第八話 MI攻略部隊・北方部隊出撃

 一方、ミッドウェー攻略部隊は、第二艦隊司令長官近藤信竹中将が指揮し、サイパン島へ集合して出撃することになっていた。 

 第二艦隊司令部の職員は次のとおりである。

  司令長官 中将   近藤信竹

  参謀長  少将   白石萬隆

  首席参謀 大佐   柳澤蔵之助

  砲術参謀 中佐   庵原 貢

  水雷参謀 少佐   石渡 博

  航空参謀 中佐   木暮 寛

  通信参謀 少佐   中島親孝

  航海参謀 少佐   鹿野清之助

  機関参謀 機関中佐 田中和三郎


 攻略部隊の作戦計画は次のようになっていた。

一、作戦方針

 攻略船団部隊は、サイパンに集合、西方よりミッドウェーに近接、Nー三日同島の六〇〇浬圏外、空襲後近接、Nー一日キューア島を十一航戦で占領、攻略船団は二〇〇〇泊地進入上陸開始、七日間で防備施設急施、戦闘機を一航戦から揚陸、十一航戦も同島に基地を進める。

 主力は南方から支援、N+七日引き揚げてトラックで次期作戦準備。

二、その他

 1、各隊の状況

  二連特  練度不足

  二水戦  「神通」完備、第十八駆逐隊十日、第十六駆逐隊二十日完備、第十

     五駆逐隊は十五日発令で南方部隊から除れる。

 2、第七戦隊  二十一日柱島発 サイパンへ

 3、ミッドウェーの水上基地設営は基地航空部隊の担任

 4、輸送船の集合

   陸戦隊  十五日内地発  第一、第二号哨戒艇護衛

   設営隊、慶洋丸

        十八日内地発  二水戦駆逐艦二隻護衛

  5、設営隊 設営隊の輸送船に基地員を分乗させる。十一日建築部で打ち合

    わせ、在サイパンの兵藤技師を三沢空陸攻で輸送

  6、第二艦隊旗艦 「鳥海」に変更

     十八日横須賀発、二十日早朝柱島着、二十七日「愛宕」に戻す

  7、ミッドウェー設営計画

   イースタン島  第十一設営隊

   サンド島    第十二設営隊


 各戦隊の戦艦、巡洋艦とも南方戦線より内地に帰還して修理整備が終わり次第、訓練に入っていたが、出撃までの日程が短く、部隊での訓練余地はないままであった。護衛にあたる二水戦の駆逐艦も南方戦線から五月中旬以後に内地に帰投しており、二水戦司令官田中頼三少将は、五月二十六日の一〇〇〇迄に進出するよう各艦に命じていた。

 栗田中将の指揮する第七戦隊の重巡四隻「熊野」「鈴谷」「三隈」「最上」と第十八駆逐隊の二隻「朝潮」「荒潮」は、第七戦隊はベンガル湾交通破壊作戦より帰投して整備、第十八駆逐隊も比島方面から五月十八日帰投して、急速に整備出撃準備に入った。


 海軍陸戦隊の太田実少将率いる二連特は、五月一日付にて編成されたばかりで、横須賀第五特別陸戦隊の約一、四五〇名と呉第五特別陸戦隊の約一、一〇〇名からなっていた。

 司令官の太田実少将は沖縄戦で敢闘して自刃を遂げる人物である。陸戦隊は編成されたばかりで訓練が不十分であるために、近藤長官は五月四日次のように命令を下した。

 

一、二連特は同司令官所定に依り各所在地に在りて訓練の上五月十日頃内地発サイ

 パン、大宮島方面に進出し、訓練に従事すべし

二、清澄丸、十一設、十二設及あるぜんちな丸、ぶらじる丸を二連特司令官の指揮

 下に入る

三、清澄丸は呉海軍工廠に於て五月九日迄に、大発五隻を搭載し得る如く工事を実

 施すべし


 この命令に従い、二連特は準備を急いだが装備が揃わず、結局十五日にの出発となってしまった。そのため、サイパン進出での訓練をやめ、グアムでの訓練を行ったのちに、サイパンに進出した。


 一方、陸軍側の一木支隊は五月五日の大陸命令第六百二十五号で戦闘序列が下令された。

  支隊長  陸軍大佐  一木清直

    歩兵第二十八連隊

    工兵第七連隊第一中隊

    独立速射砲第八中隊

 

 支隊長の一木大佐は、支那事変の発端となった盧溝橋事件での当事大隊長であった。

 これについては、牟多口部隊の戦闘経過の報告が一次史料としてはよいだろうから、一部を紹介する。

「七月七日第八中隊が盧溝橋付近で夜間演習中龍王廟及宛平県から突如支那兵の不法射撃を受けた。そこで中隊長は直に演習を中止し人員を検べ之を豊台所属大隊長に報告した。これが今次事変の発端である。

従来当連隊は北平に連隊本部及第一大隊、天津に第二大隊豊台に第三大隊及歩兵砲隊が分屯していた。

   七月八日

支那軍の不法射撃の報に接するや大隊長一木少佐は直に非常呼集を行い午前二時豊台発一文字山に向って前進した一方連隊付森田中佐は連隊長の命を受け北平特務機関員寺平大尉及冀側の交渉員王冷齋及林耕宇と共に現地交渉の為め宛平縣城に向った。

又二十九軍顧問櫻井少佐は事件勃発と共に三十七師団長馮治安に面談し其不都合と訊したところ馮師長は宛平県城内の支那軍は自分の部下だが城外の者は支那軍ではない匪賊であると答えた為に櫻井少佐は直に宛平県に向って城内の支那軍に対し馮師団長の意志を伝え且一文字山に来て一木大隊長に会って馮師長の遁げ辞を伝えた。併し飽く迄慎重を期する我軍は曩に龍王廟付近から射撃したのは支那軍であるの確実なる証拠を握り爾後の交渉を有利にする為に種々偵察する処があった。然るに午前四時四十分に至って不法にも再び龍王廟から我に対し猛烈な射撃を始めた。茲に於て連隊長代理森田中佐は断然意を決し第三大隊長に対し龍王廟攻撃を命じたのである。・・・」


 歩兵第二十八連隊は歴戦の部隊であった。ノモンハン事件にも参加して打撃を蒙っており、のちのガダルカナル戦では壊滅的損害を蒙っている。この盧溝橋事件の詳細については、機会があればとりあげたいと思う。


 一木支隊長は十八日「大和」を訪れ、山本連合艦隊長官と挨拶を交わし、門司に回航して船舶工兵の到着を待ち、輸送船団に合流した。

 二水戦司令官田中頼三少将は、五月二十六日、機密MI攻略部隊護衛隊命令第一号及び第二号を発布した。


機密MI攻略部隊護衛隊命令第一号

  昭和十七年五月二十六日  サイパン 旗艦神通

           護衛隊指揮官  田中頼三

   護衛隊命令

一、敵情並に友軍の情況

  機密攻略部隊命令第一号の通

二、作戦方針

  占領隊を護衛輸送し機動部隊の航空撃滅戦に策応して之を「サンド」島及「イ

 ースタン」島に揚陸両島を急速攻略し揚陸物件の陸揚を促進し速に拠点を完成せし

 めんとす

三、軍隊区分

   (省略)

四、各隊の任務行動概要

   (省略)

五、護衛要領

 イ、輸送船隊の編制

  側方後方警戒艦   哨戒艇 三隻

  第一分隊 嚮導艦  親潮

    ⑴ 南海丸   (八、四一六トン)

    ⑵善洋丸  (六、四四一トン)

    ⑶五州丸  (八、五九二トン)

    ⑷ぶらじる丸 (一二、七五二トン)

    ⑸ありぜんちな丸 (一二、七五五トン)

    ⑹清澄丸  (八、六一三トン)

    ⑺あけぼの丸 (一〇、一八二トン)

  第二分隊 嚮導艦  黒潮

    ⑴吾妻丸 (六、六四五トン)

    ⑵北陸丸 (八、三六五トン)

    ⑶霧島丸 (八、一二〇トン)

    ⑷鹿野丸 (八、五七二トン)

    ⑸第二東亜丸 (六、七三二トン)

    ⑹慶洋丸 (六、四四一トン)

              (トン数は筆者追記)

  (以下省略)


機密MI攻略部隊護衛隊命令第二号

   護衛隊命令

MI攻略部隊占領隊に対する掩護射撃要領別紙と通定む

      (別紙省略)


 五月二十六日、田中司令官は、別働隊の低速の輸送船「明陽丸」「山福丸」と第二十一駆潜隊と第十六駆潜隊がサイパンを出撃、ウェーキ島へ向かった。「宗谷」も単艦でサイパンを出撃した。

 二十八日一七〇〇より攻略部隊はサイパンを出撃した。船団は敵潜水艦を欺瞞するために、テニアン島の西側を南下する航路をとり、二十九日〇一〇〇北東に針路をかえ、ミッドウェーに向かった。この日、テニアンの南東約六〇浬付近でグアムを出撃した支援隊と合流し、昼間は之字運動をしながら予定航路をすすんだ。


 一方、AL作戦を担う第五艦隊をはじめ攻撃攻略部隊は、大湊および陸奥川内湾に集結しつつあった。

 作戦計画は次のようになっていた。

1、作戦方針

  ダッチハーバー、アダック所在敵兵力を撃破し、その軍事施設を破壊するとと

 もにキスカ島、アッツ島を攻略確保して、北太平洋方面からする敵の機動並びに航

 空進攻作戦を阻止し、もってわが攻勢の態勢と維持するにある。これがため

 ⑴ Nー三日以降、母艦航空部隊をもってダッチハーバーを空襲し、所在敵兵力

  を撃滅するとともに軍事施設を破壊して、敵兵力その他同基地利用を阻止する。

  またNー一日までにアダック及キスカ島を空襲し、所在敵兵力並びに軍事施設

  を攻撃撃破する。

 ⑵N日、特別海軍陸戦隊をもってキスカ島を攻略これを確保する。同日陸軍北海

  支隊および艦隊連合陸戦隊をもってアダックを急襲、所在軍事施設を破壊し敵の

  利用を封ずる。

 ⑶アダック破壊後、陸軍北海支隊はアッツに転進してこれを攻略確保する。

 ⑷潜水部隊をシアトル方面に配備する。

 ⑸飛行艇隊をキスカ島方面に進出させる。

 ⑹水上機母艦搭載機をもってアダック上陸作戦後アリューシャン列島以北海面を

  索敵させる。

 ⑺母艦航空部隊は前二項飛行索敵に呼応し敵艦隊の撃滅に努める。


 アリューシャン列島は多くの島からなり、ウニクマ島からアッツ島までの九〇〇浬におよぶものである。

 主な島は次にようである。

⚪︎ウナラスカ島

 長さ約一二〇粁、幅約五〇粁の大島であって、北東側にあるウナラスカ湾は商業上西部アラスカ中で最も重要な湾である。東側のイリウリウク湾にはダッチハーバー及びイリウリウク湾の重要港湾がある。ウナラスカ湾の軍事的価値は左の通りである。

 1 艦隊泊地としての価値

  不凍港であって大艦一〇隻、水雷戦隊及潜水戦隊各一隊を収容できるであろう。

 2 航空基地としての価値

  ダッチハーバー及びイリウリウク港は飛行艇の繋泊に適し、昭和十七年初めこ

  ろ飛行艇二コ中隊(二四機)に対する基地がある。

  ウナラスカ邑東端付近に東西五〇〇米、南北約二〇〇米の小飛行場が可能で

  あり、小型機一〇〜二〇機を有するようである。

  なお、ダッチハーバーには海軍無線電信局がある。

⚪︎アトカ島

 長さ約九三粁、幅約三七粁の大島で、東岸のナザン湾に村落がある。

⚪︎アダック島

 ベイ・オブ・アイランズ&クルック湾等の良湾を有する。

 ベイ・オブ・アイランズはダッチハーバー及びキスカ湾と共にアリューシャン列

 島中第一流の良湾のようである。

 米海軍は一九三三年以来当地の精測を行い、一九三五年の大演習に使用した形跡

 がある。クルック湾は東側にある良港と報ぜらる。

⚪︎キスカ島

  占守島から約一、六〇〇粁、アダック島には四〇〇粁、ダッチハーバーには一、 一〇〇粁の距離にある不凍港であって、真珠湾、グアム島及び比島のスピック

  湾と共に昭和十六年二月大統領令をもって外国艦船の入港を禁止されている。キ

  スカ湾は良港であって、水上航空機基地としてもきわめて適地である。

⚪︎アッツ島

  アリューシャン列島の最西端の島であって、そのチチャゴフ港は占守島から約

  一三〇〇粁にあり小艦艇の入泊に適す。同港には海軍無線電信所兼気象観測所が

  ある。


 五月二十五日、角田少将司令官率いる第二機動部隊が大湊を出撃し、二十八日キスカ攻略部隊が川内湾を出撃、二十九日にアッツ攻略部隊が出撃した。

 北太平洋の気象は不安定であり、機動部隊は大湊を出撃数時間後には濃霧につつまれ、霧雨の中を進む。

「夢中航行用意!」

 が令され、速力を落とし、単縦陣となった。艦尾から霧中標的を曳航している。それが波飛沫をあげる。上端には半鐘が吊るしてあり、波にゆれてリンリンと鳴る。それを合羽頭巾に身を包んだ水兵が、波にさらわれないように艦首の鉄柱に身体を結え付け、その標的を見失わないように、電話で艦橋に報告するという原始的方法である。レーダーがない時代は苦労な航海方法であった。その状況がほぼずっと続くのである。晴れ間はほんの少ししかない。軍艦でさえこのようであったから、輸送船に乗船している陸軍部隊は大変だったようである。

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