第十一話 南雲機動部隊無線封止を破る

 南雲中将率いる第一機動部隊は、二十七日に出港して以来、二十八日も異常なく航海して、二十九日を迎えていた。淵田中佐は病室で退屈な時を過ごしていたが、傷口はひきつったような感じてなんともいえない気分であり、頭の中では今後戦う米空母のことが浮かんでいた。そんな所へ、数人の将校がドカドカと見舞いのために入ってきた。


「ミッドウェー」には次のような逸話が掲載されている。


 先頭に立って入ってきたのはブツさんこと村田重治少佐であった。

「どうですか、隊長さん?」

つぎに入ってきたのは千早猛彦大尉である。

「隊長に寝こまれて、弱ったですよ。隊長手術のニュースが、飛行隊に伝わって、みんな憂鬱な顔をしています」

 背後から山田昌平大尉が顔を覗かせて言った。

「総隊長、平気ですよ。ご老体が出られんでも、こんな作戦ぐらいへいちゃらでさ」

布留川泉大尉も顔を見せ、

「しかし隊長、こんどはいよいよ宿望のアメリカ空母群と見参というのに残念ですなあ」

 淵田は笑いながら聞いていたが、下腹部が痛いのでそう大きな笑いはできない。話は本当にアメリカの空母が出てくるのかという話題になってくる。

「総隊長、いま米太平洋艦隊に健在の空母は何隻になるんですか」

 代わりに村田少佐が応えた。

「ハワイ作戦の頃は、レキシントン、サラトガ、エンタープライズ、ヨークタウン、ホーネットの五隻があった。レキシントンは珊瑚海で沈んだ。これは向こうも認めて発表しているから確実だ。サラトガは潜水艦が撃沈したことになっているが、真偽のほどはわからないが、しばらくは動けないだろう。ヨークタウンは珊瑚海で大破したが生き返るが、すぐには間に合わないだろう。残るところはエンタープライズとホーネットの二隻だけとなる」

「東京空襲の時に発見したのがエンタープライズとホーネットの二隻ということですね」

 布留川大尉はいった。

「まずそうだ」

 淵田はベッドの中から応えた。

 山田大尉は話題を変えた。

「そもそもですよ。大体五航戦の連中はチョロイですよ。レキシントンを潰したのはいいとして、ヨークタウンを逃すという手はないでしょう。インド洋からの帰りがけにも思っていたことですが、わしらにやらせてもらえばよかったですなあ」

「なあに、こんどやればいいよ」

 淵田は励ますつもりで言った。戦闘機隊の板谷少佐が言った。

「そうですよ、全く五航戦はチョロイ。こんどは五航戦がいないから、戦闘機隊あたりでは、かえって足手まといにならんで、思い切りやれまさあ」

 布留川大尉は不安そうな顔をして言った。

「しかしこんどの作戦で、米空母が果たして出てきましょうか」

「出てこなけりゃ、もう一度真珠湾まで出かけてたたけばいいですよ」

 と山田大尉が威勢よく言ったので、皆はハッ、ハッと笑ったが、それにつられて淵田中佐も笑ってしまい、腹の傷口に響いたのか、

「オイ、あまり笑わせるなよ、腹が痛いよ」

 そして続けて言った。

「いままでのやり口を見ていると、米海軍の戦意は旺盛だ。だからミッドウェーを揺すれば、必ず出てくる。今度は必ず決戦になる。相手の健全なのは二隻だが、大事をとって四隻とも動けると見てぬかるなよ」

 中佐の言葉を聞いた山田大尉が言った。

「大丈夫ですよ。四隻とも動いてくれると、あと腐れがなくてなおいいですよ。そうなると四対四の互角で、あとでハンディキャップがあったなどといわれんですむしね。珊瑚海のような不徹底なやり方はしませんよ。五航戦の連中も、南雲部隊のなかじゃあるが、あれはまだ一年生で、あいつらの腕では、まだまだ空母相手の勝負は無理だったですよ」

「オイオイ、五航戦のたな卸しがいいが、敵をあまり甘くみるなよ。インド洋のハーミスのときのようにはいかんよ」

 と淵田中佐はたしなめるように言った。

「まあ、総隊長、こんどは見物しておって下さい。三年生の腕前を」

 と言って腕をなでて見せていた。そうこうしているうちに、軍医長が入ってきた。

「ヤァ、そのみんなで押しかけてきて、ワァワァ騒いでちゃいかんよ。患者は手術してまだ二日目だ。絶対安静だよ。退散、退散」と手で出ていくように払っていた。皆はさあと笑いながらそくさくと出ていった。


 ところで、クエゼリンの敵信傍受班は六月三日の午後になり、第六艦隊通信参謀である高橋勝一少佐に米空母の動きが活発になっていることを報告してきた。

「いま、米空母らしい電波が発信されているので、通信参謀ご自身でレシーバーをかぶって、聞いて確認してください」

 高橋参謀は受信室に入って、レシーバーをあてて電波の音を聞いた。その電波は聞き取れはするが、それが米空母をさすのかどうかは判断できなかった。しかし、通信兵は毎日敵のやりとりを耳にし、固定呼び出し符号を中心に、いくつかの変わった呼び出し符号のものが連続して出現しているとの事だった。

 高橋通信参謀は、電信長の河野特務中尉に命じて、クエゼリンとヤルートの両方位測定所をして一斉方位測定をさせ、数回にわたる方位線をえて、それを海図にいれて米空母の位置を求めた。

 クエゼリンとヤルートとの距離がちかいので、ミッドウェーの方向は鋭角の頂点となり、南北の位置は相当な誤差が発生する。だが、高橋参謀は戦局に重大な影響を及ぼすかもしれない情報なので、さっそく電文を起草して通報した。

『六艦隊敵信班は数日来、敵空母らしき電波を捕捉す。その電波のクエゼリンとヤルートよりの一斉方位測定による、本日一八〇〇の位置、ミッドウェーの北北西百七十浬付近、付近に他の一隻あり、いずれも東西に遊弋しつつあり』

 という趣旨のものだったらしいが、正確な電文はわからない。宛先も連合艦隊司令長官、機動部隊司令長官、先遣部隊潜水艦に対してとしているが、その形跡はよくわかっていない。

 しかし、南雲機動部隊の後方をすすむ本隊の連合艦隊司令部はこの米空母の電波をキャッチしているのであった。当然司令部は南雲部隊もこの電波をキャッチしているであろうと、無線封止のこともあり、あえて知らせなかったという。


 機動部隊は三十一日、そして月がかわった六月一日と天候にも恵まれ小型艦艇に対する燃料補給も順調に進んだ。しかし、二日から濃霧に包まれ、前続艦も後続艦も全く見えない情況となってしまった。濃霧は艦隊を隠すにはもってこいの自然現象ではあるが、翌三日も濃霧の濃さはかわらず、まったく周囲がわからない。この日はミッドウェーにむけて正午に一三五度に変針しなければならない予定であったが、これでは予定通りに事が運ばない虞が出てきた。あまりの濃霧に発光信号は使用できない。となると、無線しかないが、いまは無線封止の行動である。

 だが、あまりにも視界を妨げる霧の時間が長く気が気でない。赤城艦橋の司令部ではどうするか議論沸騰である。


 大石参謀が発言した。

「連合艦隊の作戦命令では、当隊の任務として敵機動部隊の撃滅を最初にかかげ、上陸作戦への協力はむしろ第二となっていますが、しかし同じ命令のなかで六月五日のミッドウェー空襲を定めているのですから、敵機動部隊が付近におらぬ限りは、ミッドウェー空襲を予定通りの日に行わねばなりません。そしてこの空襲によってミッドウェーの基地航空兵力を制圧せんことには、二日あとに行われる上陸に支障をきたし、攻略作戦全体をスポイルしてしまうでしょう」

「敵機動部隊がどこにいるかが問題だが・・」

 南雲長官が前方をみつめたままつぶやいた。

 大石参謀がつづけて言った。

「真珠湾の偵察ができませんでしたから、敵機動部隊がどこにいるのかわかりませんが、もし真珠湾にいるものとすれば、われわれがミッドウェーを攻撃することによって、急ぎ救援なり反撃のために出てきたとしても、真珠湾からミッドウェーまで約一〇〇〇マイルありますから、対応する余裕があります。またすでにわが艦隊の行動を察知したとしましても、やっと真珠湾を出たくらいのところで、いますぐわれわれの眼前に現れことはありますまい。われわれとしてはミッドウェー空襲の任務を達成することが先だと思います。

 草鹿参謀長は、通信参謀をかえりみていった。

「敵信諜知で敵機動部隊出撃の兆候はないかね?」

 小野参謀は答えた。

「うちの敵信班では、まだなんの判断資料もキャッチしていません」

 草鹿参謀長は再び小野参謀に訊いた。

「大和からはなんとかいってきていないか?」

「別にありません」

 草鹿参謀長はしばらく考えたのち、南雲長官に向かって言った。

「長官、艦隊は予定通りの行動を続けますために、やむを得ませんから、ここで微勢力の隊内通信電波で変針を下令してはいかがでしょう」

 南雲長官はただ一言。

「よし」

 と深く頷いた。これをうけ大石首席参謀は、変針信号の隊内無線による微勢力発信を命じた。小野通信参謀があわてて艦橋したの源田参謀の部屋に向かった。

航空参謀の源田中佐はここ数日来発熱で自室で静養していた。


 第一航空艦隊司令部の配置は次のようになっていた。

   司令長官  中将  南雲忠一

   参謀長   少将  草鹿龍之介

   首席参謀  中佐  大石 保

   航空甲参謀 中佐  源田 實

   航空乙参謀 少佐  吉岡忠一

   航海参謀  中佐  雀部利三郎

   通信参謀  少佐  小野寛治郎

   機関参謀  機少佐 坂上五郎

   機関長   機大佐 田中 實


 通信参謀の小野少佐が血相を変えて源田参謀の部屋の扉を叩いた。

「源田参謀、上では変針下令の電報を打つと言っているのですが」

「何!電報だと!絶対にいけない。止めてくれ」

 小野参謀は力をえたかのように「はっ」と言って再び上がっていったが、再び降りてきた。

「どうしても打つと言うのです」

「いけない、そんなことをしたら破滅あるのみだ。俺が行く」

 源田参謀は軍装を整えて急いで艦橋に上がっていった。そして草鹿参謀長に言った。

「今電波を輻射することは絶対にいけません。しばらく待って居れば霧が薄くなる時もあるでしょう。その時に信号でやるべきです」

 参謀長はウムと少し考えていたが、

「電報はどうした。ちょっと待て」

 と当直参謀に聞いたところ、すでに発信してしまったとの返事であった。それから約一時間後には霧が薄らいできたのがわかった。この電報発信は米軍にはキャッチされなかったことが戦後に判明したので、よかったのではあるが、電波輻射を誤ればどんな事態が発生するのか未知なるものがあるために危険な行為であった。


 後方を進む本隊でも濃霧に覆われていた。「戦藻録」の六月二日の項にはその事が記されている。

「朝来雲次第に低く次第に不良となれり。漸く出発せる対潜警戒機一機、主隊の六十度方向二十浬に鳴戸を発見報告せるを以て、水雷戦隊に補給開始を命ず。之に近接所要の命令を与うるも、視界不良と信号法不良の為仲々に通達せず、更に前程にある東栄丸外二隻の補給船の捜索を行い、十一時半之を発見し夫々子供達に飯を喰わしむ。骨の折れる子供共なり。」


 一方、米機動部隊はミッドウェー北東海域にむけて航行していたが、索敵を行なってもまだ日本艦隊の発見には至らず、ミッドウェーの哨戒飛行も日本艦隊らしきものは発見できていなかった。

 三日午前ジャック・リード海軍少尉のカタリナ飛行艇はミッドウェーより七〇〇浬もの西方洋上を哨戒中であった。もたらされている情報から、日本の攻略部隊が見つかってもよさそうな感じてあった。だが、もう限界ギリギリであり、引き返さねがならなかった。あと三分ほど飛んだら引き返そうと思った刹那、前方三十浬ほどに敵船団の姿が見えた。少尉は団雲に出たり入ったりしながら、その船団を追從した。敵は十一隻の軍艦からなっており、十九ノットで東航していると報告した。


 第十六掃海隊は四日の〇五二〇頃敵飛行艇と遭遇し銃撃戦となった。

 〇六一五には船団が飛行艇に発見された。水上機六機を発進させて捕捉攻撃を命じたが、敵を捕捉することができなかった。

 二水戦の田中司令官は敵機の攻撃の恐れありと考え、警戒を厳重にさせた。

 ミッドウェーではシマード海軍大佐がB17九機を発信させた。それが一三三〇頃船団を襲った。B17は高空より爆弾を投下した。爆弾は輸送船を包んだが、命中したものはなかった。

米軍は戦艦もしくは重巡二隻に命中、輸送船二隻にも命中弾を与えたと報告したが、まったくの誤報となった。


 米軍はさらに魚雷一本を装備したカタリナ飛行艇四機を発進させた。真夜中であったがレーダーにより日本の船団を発見し接近した飛行艇は魚雷を発射し、油槽船「あけぼの丸」に一本が命中して損傷させ、乗員十一名戦死負傷者十三名を出したが、同船は航海に支障なく船団に復帰した。「清澄丸」は銃撃により負傷者八名を出した。


 米空母群は、三日の十八時にはミッドウェー島の西北西三〇〇浬の地点に到着していた。南雲機動部隊からは四〇〇浬離れた地点であった。

 フレッチャー司令官は敵発見の報告を受領したが、主力部隊ではなく、輸送船団であると判断していた。フレッチャーはあくまで日本の航空部隊は北西方向からミッドウェー島に接近して、四日の払暁にミッドウェー島を攻撃する企図であると考えていた。

 フレッチャーは三日十九時五〇分に、針路を南西方二一〇度に変更して、翌日早朝までにはミッドウェー島の北方約二〇〇浬の地点に達する予定であった。

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