍作戦史 第三巻」改造社)


 少佐は今回の攻撃で生還する見込みがほとんどないことを感じていた。雷撃機デヴァステーターの性能はもはや旧式化しており、低速の雷撃機で日本の空母に近づいて雷撃に成功できるかはなはだ疑問であった。が、やらねばならなかった。少佐は玉砕する覚悟で邁進するだけだと思った。


 さて、日本海軍の四空母の格納庫内では、攻撃隊の装備変更で修羅場の様相になっていた。飛龍と蒼龍は、陸用爆弾から艦船用爆弾への変更であったからまだましであったが、赤城と加賀は魚雷から八〇〇キロ爆弾への装備、そして変更待機から再び魚雷へと大騒動であった。どれだけ大変かは当時「赤城」の雷爆兵器員であった秋本勝太郎整備兵長が手記に記している。


『まず下段甲板に設けられている魚雷格納庫の格納架台に、調整ずみの実戦用魚雷が置かれている。そして、同所に架設のチェーンギヤテークルを人力で作動させ、あらかじめ移動しようとする魚雷の重心部に吊りバンドを巻きつけ、バンドの吊環にギヤテークルの懸け金をはめ、吊り上げて移動させる。

 これを魚雷運搬車の架台に安置させるわけだが、この作業も最低限五名ぐらいの人員が必要である。

 さて、架台に安置された八百キロの魚雷は、架台から落下しないよう架台装着の皮バンドで締めて、魚雷諸元を調整する。いわゆる、艦種、艦型により深度五メートルとか六メートルとかに調整する。

 このとき、海水が内部に浸水しないように、魚雷各部のナットの締めつけ、グリースの塗り付け、安定舵の装着、魚雷後部の筺板の装着、清水、白絞油、圧搾空気等の補充補給、爆発栓の装着など、各受け持ち分担で短時間に作業を終える。それから、最低五名の要員により九七艦攻の待機場所のそれぞれの格納庫、あるいは飛行甲板に搬送することになる。

 リフト(飛行機用昇降機。前部、中部、後部の三カ所あった。しかし、赤城には魚雷、爆弾専用のリフトはなかった)を利用して搬送し、ようやく目的の指示された艦攻機前に到着する。ここで機体を点検し、爆弾投下器が装備されたままになっていた場合は、魚雷投下器に着け換えなければならない。

 そして、魚雷運搬車を、機首の方から魚雷尾部をおもむろに後退させるように、運搬車を操作するわけである。

 また、投下器へ装着するときのポイントは、投下器の中央部分にある凹部に、魚雷導子の凸部が嵌合するようにする。その場合、魚雷の頭部位置が運搬車の前部梶棒に同位するように、指揮者は梶棒につく運搬車の左右前後に配置されている要員に、運搬車に装置された前後左右の移動把柄を作動させる指示を、適宜に下命して装着するわけである。』

(秋本勝太郎著『運命を決めた「雷爆兵装転換」舞台裏』

     太平洋戦争証言シリーズ⑦「運命の海戦」潮書房)


 空母「ホーネット」から最初に飛び立ったのは、ウオルドロン少佐率いる第八雷撃隊の一五機であった。高度四五〇メートルで編隊を組むと、二六五度に針路に向けて飛行していった。

 続いて発艦したのはリング中佐指揮の第八爆撃隊と第八偵察隊の三五機のドーントレスだった。最後に飛び立ったのは、ミッチェル少佐指揮のF4Fグラマン戦闘機十機で、こちらは五千八百メートルまで上昇して編隊を組み、戦爆連合の四十五機で二六五度に針路を向けた。時に〇八〇六。

 ウオルドロン少佐は途中航海長からの報告から航法を見直してみると日本艦隊の推定位置が違っていることに気づき、針路を二四〇度に変えた。少佐は続行するであろう爆撃隊のことを考え、「われに続け」と伝えたが、針路変更に気づかず、また雷撃隊の姿も認めたかったために、そのままの針路を続行した。そのために予定時刻になっても日本艦隊の姿を認めず、針路を変えて付近を探索したが、艦船の姿を認めず、燃料の関係もあり、帰還することを決めたが、グラマン戦闘機は燃料欠乏のためミッドウェー島を目指し、SBD爆撃機もミッドウエー基地をめざす十五機と母艦をめざす二十機に別れた。結局グラマン戦闘機は全機ミッドウェーの環礁に不時着し、爆撃機も二機が不時着した。リング少佐の二十機はかろうじてホーネットに着艦した。爆撃機隊と戦闘機隊は何ら戦果をあげることなく、十二機の機材を喪失した。


 ウオルドロン少佐は前方に二筋の煙を認めた。付近は隠れみのになる雲もほとんどない快晴であり、近づくにつれ日本の空母ははっきりと認められたが、逆に日本艦隊からもまる見えであり、しばらくすると多くの零戦が群がってきた。「蒼龍」型と思える空母に攻撃することを決めた。

 少佐は攻撃態勢をとった。少佐の率いる六機編隊、右側にオーウェンス大尉の六機編隊が占位し、その後方にゲイ少少尉の三機編隊が続行した。V字編隊で魚雷投下位置をめざしたが、雷撃機の速度は一〇〇ノットほどしかでず、発射地点に到着するまでに、零戦の襲撃と対空砲火を浴びた。

 少佐は掩護の戦闘機隊を期待したが、結局不在であり期待外れとなった。先頭をいく少佐機は真っ先に零戦の攻撃を受けて、左翼から発火しキャノピーも火焔に包まれていた。他の雷撃機も次々と火を吹き墜ちていった。しかし、「エンタープライズ」の第六戦闘機隊が第八雷撃隊の存在を認めていたが、距離もあり、雷撃隊が苦戦していることと思わず、第六戦闘機隊は上空で待機していたため、まったく見殺しの状態となってしまった。

 「蒼龍」の砲術長であった金尾少佐の手記によると、

『ホーネットの雷撃機十五機はハダカで来襲したので、待機中のわが零戦に全機がバタバタと落とされた。蒼龍の百メートル左に落ちた機は、うちの機銃で仕止めたのだと機銃員は自慢しているが、じつはすでにわが零戦が半殺しにしたものらしかった。

 右前方三、四千メートルの所に水面を這うように本艦に来襲する一機を、見張員が驚いて私に届ける。

「あいつは落ちていくやつだろう」

 と私が言うと、

「いや、魚雷を持っています」

 私は右舷の全機銃をそれに向けた。ホースのように弾が出て、キレイな水の玉垣ができる。そのなかを、敵機はかまわずどんどんやって来る。もう千メートル・・、危ないッと思った瞬間、どこから舞い下りたか飛電のように横から敵とすれ違った小さな一機があった。どこか衝突したらしい。それからその一機は、高く大きな円弧を描いて、そのまま水中に真っ逆さまに突っ込んだ。その翼には鮮やかな日の丸がついていた。

 それは弾を撃ち尽くしたわが零戦が、母艦の急を救わんとして、いま匕首をのぞかせた敵機の体当たりしたのだった。敵は魚雷も放たず、右に傾きつつ翼端から水面にジャブンと大きなしぶきをあげた。危ないところであった。』


 金尾少佐はこの零戦パイロットは藤井という三飛曹であったというが、戦死者の名前にないし、行動調書にも藤井という名前はないので、記憶違いではないだろうか。「蒼龍」から発艦した直衛隊で戦死したには、川俣三飛曹、長澤三飛曹、高島二飛曹の三名である。


 この様子は「赤城」からも遠くに望見できた。

『午前六時二十分ごろ、真っ先に、敵雷撃機編隊を低空に発見した。この雷撃隊の発見は、艦上の見張員が発見するに先だって、上空直衛の戦闘機が、いち早く発見捕捉したのである。上空の戦闘機隊長から、無線電話で報告して来た。

「敵雷撃隊の編隊来襲す。我これを捕捉攻撃中」

 私は、どこにいるのか、と方々を見まわしたが、肉眼では見えなかった。眼鏡でじっと見ていた飛行長が、

「ああ、あそこだ、やってるやってる、こいつは大がい片づくわい」

 といった。

 私もその方に目をこらして眺めた。なるほど、右舷はるか向こうの水平線より少し上がった青い空のなかに、点々と小さな、豆粒ほどの機影が見えた。それが、くるくる回るたびに、ジュラルミンの翼が、ときどきパッと目をくらますように火を吐き、黒煙の尾を曳いて落ちていく。

「敵は援護戦闘機をともなっていないようですね」 

 と、私は飛行長に話しかけた。飛行長も、戦闘空域のあちら、こちらを眼鏡でさぐっていたが、

「一向に敵のグラマンは見当たらんですな。やはり、戦闘機をともなわぬ攻撃は悲劇ですよ」

 と答えてきた。まもなく上空の戦闘機隊長から、

「敵の雷撃機は十五機、全部撃墜」 

 との報告が入った。』


 第八雷撃隊 十五機全機損失

  パイロット 大尉 476 Moore Raymond A.

        大尉 1518 Fieberling Langdon K.

        中尉 308  Woodson Jeff D.

        中尉  284  Gray John P.

        少尉  297  Evans William R. Jr

        少尉  321  Ellison Harold J.

        少尉  1509 Gay George H.

        一等飛行兵曹 311 Miles Robert B.

        少尉  324 Wilke Jack W.

        少尉  293 Creamer William W.

        少尉  372 Gaynier Osward J.

        少尉   295 Abercrombie William W.

        少尉  329 Brannon Charles E.

        少尉  1506 Lewis Victor A.

        少尉 364 Moore Ulvert M.

         (階級の下は機体番号)

(ウオルドロン少佐はUSN LOSS LIST ではパイロットとして記載がないため、ここでは省略しました)

 十五機四十五名の搭乗員のうち、生き残ったのはゲイ少尉だけで、撃墜されて海面に投げ出されて偶然に助かり、海面をただよいながら、日本空母の沈没を見届けた一人となり、幸いにものちにカタリナ飛行艇により救助されたのであった。

 

 つぎに南雲部隊に接触してきたのは「エンタープライズ」に第六雷撃隊の十四機であった。リンゼー少佐率いる雷撃隊の護衛にあたる第六戦闘機隊は、ホーネットの第八雷撃隊に追随していったので、第六雷撃隊も零戦の反撃をもろに受けた。

 空母を視認したリンゼー少佐は、第六爆撃隊の到着を待つことなく空母「加賀」を目標として突撃した。

 リンゼー少佐は自ら率いる七機とイーライ大尉率いる七機とに分かれて左右からの挟撃を狙った。しかし、雷撃機の速度は一〇〇ノットと遅く、雷撃可能地点に到着するまでには二十分も要した。その間零戦の執拗な攻撃をうけ一機また一機と墜落していった。それでも、ホッジ少尉機とスミス整備長機が「加賀」の右舷後方から魚雷を投下したが、「加賀」は左に転舵してこれをかわし、左舷からはヘック少尉以下の三機が魚雷を投下したが、「加賀」はこれを右に回避してかわした。

 第六雷撃隊は十四機のうち十機を失い、四機がかろうじて母艦に帰りついた。損害は次のとおりである。

 第六雷撃隊  十機損失

  パイロット 少佐 289 Lindsey Eugene E.

        大尉 342 Riley Paul J.

        大尉 367 Ely Arthur V.

        中尉 1505 Thomas Lloyd

        中尉 366 Eversole John T.

        中尉 294 Holder Randolph M.

        少尉 365 Brock John W.

        少尉 1512 Rombach Severin L.

        少尉 378 Hodges Flourenoy G.

        Mach 327 A.W. Winchell  

(ホーネットの戦闘報告書に記載あり、澤地女史の著書戦死者名簿には記載なし)



空母「ヨークタウン」の第三雷撃隊、第三爆撃隊、第三戦闘機隊は、他の空母機に比べまともに戦爆連合の編隊で日本艦隊を目指していた。

 ヨークタウンの護衛の戦闘機が六機だったのは、十九機のワイルドキャットを上空直衛のために残したからであった。

 さらに第三爆撃隊十七機のうち、四機は爆弾を搭載していなかった。発艦した際には当然胴体下に吊り下げていた。だが、投下装置を新しいものに変えており、目標に接近した際に撃発レバーを引くことになっており、その手順にしたら、レスリー少佐機をはじめ、ロイ・アイザマン少尉機、チャールズ・レイン少尉機、バッド・メリル少尉機の四機から一〇〇〇ポンド爆弾は落下していってしまったのである。爆弾を搭載する機は十三機になったが、全機はそのまま飛行していった。

 

 第三雷撃隊のランス・マッセイ少佐は、低高度で飛行していたが、視界はよく前方に日本駆逐艦の煙幕を認めた。さらにその先には空母の姿が見えた。少佐は北方からの襲撃を考えて、右に三〇度変針した。雷撃隊の上空五千フィートを援護しながらすすむサッチ少佐のグラマン戦闘機は雷撃隊をカバーすべく行動しようとしたが、日本軍部隊からの対空砲火によりその位置が暴露され、上空の零戦隊がサッチ少佐の戦闘機隊との空戦がはじまった。機数にまさる零戦はまずバセット少尉機を血祭りにあげた。しかし、残りの五機は零戦と互角以上の空戦をおこない、五機撃墜、二機撃墜不確実の戦果を報告した。


 日本の空母四隻は、重なる空襲で隊形はかなりみだれており、北上して攻撃隊の準備中であった。「飛龍」と「加賀」は東端にあり、「蒼龍」と「赤城」は西側にあった。「蒼龍」と「飛龍」の前方には重巡「利根」と「筑摩」の姿があった。「飛龍」は雲の下にあって、上空高いところからは隠れていたが、第三雷撃隊からは認めることができ、マッセイ少佐は目標を「飛龍」に決めて六機ずつに分けて左右からの挟撃を試みた。

 しかし、雷撃隊は上空の零戦隊の攻撃にさらされた。

 「空母ヨークタウン」には次のような手記が書かれている。

『生き残ったもう一人のパイロットはウィルヘルム・エスダースで、マッセイ少佐のちょうど左後方にいた。零戦が編隊の突っ込んできた時は、編隊はまだ日本艦隊主力の北東十四浬の位置にあり、まだ二六〇〇フィートの高度で飛んでいた。

「私は、零戦が近接運動をしようとしている隊長機を撃墜するのを見た」とエスダースは語る。「私は少し高度を下げた。すると零戦が二機、隊長機の右側から近接してきて、隊長機と私の機を一線において射撃を開始した。奴らはわれわれ二機を一航過でやっつけたと信じたようだが、私はすぐに機を編隊の高度まで上げたので、徹甲弾をふくむ機銃弾が機の真下を通り過ぎた。零戦は二機とも同じ方向からやって来た。隊長機は、すぐに火を噴いた」

 エスダースは、マッセイ隊長がパラシュートで脱出しようと座席から出るのをはっきり見ている。だが、水面からわずか一五〇フィートの高度だ。隊長が落下して行く時、エスダースは編隊の誘導をはじめていたが、乗機を貫通する数百発の霰のような音が聞こえた。数発は機内で爆発した。エスダースは手製の防弾板に感謝した。これはオアフ島のカネオエの工廠からもらってきたボイラー用鉄板で、最近取りつけたばかりだった。機銃弾が、この防弾板ではじけ返される音が聞こえたのだ。

 エスダースは、絶望の第8雷撃隊(ホーネット)や第6雷撃隊(エンタープライズ)がやったのと同じように襲撃行動を続けた。僚機が次々に消えて行った。まずマッセイ隊長、次にリチャード・スーセンス、ウェスレイ・オスマム、それにディヴィッド・ローチェの各機だ。もう一人の生存者ハリイ・コールはエスダースに続こうとしたが、昇降舵操作装置に被弾損傷したので機首を下げることができなくなった。コールは魚雷を投棄して襲撃を断念した。

 パット・ハート大尉指揮の第2小隊は全滅した。ハートと共の散ったのはジョン・ハース、オズワルド・パワーズ、レオナルド・パワーズ、レオナルド・スミス、カート・ハワード、カール・オズベルクだった。エスダースは再び語る。

「私は、第2小隊の四機が右にいたのを思い出す。その二機が空中分解するのが見えた。第2小隊は一機も射点に達したとは信じない。第1小隊でも私の機以外に射点に達したものがあるとは思わない」

 エスダース上等航空兵曹は、「飛龍」に五〇〇ヤードの射点で魚雷を発射した。しかし「飛龍」は危うく、これを回避した。エスダースは一八〇度右旋回して「飛龍」から離脱した。左方に生存機三機が見えた。その一機はハリイ・コール機だったろう。ほかの二機は数分後に撃墜された。

 エスダースとコールは零戦を敵艦隊の上空から、もっと引き離すように誘致しながら北方へ逃げた。後部機銃員、コール機のロイド・チルダースとエスダース機のマイク・ブラジャーは、共に負傷していたが、終始、射撃を続けた。チルダースは七・七ミリ機銃が故障した時などは、四五口径拳銃で追いすがる零戦の応射した。』


 「飛龍」の戦闘機飛行班で格納庫作業班長であった田畑上等兵曹の手記によれば、

『息つく間もないあわただしさの最中、突如、左舷の二十五ミリ機銃と高角砲が、火を噴きはじめた。ふたたび拡声器が緊迫した声で敵襲を告げる。

「左舷、正横、敵雷撃機。距離二千、高度五十、機数二十」

 高角砲も高角ゼロの水平射撃をしている。敵雷撃機が海面を這うようにして突っ込んでくる。機影がだんだん大きくなり、投下点に達したのか、つぎつぎに魚雷を発射した。

(ああ、もう駄目だ)

 と観念しながらもひたすら海面を凝視する。白い雷跡三本が本艦に向かってくる。前部一本、後部二本、そのあとから調整不良の魚雷が、海中に潜ったりジャンプしたりの動作を繰り返しながら不気味に進んでくる。

 まさにジャンプ魚雷である。雷跡をひく魚雷も不気味だが、目に見えるジャンプ魚雷も怖い。

 魚雷が本艦の数十メートルに迫る。命中を予感して急いで艦橋の陰にかくれ、固唾を呑んだ。二、三秒後にものすごい大音響と激動を受けるはずなのに、奇蹟ではないか、全速のまま無事に航行をつづけている。

 夢ではないかと思いながら左舷の海面を見た。な、な、なんと、その海面に、直前まで本艦に突進していたジャンプ魚雷が、外舷十メートルぐらいのところをジャンプしながら同航しているではないか。

 先ほど、艦橋に突き飛ばされるように圧しつけられたのは、魚雷回避のため面舵一杯の転舵によるものだったことがわかり、安堵の胸をなでおろした。』

 

 米雷撃隊四十一機は果敢に攻撃に臨んだが、結局は一発の命中を得ることなく、三十五機を失ったのである。さらに第三雷撃隊の残り二機も不時着しており、無事に帰還したのは、第六雷撃隊の四機だけであった。

 第三雷撃隊  十機損失

  (USN LOST LIST にはヨークタウンの雷撃機の損失はマッセイ少佐機しか掲載されておらず、その理由は不明)

  パイロット 少佐 285  Massey Lance E.

        大尉    Hart Patrick H.

        中尉     Suesens Richard W.

        中尉     Howard Curtis W.

        少尉    Osmus Wesley F.

        少尉    Roche David J.

        少尉     Powers Oswald A.

        少尉    Smith Leonard L.

        少尉    Osberg Carl A.

        准尉    Haas John W.


 上空には「エンタープライズ」と「ヨークタウン」の艦爆隊が迫ってきていた。上空を掩護する零戦は、雷撃隊の邀撃により低空に集まっており、上空の防空はおろそかになっていた。

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大東亜戦争史 木村長門 @rei-nagato

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