第九話 ダッチハーバー空襲(六月四日)

 第一潜水戦隊の各潜水艦は二十四日頃には各配備点に達し、二十五日以降各拠点の敵情および上陸点付近の偵察状況を報告した。

 第一水雷戦隊の「戦闘詳報」にその通信内容が記載されている。


 二十六日一二〇〇第一潜水戦隊より

「伊九潜二十五日 キスカ、アムトチカ 二十六日アダック 飛行偵察を実施せり

一 各方面共敵艦船航空機並に特別施設を認めず 地形は特殊兵要地点図と大差なし

二 キスカ東浜断崖にて不適

  Reynard Cove海岸の状況最良好

  キスカ港家屋四島あり リトルキスカ島の無人小屋存在せず

三 アムトチカ陸上飛行場を認めず 島の東端及中央付近南岸に各個の櫓の如きもの

  あり

四 アダック打出浜東部に家屋二棟あり

  大倉庫見当らず

五 アムトチカ家屋大小八棟あり 東隣入江の形状は概ね水路部秘第二六六一号海図  に同じ突当りより東側砂浜にて中央水路を通り岩礁の西側より進入することを得

六 当方面最近の◻︎◻︎概況風向北乃至西風力一〇米以下曇天雲量九雲高八〇〇乃至七  〇〇米気温四度霧の発生を見ず海上平穏波高一米内外」


 二十七日二〇〇〇

「1ss機密第一五〇番電

 伊九潜飛行偵察(二十六日〇一〇〇)に依る天狗湾の状況

 入口両岸水際より緩傾斜をなし高さ二米程度湾内海岸傾斜若干急水路幅相当狭しC点は略右同様の丘陵BP点海岸平地帯なり」


 二十八日〇一〇〇

「4ss機密第一〇一番電

二十七日?「コダック」飛行偵察を実施せり

 ㋑ 大巡オーストラリア型一隻、駆逐艦一入港しつつあるを認む

 ㋺ 湾内駆逐艦一哨戒艇三、「コダック」港内哨戒艇二隻在泊

 ㋩ 飛行艇を認めず 湾内に兵舎二棟の外一帯に飛行場及格納庫らしきものを認

  めず

 ㋥ 河口付近三箇所に施設作業中らしき強力なる?を認む」


 二十八日一三〇〇

「伊一七潜機密第一〇〇番電

 二十四日「アッツ」潜航偵察報告

一、上陸地点

 ㋑ Holtz湾上陸に最適なるも背面の山嶽峻険にして海岸に絶壁あり Holtz湾へ

  の進撃困難と認む

 ㋺ Sarana湾南方は約一浬の砂浜あり 海岸岩礁なく背面広濶なり山裾又は海岸

  を迂回進撃可能と認む

 ㋩ ハ点海岸乱礁峻立し不適

二、Chchagof艦艇航空機を認めず

三、諸施設及地形兵要誌記載大差なし

四、低地の残雪僅少

五、二十八日正午迄敵警戒艦艇航空機を認めず」


 伊一七潜については当時同潜軍医長であった千治松軍医中尉の手記があり、それから引用してみよう。

『五月二十四日

 午前一時半、アリューシャンの海はすでに夜明けがはじまっている。

 目指すアッツ島が見え出したとの見張員の報告に、急いで艦橋に上ると、黎明時の靄のなかに島影が盛り上がっている。艦は浮上したまま、ぐんぐん島に向かって接近して行く。乗員にもしだいに緊迫した空気がみなぎってくる。

(あれがアッツか)

 誰の胸にもはじめて見る敵地にたいして、何か男男しい胸迫るものがあるようだ。午前七時半あたりは、すっかり明るい。島からはもうこちらが見えるかも知れないので、大胆不敵な西野艦長も潜航を決意する。

「総員配置につけ」

「潜航急げ」

 ブザーがけたたましく艦内にひびくと同時に、ベント弁を開く音、シューという圧搾空気の音、メーンタンクに流入する海水の音が交錯してひびく。

 艦内は艦長の下令を待って、静かな静寂に入って行く。深度十五メートルで潜望鏡深度に入り、艦長は潜望鏡にとりついて、水中航走で島に接近して行く。

 私は士官室のソファーに腰をおろして、軍令部発行の極秘兵要地誌を調べていると、写真入りで次のように書いてある。

「島の中心地チチャゴフ湾に面する陸上には米国の無電塔が立っていて兵舎が有る。兵力は不明なるも守備隊は居る模様である。もとは漁業、通信の基地として此の港を利用した」

 艦長からの潜望鏡を借りて、チチャゴフ湾の偵察をする。眼前に横たわるアッツ島の冷厳なる姿。けわしい島の形相である。屹立する山嶺は、すべて皚々たる白雪におおわれていて、神々の座ともいえる清らかさである。

 海岸の波打際にいたるまで黒々とした断崖がつづき、一部ところどころ、雪のはげたまだらが縞をつくっている。岩礁に砕け散る青い波濤の向こうに見え隠れする陸上には、兵舎らしい家屋が見えるが、もちろん、人影までは定かではない。」

(千治松彌太郎著「伊一七潜とアリューシャン作戦」丸別冊太平洋戦争証言シリーズ⑭『北海の戦い』潮書房)

 

 伊一七潜は二十七日もアッツ島の偵察を続けた。

『今日はいよいよ島の全周の潜航偵察である。

「本艦はアッツ島から距岸三千メートルで陸軍の上陸可能地点の偵察を開始する。さらに島に接近して詳細をきわめるため、敵の反撃を予想し、海図も不備で、岩礁に座礁のおそれもあるから、充分注意せよ」

 艦長のすき透った声が伝声管にひびく。

「防水扉閉め」

「急速浮上、砲戦用意」

 総員配置による五時間の偵察の結果、上陸地点B点を決定し、その日、軍令部および機動部隊指揮官あて左記の発信をした。

「B点は狭小なるも途中水路に障碍なく、短艇二十隻達着可能。波浪を避け行動秘匿に便なり。海岸を経て村落への進入容易。飛行場、砲台、警戒艇を認めず」』

                (同前掲書)


 伊一九潜は五月三十一日及び翌六月一日ダッチハーバーを偵察して報告を行った。

『伊十九潜機密第一〇一番電

一、五月三十一日及六月一日「ダッチハーバー」偵察

 両日共に湾内外在泊艦なし警戒厳重ならず

 陸上機基地らしきもの確認し得ず

二、五月二十七日より六月一日迄「ダッチハーバー」付近天候概ね曇天霧なし

 風向南乃至西風力一・五米乃至五米雲高三〇〇米乃至六〇〇米 視界概ね良好』


 角田少将指揮の第二機動部隊は大湊を出港し北太平洋の海を航行していたが、深い霧に包まれ冷たい空気にさらされていた。

 霧中航行であるから細心の注意を払って航行しなければならない。突然、霧が晴れて青空が見えるときがある。だが、それも数時間すると、再び霧に包まれる。

 周りはほとんど何も見えない。外からも我が部隊は見えないはずだ。六月三日夜にはウラナスカ島南方一八〇浬の地点に達していた。


 空母「龍驤」と「隼鷹」は攻撃隊の準備を急いでいた。各空母の攻撃隊の編成は次の通りである。


空母「龍驤」

 攻撃隊 九七式艦上攻撃機  七機

  指揮官  大尉  鮫島博一

   (四小隊、六小隊 二五〇㌔×四、六〇㌔×一五

    五小隊     二五〇㌔×六)

   第四小隊 一番機 操縦  鮫島博一大尉

            偵察  吉原嘉一一飛曹

            電信  伊藤國男二飛曹

        二番機 操縦  大木正義一飛

            偵察  亀田 稔二飛曹

            電信  野田香保留三飛曹

   第六小隊 一番機 操縦  川原浅男二飛曹

            偵察  山口秋一一飛曹

            電信  大畑久利三飛曹

        二番機 操縦  溝口義博一飛

            偵察  島田好道三飛曹

            電信  中島文治二飛

   第五小隊 一番機 操縦  柴田峰一特務少尉

            偵察  伊藤定夫一飛曹

            電信  菊田宗定二飛曹

        二番機 操縦  小田恭男一飛曹

            偵察  三浦雄五一飛曹

            電信  倉橋 要二飛曹

        三番機 操縦  下吉秀吉一飛

            偵察  秋山弘志二飛曹

            電信  高橋一夫一飛

 掩護隊  零戦 三機

        一番機   遠藤 信一飛曹

        二番機   古賀忠義一飛曹

        三番機   鹿田二男一飛曹

 攻撃隊  九七式艦上攻撃機  七機(各機二五〇㌔×二)

  指揮官 大尉  山上正幸

   第一小隊 一番機 操縦  西村 宏一飛曹

            偵察  山上正幸大尉

            電信  遠藤正二二飛曹

        二番機 操縦  島田計也一飛

            偵察  佐藤義美二飛曹

            電信  星野精一二飛曹

   第三小隊 一番機 操縦  堀内 勉二飛曹

            偵察  内村嘉平飛曹長

            電信  山内敏昭三飛曹

        二番機 操縦  谷敷博志一飛

            偵察  二瓶 愿三飛曹

            電信  鳥山慎平一飛

   第二小隊 一番機 操縦  二口 敬一飛曹

            偵察  佐藤亮三中尉  

            電信  安斉迪衛二飛曹

        二番機 操縦  高橋 博一飛

            偵察  根本正雄一飛曹

            電信  渡辺鈴雄二飛曹

        三番機 操縦  山口 順一飛

            偵察  小林芳彦二飛曹

            電信  和泉武夫三飛曹

空母「隼鷹」

 攻撃隊 九九式艦上爆撃機 一五機(装備内容不明)

  指揮官  大尉 阿部善次

   第一中隊

    第二一小隊 一番機 操縦 阿部善次大尉

              偵察 石井正郎飛曹長

          二番機 操縦 武井一馬三飛曹

              偵察 原田嘉太郎一飛曹

          三番機 操縦 中塚泰市三飛曹

              偵察 木村治雄二飛曹

    第二二小隊 一番機 操縦 大石幸雄一飛曹

              偵察 山本 博飛曹長

          二番機 操縦 岡田忠夫三飛曹

              偵察 杉江 武二飛曹

          三番機 操縦 池田 弘二飛

              偵察 宮脇弘蔵二飛曹

    第二三小隊 一番機 操縦 沼田一焏一飛曹

              偵察 高野義雄二飛曹

          二番機 操縦 長島善作一飛

              偵察 中尾哲夫二飛曹

   第二中隊

    第二四小隊 一番機 操縦 川畑弘保一飛曹

              偵察 三浦尚彦大尉

          二番機 操縦 山川新作三飛曹

              偵察 西山 強二飛曹

          三番機 操縦 村上泰弘二飛

              偵察 片岡芳春二飛曹

    第二五小隊 一番機 操縦 原野信夫飛曹長

              偵察 中島一郎一飛曹

          二番機 操縦 小瀬本國雄三飛曹

              偵察 中田勝蔵一飛

    第二六小隊 一番機 操縦 宮武嘉彰一飛曹

              偵察 田島男飛曹長

          二番機 操縦 後藤藤十郎二飛曹

              偵察 山野井啓二飛曹

 制空隊 零戦 十三機

  指揮官  大尉  志賀淑雄

   第一中隊

    第一一小隊 一番機  志賀淑雄大尉

          二番機  山本一郎一飛曹

    第一二小隊 一番機  北畑三郎飛曹長

          二番機  佐々木原正郎二飛曹

    第一三小隊 一番機  久保田亘一飛曹

          二番機  長谷川辰蔵二飛曹

   第二中隊

    第一四小隊 一番機  宮野善次郎大尉

          二番機  尾関行治一飛曹

          三番機  吉田一平一飛


    第一五小隊 一番機  岡本重造一飛曹

          二番機  田中喜藤三飛曹

    第一六小隊 一番機  上平啓洲一飛曹

          二番機  四元千畝二飛曹


 「龍驤」の零戦隊は二三一〇に発進し〇〇四〇艦攻隊と分離して水上滑走中の飛行艇を銃撃したが効果不明重油タンクも銃撃したが効果不明。鮫島大尉指揮の艦攻隊は二三四〇に発進、〇〇四五よりダッチハーバーの兵舎、倉庫、電信所などを爆撃して火災などを認め〇二五〇に帰還。山下大尉指揮の艦攻隊は二三三〇に発進、〇〇五五よりダッチハーバーの倉庫、油槽などを爆撃し損害を与えた。そのうち四機はウナラスカ島西端でP40四機と交戦となったが、雲中に遁れて全機帰還した。


 「隼鷹」の零戦隊は艦爆隊とは二二二五発進した。零戦隊は途中飛行艇一機を発見してこれを撃墜したが、ダッチハーバー上空は雲に覆われ天候不良のため、艦爆隊は攻撃を断念して帰還。

零戦隊は軍事施設への銃撃を行ったうえで、龍驤の攻撃隊に誘導され帰還した。


 このことについて、当時空母「隼鷹」艦爆隊の分隊長であった阿部善次大尉の手記をみてみよう。

『六月四日、角田部隊は、ウナラスカ島南方百八十マイルの洋上にたっした。いよいよダッチハーバー攻撃である。蒼黒い界面に、波頭が寒風にちぎられて雪のように散る。それはわずかに利く視界内の、殺伐とした海の風景であった。

 六月のアリューシャンは夏で、一年じゅうで天候がもっともおだやかとのことだが、水温は二十分も生命がもたないほど冷たいそうである。

 攻撃命令が発せられた。直接戦闘機十三機につづいて私は発艦した。艦爆の第二中隊長は三浦大尉(海兵六十六期、爆偵)で、山口県萩の出身である。戦闘機隊長の志賀大尉は同じ山口中学校時代からの先輩であった。

 私は隼鷹隊の先頭を、海面を這うようにして飛んだ。シーリングは三百メートル足らずである。

 電熱服の温度を調整する。腹に抱いた二百五十キロの一発が必殺弾とならねば、これまでの苦労も水泡に帰するのだ、と身の引きしまる思いがした。

 列機がピタッと翼を寄せている。二中隊も後ろにつづいている。私はわずかではあるが、うすれて行くように見える雲霧の下を、コンパスをチェックしながら北進した。

 ダッチハーバーはどんな恰好であろうか。雲に閉ざされているのではあるまいか。飛行場はどこにあるのか。軍艦が入泊しているのか。わが方の予備知識はきわめて貧弱であった。

(中略)

 雲霧がうすれて、黒っぽいものがチラッと眼に入った。島肌にちがいない。霧と雲と雪の区切りがつかぬが、黒緑色のものがちらりちらりと見えてきた。ウナラスカ島の南岸である。高度二百メートル。穴を見つけて雲上に出なければならない。

 海岸線を左にキープしながら飛ぶ。回転、スピード、油圧、排気温度とゲージをチェックする。よし、異常はない。

 と、その瞬間、直援の零戦が前に出るのと、右前方に薄黒い影を見たのが同時であった。PBY三機である。サーッと零戦がおどりかかった。海面上に曳光弾が交錯する。

 私はそれを見失わないように、ガッチリ組んだ編隊のままで、雲下を右に旋回する。これは大変なことになったぞ、角田艦隊はすでに米軍に探知されているのだ。PBYはその攻撃に向けられたのに間違いあるまい。

 零戦数機は、切り返しては反復攻撃を行なう。パッと火を吹いたPBY一機が、赤黒いかたまりになって水面に突っ込んだ。他の二機は雲中に遁走したようだ。

 零戦はようやく追跡を諦めて、つぎつぎに寄り添って来て、また、もとの隊形に組むことができた。が、この会敵の一件が動機になったのであろうか、この天候では「急降下爆撃は不可能」であると、私は判断したのである。

 明日になれば少しは良くなるかも知れない。無理をしないで、出直すべきだと考えて、針路を母艦に向けた。どんよりとした狭い視界を、じーっと耐えて飛んだ。』

(阿部善次著「隼鷹艦爆隊ー痛恨のダッチハーバー爆撃行」丸別冊太平洋戦争証言シリーズ⑭『北海の戦い』潮書房)


 艦攻隊は水平爆撃であり、地上が確認できれば、多少雲に覆われていても爆撃は可能である。が、艦爆隊は急降下を伴い、雲に覆われていて地上が確認できなければ、爆撃効果も薄く、下手をすれば地上激突もありうるのだ。だから、阿部大尉は後日を期して爆撃を中止したのである。


 「龍驤」の艦攻隊は上空に僅かな青空を見つけ爆撃に成功した。米側では水上機母艦「ギリス」がレーダーで日本機来襲を探知して警報を発したが、港内から脱出できた艦船はいなかった。だが、狙われたのは地上施設であり、油槽タンク、陸軍兵舎、高角砲陣地などを爆撃した。米軍の被害の詳細は不明であるが、人的被害は約二十五名が戦死した。米軍は二機を撃墜したとしているが、実際は日本側に被害はなく、三機が被弾したのみであった。攻撃隊の一機は、ウナラスカ島のマクシン湾内に駆逐艦五隻を発見したと報告したので、角田少将は第二次攻撃隊を準備させて発進した。


「龍驤」は艦攻一七機、零戦九機。「隼鷹」は艦爆一五機、零戦六機を発進。別に重巡「高雄」「摩耶」が水偵各二機を発進させた。しかし、今回はまったくの天候不良で、両隊とも引き返してきた。

 が、被害も出た。「高雄」の水偵はPー40と交戦して、一機が撃墜され、一機が帰還したが被弾しており着水後処分された。


 角田少将は五日、再びダッチハーバーを空襲すべく攻撃隊を準備させていた。

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