第十話 ダッチハーバー空襲(六月五日)

空母「龍驤」

  指揮官  大尉  山上正幸

   攻撃隊 九七式艦攻  九機

             (二五〇㌔×一八、六十㌔×六)

    第一小隊 一番機  操縦 西村宏一飛曹

              偵察 山上正幸大尉

              電信 遠藤正二二飛曹

         二番機  操縦 大島恒雄一飛曹

              偵察 山野一郎一飛曹

              電信 森田裕三二飛曹

         三番機  操縦 島田計也一飛

              偵察 佐藤義美二飛曹

            電信  星野精一二飛曹

  第二小隊 一番機  操縦  堀内 勉二飛曹

            偵察  内村嘉平飛曹長

            電信  山内敏昭三飛曹

       二番機  操縦  奥山 巌二飛曹

            偵察  大橋眞市一飛曹

            電信  池原俊行二飛曹

       三番機  操縦  谷敷博志一飛

            偵察  二瓶 愿三飛曹

            電信  鳥山慎平一飛

  第三小隊 一番機  操縦  川原浅男二飛曹

            偵察  山口秋一一飛曹

            電信  大畑久利三飛曹

       二番機  操縦  玉井美市一飛

            偵察  本橋久昌一飛曹

            電信  大畑久利三飛曹

       三番機  操縦  溝口義博一飛

            偵察  島田好道三飛曹

            電信  中島文治二飛

 掩護隊  零戦  六機

     指揮官  飛曹長 植村晴一


  第一小隊 一番機  植村晴一飛曹長

       二番機  杉山輝雄一飛曹

       三番機  北条博通二飛曹

  第二小隊 一番機  遠藤 信一飛曹

       二番機  古賀忠義一飛曹

       三番機  鹿田二男一飛曹

空母「隼鷹」

 爆撃隊指揮官  大尉  阿部善次

  九九式艦爆  十一機 (二五〇㌔×十一)

   第一中隊

    第二一小隊 一番機 操縦 阿部善次大尉

              偵察 石川正郎飛曹長

          二番機 操縦 武居一馬三飛曹

              偵察 原田嘉太郎一飛曹

    第二二小隊 一番機 操縦 大石幸雄一飛曹

              偵察 山本 博飛曹長

          二番機 操縦 岡田忠夫三飛曹

              偵察 杉江 武二飛曹

    第二三小隊 一番機 操縦 沼田一焏一飛曹

              偵察 高野義雄二飛曹


          二番機 操縦 長島善作一飛

              偵察 中尾哲夫二飛曹

   第二中隊

    第二四小隊 一番機 操縦 川畑弘保一飛曹

              偵察 三浦尚彦大尉

          二番機 操縦 山川新作三飛曹

              偵察 西山 強二飛曹

    第二五小隊 一番機 操縦 原野信夫飛曹長

              偵察 中島一郎一飛曹

          二番機 操縦 小瀬木國雄三飛曹

              偵察 中田勝蔵一飛

    第二六小隊 一番機 操縦 宮武義彰一飛曹

              偵察 田島一男飛曹長

 制空隊指揮官 大尉 志賀淑雄大尉

      零戦  五機

    第一一小隊 一番機  志賀淑雄大尉

          二番機  山本一郎一飛曹

    第一二小隊 一番機  宮野善次郎大尉

          二番機  尾関幸治一飛曹

    第一三小隊 一番機  北畑三郎飛曹長


  〇六五四 「龍驤」から佐藤中尉、小林二飛曹の九七式艦攻が天候偵察に発進。〇九四四には鮫島大尉、亀田二飛曹の二機が天候索敵に発進した。佐藤中尉は敵機および敵駆逐艦一隻を認めて帰還。鮫島大尉も敵駆逐艦一隻を認めた。


 当日は攻撃が可能であり、「龍驤」の九七艦攻九機、零戦六機が一一四〇に発進した。「隼鷹」は一一五〇、九九艦爆十一機、零戦五機が発進してそれぞれダッチハーバーを目指した。

  

再び阿部大尉の手記からみてみよう。阿部大尉は「龍驤」からの発光信号「艦攻隊は攻撃に成功せり」が悔しくてたまらなかった。それで石井艦長に進言した。


『「艦長、司令官のご意向はよくわかりました。この気象条件では効果のほどは期待できませんが、こんどはふたたび還らぬ覚悟で突っ込みます。実戦経験者だけで行かしてください。」

 と申し出た。石井艦長は飛行機乗りではなかったが、その顔が弥勒菩薩のように思えた。かたわらの崎長飛行長は、こっちが気の毒になるくらいシュンとしていた。

 一中隊は各小隊の三番機をはずし、私を含めて六機編成とし、三浦中隊を五機にけずった。杉江二飛曹は初陣であるが、甲飛出身の優秀な偵察員であり、ペアの岡田三飛曹が腕の良いパイロットなので、参加させることにした。

 五日午後一時すぎ、零戦五機につづいて艦爆隊は発艦した。直援隊の指揮は先輩の志賀大尉である。

 二度飛び出して引き返した、同じ海を同じように、北へ向かって飛んで行った。ウナラスカにとっつくまでは、濃霧でも密雲でもかまわぬ。こんどは何が何でも突っ込むのだ。ダッチハーバー上空だけは晴れていてくれよ。

 飛ぶこと一時間半、島影がうっすらと現れて来た。二中隊も直援の零戦も、ピッタリとついている。私は明るみのある方向を探しながら、徐々に高度を上げていった。そして、ついに雲の上に抜け出すことができた。

 高度二千メートル。ところが、なんという景観であろうか。見渡すかぎり一面に真っ白い雲が敷きつめられて、それが太陽光をギラギラ反射して眼を射る。ちょうど、快晴の日に雪原を歩くような感じた。

 大空はどこまでも紺碧で、視界をさえぎるものは何ひとつない。それは戦争と全くかかわりのない雰囲気であった。

 だが待てよ、ダッチハーバーはどこか。いま、どこを飛んでいるのか。雲層の上面は平坦で二千メートルである。司令官、艦長の顔が眼に映る。

 ともかく、雲の薄いところを見つけねばならない、そして陸地が見えたら、どこでも構わぬ、そこから突っ込もうと決心した。零戦はついてはこれまいが、しようがあるまい。

 私は「トツレ」を下令して編隊を解き、十機を一本棒にして従えた。穴が見つかりしだい突入できるように、雲層の直上を探しまわった。敵機もいないし、高角砲も撃ち上げてこないが、どうしたのだろうか。どんな軍事施設があるのか。

 いや、下から見えぬだけだ。二千メートルで十一機が、これほどブンブン飛びまわっているのだから、「ジャップの野郎」と手ぐすね引いて待ち構えているにちがいない。

 そのとき、それは天佑というべきか。左前方のうすれた雲間から青黒い山肌が見えた。

「突撃!」

 増速しながら降下する。見えた、見えた。ダッチハーバーであった。右前方に船が見える。機首をひねってそちらに向けた。たちまち、右から左から前方から、横飛びに火のたまが自分をめがけて来た。物凄い対空射撃である。

 スロットルを全開しているけど、降下角度が浅すぎて、スピードが出ない。ビュンビュン弾がとんで来るが、じれったいほどおそい。

 「テーツ」で投下索を引いて海面上に出た。右から左からしつこく撃ちつづけてくる下を、高度三十メートルで湾口へ向かって飛んだ。

「やられただろうーなあ?」

「ついて来ておりまーす。黒煙があがっていまーす」

 と文隊士の声は明るかった。やっと湾口まで脱出する。陸上からの弾が届かなくなった。ふりかえると、二機がピタッと翼を寄せてきた。

(無事だったか)

 胸にジーンとくる。見れば三小隊長の沼田一飛曹と二中隊の原野小隊長である。ふたりとも隼鷹隊の最ベテランパイロットであった。

 このとき、電光のように私の脳裏をつっ走ったのは、後続機があの弾幕のなかを脱過できただろうか、との思いであった。

「二中隊は見えるか?」

 左に変針してベーリング海に出た。視界はやはりきわめて狭い。五十メートルの高度を三機で西へ飛んだ。』


 阿部大尉は三機編隊でランデブーポイントである、ウナラスカ島の南西端上空へと向かった。地点符号で「マルニシ」とされた場所だった。雲が低くたれこめているために高度五十メートルで左手にウナラスカ島がかすかに見える。右手にウムナク島が見えればもうすぐ太平洋に出る。右手にウムナク島が確認でき、正面がウムナク海峡である。雲の下に小型機が飛んでいるのが見えた。増槽をぶら下げている零戦であった。しかし、別に飛んでいる飛行機を発見したのである。米軍機であった。


『八機いる。

「敵戦闘機だ!」

 左右ふた手になって向かって来る。背すじを冷たいものが走った。八対三、しかもこちらは脚の鈍い二座機である。

 左右は雲に閉ざされた島。だが、後には引けない。母艦に帰るには、どうしてもこの海峡を突破するよりない。どうして突破するか、編隊か、単縦陣かと迷った。

 高度計は二百メートル。編隊でじっと我慢しているが、七・七ミリの旋回銃三挺では話にならぬ。自滅するほかない。

 高度を上げて雲のなかへ逃げ込めば、P40を振り切れるかも知れないが、級友二階堂のことがチラッと頭をかすめた。彼は伊豆沖上空で編隊のまま雲中に入って帰らなかった。空中接触したのであった。ついふた月ほど前のことである。

 私は意を決した。雲が低くて空域がせまいから、相手も戦闘機らしい軽快な運動はできぬはずだ。それに原野と沼田の腕は一流である。

(よし、巻き込んでやろう)

 と編隊を解いた。私はP40の一機の後尾に喰いついて、ボタンを押した。曳光弾が飴色の線になってとび出す。

 敵の一機が私を追跡する。旋回半径はわが方が小さい。垂直旋回で相手をまき散らす戦法をとったのである。

 背後から撃ち込んでくる十三ミリ弾が私の両肩をはさんだ。操縦桿を引くと、その弾道がサーッと下側に流れるのがわかる。原野が私を狙っているP40に喰いついている。

 それを敵、沼田、敵と三つどもえになって六十度のバンクで互いに相手の尻を追っかける。六十度といえば、それはもう地表にたいして翼が垂直になったように感ずる姿勢である。

 東側がウナラスカ島、西がウムナク島、眼下は海、天井は三百メートルの雲である。そのせまい空間であたかも摺鉢の縁をまわるような、どうどうめぐりになった。

 そのとき、チラッと眼に入ったのは、ツンドラ上の滑走路である。マルニシの対岸、すなわちウムナク島東端に飛行場がある。よりにもよって、P40の基地から指呼のところをランデブーポイントに指定していたのである。わが軍の情報はかくもお粗末であった。

 敵機が執拗に喰いついてくる。機銃が火を吐く。こうして三機対三機で格闘する。列外の数機は周囲を遊弋しているのである。私にはよほど長い時間に思われた。が、敵を落とす以外、南に抜け出す手段はないのだ。

 私は眼前にぐっと迫った一機を、がむしゃらに撃ちまくった。それは狂ったように弧の外に飛び出して落ちていった。一機また一機、火を吹いて海に吸い込まれる。

 こうして隊形が乱れたとき、私は原野機も沼田機もいないのに気づいた。グッショリと背中の汗ばむのを感じて、雲のなかに突っ込んだ。かけがえのない二人の小隊長を失って、暗澹たる気持に打ちのめされていた。

 右翼の上面には、三十センチあまりの孔が口をあけ、あちこちに弾痕が見えるが、プロペラは回っていた。

「異常はないか」

「大丈夫です。針路二百度です」

「優形の石井兵曹長の声は、まことに落ち着いたものであった。高度を下げて雲の下に出た。

「〝われタンクに被弾、燃料、残り三十分〟山本からです」

 やっぱりそうであったか。だんまり屋で一徹者の山本飛曹長、そのペアの操縦大石一飛曹の赤胴色の童顔が浮かぶ。これはまだほかにもやられているぞ。武井や岡田はどうしたのだろうか。二中隊長が原野小隊長より離脱がおそかったのも気になる。爆撃侵入直前に、ダッチハーバーの雲上に敵戦が現れたのではあるまいか。

「分隊長、山本機へは駆逐艦が救助に向かいました」

 つづいて、

「われ、マルニシ、視界内味方機六機』

 と第二中隊長からの電信を受けた。

 しまった。私はマルニシに敵戦の待ち伏せていることをみんなに知らせねばならなかったのだ。マルニシに向かわずに母艦へ直行さすべきであった。

 原野、沼田両小隊長を戦死させて動転したのか、茫然自失していたのか、私は大失敗を犯してしまった。これは唯ではすまぬぞという気がした。

「われ、敵戦闘機と交戦中」

 これは発信者不明。

「われ、敵戦闘機一機を撃墜せり。帰途につく」

 これは杉江機からである。二十一歳のパイロット・岡田君が、歓喜に頬を紅潮させているのがわかる。このペアは、編成のとき、加えるか、おろすか私が迷った最年少組で、初陣であった。しばらくして、

「われ交戦中被弾、受信不能なり」

 と杉江機からである。杉江は二中隊長のグループと離れて、単機らしい。なんという不運だ。口は利けてもつんぼになったのである。どんよりとした海面に雲霧が垂れて視界は狭い、母艦を見つけて必ず帰ってくるのだぞ。

「分隊長、あとわずかで到着するはずです」

 艦爆はまだ一機も帰っていないようだ。二中隊長が何機つれているのか。駆逐艦に山本機が救助できるであろうか。私は、あまりに大きな衝撃に、ぐったりとなって隼鷹の背中に着艦した。』

 

 隼鷹の艦爆隊は結局四機が未帰還となったが、そのなかでも悲壮な話は杉江二飛曹・岡田三飛曹ペアの最期である。


 着艦した阿部大尉と石川飛曹長は電信室に駆け込んだ。

「長波を発信せよ、方位を測定する」

 相手は聞こえないが、誘導のための発信をする。しばらくすると、

「われ、予想地点にきたるも母艦を発見し得ず。雲量十。視界五百メートル。反転す」

 と杉江二飛曹からの無電である。

「方位を測定す、長波を発信せよ」

 と再び送信する。

 他に配置についている電信員が大声だ叫んだ。

「敵機の電波を捕捉しました。感度三」

旗艦「龍驤」から「警戒、対空戦闘」の信号があがる。

「感度五、敵重爆接近します」

そして、再び杉江機からの無電が飛び込んだ。

「われ機位不明、二十度で飛行中。燃料はわずか」

「方位を測定す。長波を発信せよ」

相手には聞こえないが、発信を繰り返してみる。

再び杉江機。

「艦影を見ず。われ二百度に反転す。探照灯を点ぜられたし」

 だが、「隼鷹」上空に迫る重爆の爆音が聞こえる。いま探照灯を点ければ、敵機にもその存在を知らせてしまう。

部隊には「灯火戦闘管制」がしかれ、まったく探照灯を含む灯火が点けられない。

 旗艦から「貴官の苦衷を察するも、探照灯を点じありと杉江機に伝えよ」と言ってきた。非常な言葉である。角田少将も苦衷のうえの信号である。

 杉江機からは

「他に帰らざる機ありや」

 と言ってきた。他の戦友を気遣ってのことだ。

 電信室の皆は溢れる涙を我慢してかすすり泣いているのが伝わってくる。

「陛下の飛行機を失い、まことに申し訳なし」

こちらからは、

「他にも帰らざる機あり」

「機位は近づきつつあり。最後まで頑張れ」

 せめてもの発信である。

「二百度にて飛行を続けよ」

 すぐに送られてきた連絡は非常なものであった。

「テンノウヘイカ、バンザイ」

時に午後五時五十分。杉江、岡田ペアーの機は冷たいアリューシャンの海へと没した。

 駆逐艦が救助にむかった不時着した山本・大石ペアーの機も発見されることなく没した。


 もう一つ重要なことは、「龍驤」の零戦古賀忠義一飛曹機が不時着して戦死したことだった。古賀一飛曹は被弾していたために、小隊長小林大尉に帰投不能であることを伝え、予め定められていたアクタン島に不時着するために降下していった。だが、そこは事前の調査もなく湿地帯であったのが不幸であった。不時着は地上が草原であると思ったのか主脚を出して着陸していった。ところが湿地帯であったために、脚をとられ逆立ちしてしまい、そのためか古賀一飛曹は頭部もしくは首の骨をおり絶命したとおもわれる。小林大尉は逆立ちして止まった古賀機の様子を見たが、辺りに人家はなく、古賀一飛曹も死亡したかどうかわからないので、機体に銃撃を加えて炎上させることなく帰投した。

 その機体は七月にはいってようやく米軍の哨戒機によって発見され、残骸の回収チームが編成され、古賀一飛曹の遺体は埋葬され、機体は回収されてダッチハーバーへと運ばれた。調べてみると、修理をほこどせば飛行可能な状態であることが判明し、「謎の零戦」の正体が解明されることになった。

 このことの詳細は別に改めて紹介したい。


 さて、日本第二機動部隊の戦果と被害は次のように報告された。


 一 戦果

  ⑴ 唯一の飛行艇大型格納庫数弾命中 大破炎上

  ⑵ 撃墜 飛行艇三、大型重爆一、戦闘機一〇

  ⑶ 撃沈 大型輸送船一隻

  ⑷ 重油槽群二箇所外軍事施設炎上

 二 被害

  ⑴ 龍驤  戦闘機一 自爆

  ⑵ 隼鷹  艦爆四 自爆

  ⑶ 龍驤、高雄敵重爆五機の雷爆撃を受けたるも被害なし

  ⑷ 「ウムナク」島東北部に相当大型完備の飛行場あり


 米軍の被害は「モリソン戦史」によれば、空襲により、

 六六六六バレル入の油槽タンク四個が爆破され、病院の建物の一部が破壊、格納庫大破、係留中の宿泊艦「ノースウエスターン」が損傷、死者四十三名をだした。

 航空母艦を狙った爆撃機はB26爆撃機一機とB17爆撃機一機を喪失した。戦闘機隊はp40を二機喪失。カタリナ飛行艇は二日間で六機を喪失するにいたった。


 第二機動部隊は、第一機動部隊の敗北の連絡をうけて、北方部隊の編制から解かれ、内地へと向かった。

 だが、攻略部隊は計画通りに実行するよう命ぜられた。

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